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【沖縄県知事選】「無視」を乗り越え、アイデンティティを持ち自立する沖縄へ

  • 平良朝敬 (かりゆしグループCEO)
  • 2014年11月15日

◆私が翁長雄志を支持する理由

翁長さんとは付き合いが古く、私は彼が那覇市議選に出る第一期から30年間、彼をずっと支えてきたひとりです。翁長さんは当初から——つまりは政治家になる以前から「沖縄のアイデンティティ」ということにものすごいこだわりを持った方でしたので、その沖縄のアイデンティティとはいったい何なんだということを絶えず自問自答しつつ、我々ともずっと議論しつつやってきた仲なんですね。

今回なぜ翁長さんが知事に立候補したかについていえば、実はこの5月まで彼はまったく知事になる気持ちはなかったんですね。立候補を決めたのはここにきて周囲の「翁長知事」待望論が盛り上がってきたからです。

ではなぜ翁長知事待望論が出たのか。遡ること2013年11月25日、私どもが応援した自民党の国会議員5名が石破幹事長(当時)の横でうなだれて座らされていた

それは辺野古移設を容認したことを受けた記者会見だったのですが、どうも様子がおかしい。それを見たときに、グッと胸を捕まれるような気がしたんです。これは私の表現ですがその会見の様子を見て「21世紀の琉球処分だな」と思いました。それはもう、情けないというか悲しいというか、怒りをも通り越すような心境にさせられる衝撃的な光景でした。さらにその後12月27日に現知事が辺野古移設を承認したことで、自分の気持ちも決定的になりました。

振り返れば彼らは全員「辺野古の埋め立てはダメだ」と言って選挙を通ってきたはずなのです。それを一転承認するということは、その約束を反故にしたということになります。「このまま中央の自民党の言いなりになっていちゃダメだ」という感情が自然と湧き上がってきました。それで私は方向転換したわけです。

もともと翁長さんは自民党の重鎮で保守本流の方ですから、仲井真さんの後継は翁長さんであることは、実は以前からみんな思っていたことなんですね。それがこんなことになってしまった。我々が「ああ沖縄の保守はいなくなってしまった」と思うと同時に、じゃあ我々であらためて「沖縄の保守」をつくろうじゃないかということになったんです。そのことが、保守も革新もない「オール沖縄」体制を打ち出していくことになった出発点です。

◆辺野古移設は「過去の問題」ではない

私は今年60歳になりますが、生まれたときから基地のフェンスを見て育ちました。

ですから、沖縄に基地があることに対しての違和感はありません。しかしながら基地の中で行われている治外法権的なものには、ずっと違和感を抱いていましたし、そこから派生するいろんな事件や事故についても、何とかしなければならないと絶えず思いながら今日まで来ました。

問題は、基地が、我々が望んで来てくださいとお願いしたものではないことです。基地は、終戦後にアメリカ軍が「銃剣とブルドーザー」で強制接収したものなのですから。

そもそも沖縄県民の了解の上でのことではなく、変な話、自然とできてしまったものだった。ですから我々沖縄県民は今まで一度たりとも基地を「容認」したことはないんです。

しかし今回、辺野古移設容認が決められようとしている。このことはまさに我々県民が「新しい基地をつくってもいいですよ」と承認してしまうことになるんです。ましてや、我々は「承認をするつもりはない」という議員を選んできたのに、それがいつのまにか中央の勝手な論理によってなぜか「承認を与えた形」になってしまっている。ここに大きな政治の不条理を感じるわけです菅官房長官は「もう過去の問題だ」なんて言ってますが、とんでもない。辺野古移設は「過去の問題」ではなく「これからの問題」です。

そうしたいびつな構造に屈することなく、きちんと県民が新基地建設について中央に態度を表明するということが今回の知事選の大きな意義だと思います。事実、知事選の世論調査でも「投票先を決める際に最も重視する点」で基地問題が46.3%と、経済問題の21.6%を大きく抜かしています。この問題に関する県民の怒りはものすごく大きいんです。

◆沖縄における「保守」と「革新」——それぞれの構図

よく保守と革新という構図が言われますが、これはある意味で「基地を挟んで右か左か」という構図のことなんですね。

本質的には、保守側は経済を重視し、革新側は平和——すなわち命の尊厳を重視します。しかし、平和も大切だけれどもまずしっかりと経済が成り立っていないと、それぞれの命も守れないでしょう、という理屈が成り立つのが「保守」。それに対して、そんな理屈はいらない、やっぱり一番大切なのは命で、平和こそが大切なんだ、ということを言い続けているのが「革新」なんですね。

だからたとえば自民党だった翁長さんが分裂してそこに革新が乗る、そこに重ねて、今まで沖縄の自民党を応援してきた経済界のなかでも翁長さんや仲井真さんを支持する勢力が割れる——それは全部、基地を挟んでこうしたイデオロギーの対立が際立っていった結果なんです。

沖縄経済界の中で仲井真、翁長、下地の支持が割れるのは、要は利害関係の問題です。基地建設によって潤う人たちがいるわけですね。

しかしながら我々は、新都心や北谷町、それからうるま市、あるいは小禄地区といった返還された跡地を見ていく中で、基地がなくてももう沖縄の経済は潤っていけると肌で感じ始めてきています。こうした非常に大きな変化が出てきたことは、この状況下でなぜ新しい基地をつくらせるのかという疑問にもつながります。

基地がもたらす経済効果でいうと、今は2000億円しかないのです。基地で働いている人たちの給料も、土地代もすべて含めて2000億円です。今観光だけでその2.5倍、4600億円ほどを稼いでいるわけですから、全体の4兆円で見ても現在基地が占める経済効果の割合はわずか5%くらいなんです。逆に言えばそれだけの経済効果しかないものに沖縄の大事な土地がほとんどすべて抑えられているわけですね。

何より重要なことは、新しく基地がつくられたらもう後戻りはできない、ということです。であるからこそ、我々は10年、20年、ひいてはもっと未来の話をしなければならない。それなのに沖縄経済界の多くは目先の利益のことしか見えていません。なぜそうなるのか。一括交付金の使い道について県知事が最も決定権を持つ構造があるからです。沖縄県知事は各市町村にお金をばらまく、そのさじ加減ができる。いきおい各市町村、経済界はみんな「今現在の知事」を向くことになる。

でも少し見方を変えてみるとどうでしょう。たとえば経済界といっても「経営者の一部」で構成されているに過ぎませんよね。今の時代、そこで働いている職員が、社長にただ従っているだけということがあるでしょうか。私はそうは思いません。いろいろな情報がある中で、「今のうちの社長がやっている行動が、果たして沖縄のためになっているのか」ということを、一人ひとりがしっかりチェックできる時代になっています。そういう意味で沖縄の各経営者は「沖縄の未来ををどう見据えているのか」ということが、試される時期に入っているのだと思います。

◆沖縄経済の未来をつくるために必要なこと

沖縄から北海道までの距離は3000kmあります。

沖縄から南を向くと、その3000km以内に約20億人が住んでいます。北を向くと、そこには日本だけしかないので1億3千万人。昔、アジアの貧困は非常に激しかったので「世界の工場」と言われていた。しかし今や経済が著しく発展しアジアは「世界の市場」になりました。

その20億人のマーケットを、沖縄からどう捉えていくか——これが我々の生きる道を考える上で非常に重要なポイントになるのです。これから新しい業種がどんどん出てくると考えられますが、特に「交流」と「物流」、そして「情報」を組み合わせることで、ビジネスの可能性はものすごく広がる。一つの例でいうと、交流——それはすなわち観光であって、そこには情報集積が可能になります。「ここに行くと何か面白いことができるよね」という場所を作ることができれば発展途上の20億人のマーケットと、少し先を行く1億3千万人のマーケットをつなげられる。また物流でいえば、加工業ですとか、そこでつくられた製品を分解して組み立てて運ぶといった2次産業的なものが発展していくでしょう。

そういう国際交流や物流の拠点をいざ作ろうとなった場合、広大な敷地が必要になる。しかし、沖縄が元来持っていた「広くて一番良い土地」は、米軍の「銃剣とブルドーザー」で接収されています。これを早く返してもらわないことには、そうした未来に舵を取れません。

基地があったほうがいいのか、ないほうがいいのか——結論はもう出ています。基地がない方が確実に沖縄の経済は発展するんです。

◆沖縄にカジノはそぐわない

翁長さんは「ソフトパワー」という言葉をよく使います。ソフトパワーとは我々の文化のことを指します。沖縄には長く培われた歴史と文化がありますし、豊かな自然もたくさんある。しかし現状それを十分生かしきれているわけではない。いわばまだ磨かれていない原石がたくさん転がっているのです。それを磨かないうちにカジノを誘致してしまうと、まだ磨かれていない沖縄の観光の魅力が埋もれ、沖縄観光が今まで積み上げてきたものが失われてしまうという危機感を私は持っています。カジノ1つで大きく変わる可能性がある。

これまで沖縄に観光に来る人は「癒やし」を求めて来ました。それは沖縄でしか見られない美しい景色がたくさんあるからです。カジノで勝ったらうれしいかもしれないが、負けた人には「癒やし」はない。そうすると、沖縄の持つ「癒やし」の側面は失われていきますよね。「癒やしの土地」で賭博をさせるのは、長い目で見て沖縄にとって大きなマイナスになると私は思います。

それからもうひとつ、「財産」の問題があります。沖縄には過去40年間で約17兆円のお金が入ってきているのですが、その40年の間に沖縄に何が残ったのでしょうか。道路や港湾は残っていますが、何かしらの「財産」が残ったかと考えると首をかしげざるを得ません。確かに建設業は儲かったでしょう、新しい雇用も生んだでしょう。ただし、それは大手ゼネコン、いわゆるスーパーゼネコンに全部吸い上げられてしまいました。ですからカジノが来た場合も、専門業者が来て全部吸い上げてしまうことは容易に想像がつきます。カジノで雇用は増えるのかもしれませんが、カジノで雇用された人たちが、次に普通の仕事に就くことができなくなってしまう危険性もあります。

◆母港化がもたらす沖縄の未来

沖縄にとって持続的かつ発展的な産業というのは、沖縄の持つ文化や伝統芸能のポテンシャルを生かしたものであるはずです。たとえば沖縄の港を母港化するのはどうでしょうか。母港化して宮古島、石垣島、与那国島といった絶景の島をめぐるツアーをやる。クルーズというのは母港がないと滞留時間が5時間ほどに制限されるので、これではせっかく船に来てもらっても経済効果が限定されてしまう。しかし、母港化することによって、この船を乗る人があらかじめ飛行機でやって来て、必要があれば一泊し、いざ乗船するときには食料や日用品を地元で買うという需要ができる。宿泊の需要が増えればメンテナンス関連の事業や、エンターテインメント事業も生まれます。出港した船が再び戻ってきて、乗っていた人が再び宿に泊まり、翌日飛行機で帰るというような広がりも出てきます。沖縄の港は軍港でなく、大規模クルーズが可能な港にするべきなんです。

クルーズは最近アジアの需要も伸びてきています。母港化すれば、20万トン級のクルーズ船も来られるようになる。そうすると大体1つの船に5000名以上乗っていますので、その経済効果は莫大です。実際20万トン級というと、喫水としては20メートル以上必要になりますが、沖縄はこれまで基地がたくさんあったため、橋などがあちこち整備されているわけではない。これは逆に大きな船も入って来られる開発の余地が十分にあるということでもあるんです。

◆もう一度、辺野古移設にNOを!

この県知事選の後、我々は辺野古の問題を確実に止められると思っています。

現知事が承認をしたことに対する瑕疵がないか検証すれば、瑕疵はいくつか出てくるはずです。

これは一例ですが、各部局が「百条委員会ではメモをしていない」と主張しています。一般常識的に考えると、何か打ち合わせの際にはメモをするものであるはずなのですが、そのメモがないというのです。ではそのメモが出てきたらどうでしょう。我々はそうしたことを一つ一つ、あきらめずに検証していかないといけないのです。既に決まっていることは過去の問題だということを、今の官房長官が押さえつけるのはそもそもが間違っている。

この基地移設問題については、そもそもが普天間が市街地の中にあって危険なので早期除去するべきだとなって、その際「軍民共用化」と「15年の期限」の2つを謳ったんですね。

軍民共用化ということは、民間機も降りられるということ。つまり、当初の辺野古案は北部振興につながる側面があったんです。「北部の経済が今落ち込んでいる状況下で、15年間米軍に貸しておけば、15年後は完全に民間空港になる」という話だった。つまりこれは沖縄の「財産」になり得る話だったんです。だから15年間は我慢しようよと。もう70年近く我慢しているわけですから、15年くらい我慢しようとすればできたんです。

でも、今辺野古の話はその当時とは根本的に異なっています。未来永劫、我々の手が出せない、文句も言えない場所が沖縄にまた一つ増えるんです。

かつて、稲嶺さんが知事を辞めるときに「沖縄の人たちは、沖縄のその島の下に大きなマグマが煮えている。これがいつ爆発するかわからない」と言って降りたんですね。一方、仲井間さんが知事になって、我々の知らないところで基地の設備や運用がどんどん強化されていってしまいました。これではやはり信頼をなくしてしまいますよね。

他方で、鳩山首相が「最低でも県外」と発言したことは沖縄にとってインパクトが大きかった。結果は残念でしたが、あの鳩山発言があるまでは沖縄県民といえども「基地がなくなる」ことを実際に想像し難かった部分があると思うんです。しかし一国のリーダーからそうした発言があったことで、我々もあきらめてはいけないなと奮い立つ材料になりましたし、ものすごく勇気づけられたんです。

仲井真さんは今「辺野古に基地をつくれば、危険の除去をすると同時に面積も小さくなる」という話をしています。「基地の整理縮小」というからわかりにくいのですが、要するに代替施設を求めているわけなんです。今の普天間に船は着けられません。V字型滑走路もありません。そこから考えれば辺野古に移すことの意味が見えてきます。辺野古移設というのは単なる施設の移設ではない。コンパクトに軍事強化するということがこの問題の本質なんです。これは絶対に阻止しなければいけない。

みんな言っていることがあべこべで、我々はすっかり政治不信に陥っています。国会議員に騙され、沖縄の自民党にも騙され、知事にも騙された。それで県民が怒らないわけがありません。それが、今の世論調査の結果や、翁長さんがセルラースタジアムで開催した決起集会での1万5000人近い動員に表れているんだと思います。

◆安全保障とは「防衛」と「軍事」のことではない

我々が本土の人たちに対して思うのは、「国を守る」ということは一体何なのかということについてもっと意識を高めてもらいたいということです。

それは軍事強化という意味ではありません。「自国は自国で守るんだ」という意識を持ちながら、じゃあどんな国にしたら自国のことを守れるのか、という部分を考えてもたいたいということなんです。

安全保障というとつい我々は防衛と軍事のことばかり考えてしまいますが、安全保障とは経済や文化交流のことでもあるんです。複雑な歴史的経緯がある以上、日本とアジアの国々が簡単に仲良くできないことは事実です。しかしそれを重々承知した上で言うと、まず我々は隣国に対して「よろしくお願いします」の気持ちを持たないといけないのです。今基地問題の話になると、すぐに「脅威」という言葉が使われます。脅威という言葉は恐ろしいもので、イタチごっこのニュアンスがあるんですね。脅威という言葉が使われるような国の間柄で、一番被害を受けるのはその両者の国民なんです。なぜか? これはシンプルな話です。軍事費が上がれば上がるほど、福祉や教育、文化といった国民の豊かさに関わる予算が削られてしまうのですから

こうしたことを考えに考えていると、軍事なんて一つもない方がいいような気さえしてきます。しかし一切ないわけにいかないから、やっぱりつくらないといけない。だとしたら、つくる前にきちんと国民一人ひとりが「我が事」として考えなければいけないことがありますよね、という話なんです。

◆差別よりもひどいこと

私は大学時代東京で暮らしていました。その頃は沖縄なんて誰も知らなくて、毎日のように差別を受けていました。同じ学校に行っても「あ、平良くん珍しいね、靴履いてるんだね」とか「洋服持っているんだね」といった具合です。今考えると、非常にひどい話ですよね。そんなとき私は「ああ、持ってるけど」なんて言って、さらっと受け流すようにしていました。そんな揶揄にいちいち反発していたら喧嘩になっちゃいますからね。そういう経験を自分もずっとしてきた。でもね、差別というのは、自分が乗り越えれば差別にならないんですよ。差別を言った人よりも自分がもっと大きな存在になれば、差別は乗り越えられる

翻って今の沖縄が置かれている状態を考えると、沖縄に対する「差別」は少なくなった代わりに日本政府から「無視」されるようになった。無視されるほどつらいものはないですよ。

建白書問題もそうでした。あの建白書に沖縄41市町村の議長全員が押したことは事実です。それを安倍総理に持って行って、彼はそれを受け取った。間違いなく沖縄県民の民意だったわけですから普通は重く受け止めますよね。ところがそれを無視して、半年も経たないうちにオスプレイが12機飛んできた。今や24機になっています。これを「無視」と呼ばずして何と呼びましょう。こんなことをやっていて、日本の社会が持つのかと危機感を感じずにはいられません。

一括交付金の問題がクローズアップされることで「お金さえあげていれば沖縄は安全保障のリスクを請け負い続ける」という間違ったメッセージが全国的に行き渡ってしまっているようにも感じています。ブラジルをはじめ、ボリビア、アルゼンチン、ペルーといった国には我々の移民が多くいます。彼らは沖縄人としての誇りを持って向こうで日々生きているわけです。一番怖いのはその人たちに「沖縄の人はお金をあげればなんでもいいんだね」という凶悪なメッセージが伝わることです。彼らの誇りを傷つけてしまう。これはどの国、どの民族でも普遍のことだと思いますが、自分たちの「誇り」は守らなければいけない。同時に誰かの「誇り」も尊重しないといけないんです。

◆今沖縄が求めるもの

沖縄が本土に求めるものは何か。一言で言えば規制緩和です。中央とこんなに離れていて、風土も違うんだから、下水規制も、消防法・建築法も、取っ払ってしまえばいいはずなんです。なぜ沖縄に、東京のど真ん中と同じ厳しい建築法が適応される必要があるのでしょうか。そこに意味がほとんどないことはすぐにご理解いただけますよね。

そういう細かいルールは、地域に任せておけばいいと私は考えます。特区的なものになるのかもしれませんが、沖縄の特性を生かしたことをやりたい。

中央のルールに則った建築をやってきたことで何が起こったか。沖縄のどこの地を見ても同じような建物ばかりになり、沖縄らしい風景は失われていきました。人も行かない道に東京と同じ造りの道路を敷いていったい何になるというのでしょう。町並みの魅力は、長い目で見ても地域のパワーになります。これこそが将来に続く大きな「財産」であり、「ソフトパワー」であるわけで、「住んでみたい街づくり」というのはやはり地元の人によってなされないといけないものです。そして、街をつくっていくときに一番邪魔になるのがやはり基地なのです。

これからの沖縄に必要なのはイデオロギーではありません。よく翁長さんが「腹八分、腹六分」と言っているんですが、それは政治で腹いっぱい食べようと思ったらイデオロギー優先になるということなんです。沖縄人が沖縄人としてのアイデンティティを持って自立していくために「オール沖縄」——新しい沖縄保守、新しい沖縄リベラルと言った方がいいのかもしれませんが、そのような集団をつくっていきたいと願っているんです。

翁長さんならその集団をしっかり結び留めることができると思います。政治家の家に生まれ、子どもながらにいろいろなものを見て育って現在に至るわけですから。翁長さんは「沖縄はこう生きなければいけない」ということを一番よくわかっています。あんなに芯が強く、ぶれない人も珍しいです。30年一緒にいてただの一度もぶれたことがありません。

世の中でリーダーの存在が重要なのは言うまでもありませんが、すなわち沖縄に今一番必要なものは、安心して我々の信頼を預けることができるリーダーなのです。

翁長さんが当選したとしても事態が解決するわけではありません。むしろ、そこからが大きな戦いになります。しかし翁長さんならきっとやり遂げてくれると信じています。

著者プロフィール

平良朝敬
たいら・ちょうけい

かりゆしグループCEO

1954年生まれ。沖縄県具志川市(現うるま市)生まれ。昭和51年有限会社ホテルなは(現株式会社かりゆし)入社、平成2年代表取締役社長就任、平成22年代表取締役会長就任(現職)。かりゆしグループ(12社)のCEOを努める。一般社団法人日本ホテル協会本部理事。一般社団法人日本ホテル協会沖縄支部支部長。一般社団法人沖縄県ホテル協会会長。

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