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【沖縄県知事選】グローバル・イシューとして考えるOKINAWA

  • 竹田圭吾 (ジャーナリスト・編集者)
  • 2014年11月12日

「沖縄の人々の民意が尊重されるべきだ」——。

普天間基地の移設問題が取り上げられるたび、あるいは沖縄で選挙が行われるたびに、東京など沖縄以外のテレビや新聞にはそんなニュアンスの主張があふれます。今回の県知事選でも、そうしたシーンがふたたび繰り返されるのではないかと思います。

しかし、外からみれば、現実に沖縄の「民意」が尊重されるべきだと考えている日本人はほとんどいないと感じられるでしょう。

基地負担の問題はもっぱら、沖縄県と日本政府だけが当事者であるかのように扱われてきました。わが県にこそ基地を移設すべしと他県のローカルメディアが唱えることはないし、本来の当事者であるアメリカ政府との共依存関係を根本的に見直すよう求める主張がマスコミやネットで盛り上がることも、国政選挙の際に声高に論じられることもありません

だから日本人は不誠実だ、と言いたいわけではありません。

むしろ、沖縄のように「周縁(ふち、まわり)」に位置づけられる地域が「中央」や「周縁以外」から同情されつつもほとんど無視され、隔絶した関係を強いられる例は、世界にあまねく存在しています

2014年は、そうした各地の「周縁」の存在と「中央」との複雑な関係が、さまざまな形でグローバルにクローズアップされた年でした。

今年春に起きたウクライナとロシアの衝突では、ロシア系住民が多数を占めるウクライナ南部のクリミア半島が、ロシア軍の制圧下で行われた住民投票で「自主的に」ロシアへの編入を決めました。オスマン帝国やヨーロッパの周縁にあって19世紀から勢力争いの舞台となってきたクリミア半島がロシアに強引に併合されたことは、大国間の戦争が途絶えた現代においてさえ、地政学的な要衝とされる周縁地域の運命がいかにあやふやなものであるかを世界に印象づけました。

スコットランドで9月に行われた住民投票では、イギリスからの分離独立を望む住民が予想以上に多いことが明らかになり、英国政府を慌てさせました。グレートブリテン島の北辺に位置するスコットランドが連合王国の一部となってから300年以上が経ちますが、著名な政治家や経済学者、アーティストを多く生み出してきたことなどから住民の地域アイデンティティー意識は強くあり続け、また北海油田という「周縁であるがゆえに得られた利権」を中央に搾取されているという不満が背景にあります。

◆いつ独立を志向しても不思議はない

中東でスンニ派過激派組織「イスラム国」が勢力を拡大している問題では、トルコとシリアの国境に位置するクルド人居住区が包囲されて虐殺の危険にさらされながら、クルド人の独立を警戒するトルコが支援に消極的なことが議論を呼びました。クルド人はパレスチナ人などと同様のディアスポラ(固有の領土をもたず離散した民族)であり、イラクのクルド自治政府議長は「独立」に向けた住民投票を行う考えを表明していますが、クルド人の自治区や居住地域はトルコ、シリア、イラク、イランの各周縁部にまたがり、中東が政治的な混乱に陥るたびに翻弄される状況が続いています。

たとえば、そうした文脈に沖縄を並べてみた場合、何が見えてくるでしょうか。

あえて共通する部分にだけ目を向ければ、クリミア半島のように周囲の大国にとって安全保障上の要衝であり、スコットランドのように文化的な独自性があり、国家全体に独自の貢献をしながら他地域とのあいだに大きな経済格差があるというのは、沖縄が置かれた状況に似ています

トルコやシリア、イラクのクルド人が他の民族・宗教・宗派の住民と比べて生活権を制限され、それを中央政府が放置する状況は、司法、警察、環境などの分野で本来の権利が日米地位協定によって必ずしも保障されない、沖縄を含む在日米軍基地の立地自治体の住民が置かれた状況に通じる面があります

琉球王国は江戸時代初めに薩摩藩の支配下となりましたが、その後も中国への朝貢を続けながら二つの国に両属し、1879年に明治政府が断行した琉球処分によって初めて正式に日本の領土となりました。古くからイノシシ猟が行われ、ブタやヤギの飼育が普及した沖縄は、北海道と同様、コメの農耕が地方や中央によって推進された本土とは異なる食文化圏を形成しています。こうした年表や風土詩を先入観なしに眺めても、沖縄が「独立」をいつ志向しても不思議はないと外国の人々は感じるでしょう。

そうした光景は、沖縄は独立すべきだ、という理屈に自動的に結ばれるものではありません。

スコットランドの住民投票で独立反対票が賛成票を大きく上回ったことや、クルド人国家の建設が現実的な構想として受けとめられていないことが示すように、通貨・財政や産業、エネルギー供給などの自立が安定的に担保されない状況では、住民にとって独立は合理的な選択肢になり得ません

1972年の返還に際して80%以上が「本土復帰」を歓迎し、言語だけでなく風俗習慣においても一体化が進んだ沖縄において、独立を望む人々が多数派になることも考えにくい。

◆基地移設を県知事選で問うナンセンス

しかしアジアの地図を俯瞰すると、別の印象も浮かんできます。

航行の自由を確保しようとする中国の海洋進出が脅威として大きさを増し、独立をめざす沖縄の一部の人々の運動を中国メディアが露骨に歓迎する。そんな状況のなかで、沖縄だけはグローバルに目立ちはじめた「周縁」と「中央」の地殻変動と無縁だと決めつけるのも、現実的な見通しがないまま独立を唱える動きと同じくらいナイーブではないかと思うのです。

その点からすると、法律、行政、外交の観点に照らせば、沖縄県にはじつは当事者性の薄い基地移設問題が、県知事選の最大の争点と位置づけられることの「いびつさ」に気づかずにはいられません。

日本として沖縄の独立はかすかな可能性でも摘み取っておきたい。それが、独立を望まない沖縄の人々の気持ちにも沿うことになる。

そう考えるのであれば、日米同盟に一元的に依拠するのではなく、国外移設も堂々とアメリカに要求できる安全保障体制の構築、それに必要な自衛隊の増強や軍事負担の分散、法制度の整備などが、沖縄県とは別のレベルで問われなくてはいけません。基地移設を争点とするべきはあくまで国政選挙や、受益者である「沖縄以外の県知事選」であるはずです。

今回の県知事選では、南西諸島への自衛隊配備県立病院の独法化沖縄総合事務局の廃止など、基地移設問題以外にも、候補者によって賛否が分かれている政策課題がいくつかあります。

経済振興策についても、国の沖縄振興計画に沿って進めるという前提のなかで、本島を南北に縦断する鉄道の敷設アジアの物流ハブをめざす構想、電力料金の引き下げなど、それぞれの候補者が独自色のある政策を打ち出しています。とりわけ、カジノを中核とする統合型リゾート(IR)推進法案については立場がくっきりと分かれています。

県知事選を「基地問題への賛否を問う県民投票」と単純化することは、そのようにさまざまなポイントによって成り立っている「周縁」の人々の意思や「中央」との関係性を見失ってしまうことになりかねません。

そもそも沖縄の本土に対する不信感は、本来は切り離して対処するべき基地返還と日米地位協定の問題をごっちゃにし、移設という「国でしか解決しようがない問題」としてのみとらえることで、深刻な所得格差や、県民の日常生活を脅かす地位協定の不平等性には無関心なことにも根ざしています。

それでもなお基地移設に焦点をあてて県知事選を語るのであれば、負担を押しつけていることへの贖罪意識から「民意を尊重」などと偽善的な言葉を投げかけるのではなく、当事者性をどう引き受けるかを考えて、選挙が終わったあとも意識し続ける——オスプレイの配備などによって「本土の沖縄化」といった言葉も使われはじめた今、それが「周縁」と「中央」の不幸な断絶を防ぐために最低限求められる姿勢ではないかと思います。

著者プロフィール

竹田圭吾
たけだ・けいご

ジャーナリスト・編集者

1964年東京・中央区生まれ。2001年から2010年までニューズウィーク日本版編集長。現在はジャーナリスト・編集者、名古屋外国語大学客員教授。フジテレビ『とくダネ!』『Mr.サンデー』などのコメンテーターも務める。

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