【撮影:初沢亜利】
1.驚愕の裏事情
選挙の事後取材で沖縄にいる。沖縄の政界と日本の政界の、裏の裏まで知りつくしたある人たちに会い、今回の選挙戦について詳しく話を聞いた。仰天するような話が次々に出てきた。彼らの思いこみや誤解などももちろんあるだろうが、腑におちる話ばかりだった。沖縄について自分の書いてきたことに何の意味があったのか、と半ば絶望的な気分になる部分もあった。自分も含め、「ポリタス」に執筆した論者はみな一様に「本当のこと」に触れていない。いや、本当のことを知りながら、あえてそれに触れない論者もいる。つくづくバカらしくなった。だが、バカバカしいとしても、やはり「間違い」は明らかにしておかなければならない。それは自分にツバをするような行為も伴うためけっこうな苦痛だが、今ここで言わなければ言う機会を永遠に失いかねない(ただし、とてもじゃないが、裏事情そのものには触れられない)。
2.本質は「沖縄vs日本」ではなく「カネと権力」
「ポリタス」で展開されたもっとも魅惑的かつ危険な論調は、「今回の選挙戦で、<沖縄vs日本>が明らかになった」というものだった。それについて筆者は、翁長氏の保守政治家としてのキャリアを引き合いに出しながら、真っ向から反論を試みたつもりだ。来年早々、新潮社から出版される沖縄に関する拙著(新書)では、これについてもっと詳しく論じている。だから、ここでの詳細な説明は省くが、これだけは言っておきたい。
「沖縄vs日本」が顕在化・先鋭化したのではない。「沖縄vs日本」という構図を皆が積極的に演じているのだ。
真相を敢えて一言でいうとすれば、これしかない。
【撮影:初沢亜利】
翁長氏一人を標的にしているのではない。仲井真氏は翁長氏が見本にしてきた人物だし、前回「ポリタス」で筆者が高く評価した下地氏さえ、この猿芝居の重要なキャストだ。永田町や霞ヶ関で活動する自民党・民主党など既成政党の幹部連、防衛省、外務省、財務省などの高官も同じ舞台の上にいるか、舞台の袖に控えている。この芝居を動かすエネルギーは、一言でいえば「カネ」と「権力」(または権限)である。
「本質はカネと権力をめぐる争奪戦」などというと、自分でも恥ずかしくなるくらい陳腐だと思うが、残念ながら落としどころはそれ以外に見あたらない。越山会や経世会に遡る、利権主義と温情主義をモザイクのように組み合わせた旧時代の政治算術こそが沖縄政治の現状なのに、その現状から離れたくない人々や、その現状を正しく認識しない人々が、差別論・独立論・民族論を振りかざしながら、侃侃諤諤とやっている。
【撮影:初沢亜利】
その芝居の影のプロデューサーであるアメリカは、まるでモノクロ時代のコメディ番組でも楽しむかのように、ポップコーンをほおばりながらカウチで大笑いしている。そういうことだ。
筆者は、「カネと権力」の問題だからバカバカしい、といっているのではない。カネと権力の問題は、政治過程に参画する者なら避けられない茨の道で、とても切実だ。カネと権力の問題なのに、安保の問題だとか、民族のアイデンティティの問題だとか、思想の問題だとか言っているその姿勢がバカバカしく思えてきたのである(過去の自分も含めてのことだ)。
3.「振興資金は基地負担の代償」が通らない沖縄
奥歯にものが挟まったような言い方をするな、とお叱りを受けるかもしれないから、別の言い方を考えよう。
世の中には、真相でも実態でもないのに、たんなる「伝説」が事実として罷り通っている事例は枚挙に暇がない。たとえば、「南北戦争の主目的は奴隷解放」ではない、と歴史の時間に学んでいるはずなのに、この戦争を奴隷解放の聖戦だと思いこみたい何千万という人々が存在し、コトの真相をベールで覆い隠して平然としている。あるいは、北ドイツ関税同盟に端を発するEUの主目的が、国家統合そのものではなく経済的安定と繁栄だと夥しい数の研究者が明らかにしてきたのに、国家統合という理想だけが先走っている。あるいは、合理的に考えれば神武天皇の存在はきわめて疑わしいのに、神武天皇を国父と崇め奉れと主張する人が後を絶たない。
いや、こんな説明レベルじゃダメだな。もっと簡単に説明しよう。
又吉イエス(光雄)という方がいる。とても失礼な表現だが、「泡沫候補」として有名な人物である。沖縄県知事選などに何度も立候補したが、ご本人が思ったように得票が伸びず、沖縄を見切りにつけて東京に転居し、東京都知事選などに出馬しつづけている(最近は目立った活動はない)。
沖縄の米軍基地にも辺野古移設にも反対の立場をとる又吉氏だが、彼の政治資金は軍用地収入だ。そのことは、自身のWebで包み隠さず公開している。基地に反対している人物の政治資金が基地からの収入という矛盾を許せないと怒る人もいるかもしれないが、筆者は彼をとても立派だと思う。議員や首長に選ばれてもいい人物だ。なぜなら、彼は自分の矛盾を引き受ける覚悟ができているからだ。矛盾を認めながらも、彼は基地に反対する。その姿勢は潔い。基地がなくなれば彼は政治活動ができなくなるが、それでも彼は基地に反対したいのである。そして、何より素晴らしいのは、自分のその矛盾を隠そうとしないところだ。
驚くべきことに、「振興資金は米軍基地の代償ではない」というのが、沖縄県の公式見解である。誰もが振興資金は基地負担の代償だと思っているし、それがまた真実なのに、沖縄の政治家や官僚などオフィシャルな立場の人たちは、この事実を容易に認めようとしない。たしかに、振興資金の名目は「長期の米軍統治によってインフラ整備、社会制度の整備が遅れてしまった沖縄に対する補償措置」だが、米軍統治は27年、復帰から流れた歳月は42年。インフラ整備も社会制度の整備もほぼ終わっている。振興資金は、今や沖縄の基地負担の代償以外のナニモノでもない。にもかかわらず、それを認めないというのは、「沖縄は基地で潤っている」と思われたくないからだ。あるいは「基地がなくなれば振興資金もなくなる」という事態を避けたいからだ。だが、事実の歪曲はいつまでもつづけられるものではない。
【撮影:初沢亜利】
まずは「振興資金は基地負担の代償」と認めるのが出発点だ。嘘を根拠にすれば、その嘘はさらに別の嘘によって塗り固められていく。認めたくない気持ちもわからないではないが、事実を認めた上であらためて主張を展開するのが「筋」であり、沖縄県民、日本国民に対する責任である。筆者は、この「筋」を通さないあらゆる主張に「ダメ出し」すべきだと言いたいのである。
その点、又吉氏は立派だ。お金に問題があることを堂々と認めた上で、持論を展開している。沖縄のリーダーたちにいちばん欠けている資質だ。
4.結論=沖縄は何も変わらない
さて、結論。「又吉イエスまで引っ張り出してきてグダグダとわけのわからんことを書いている」と感ずる読者もいるだろうが、今回の選挙で何が変わって何が変わらなかったか、という点についての筆者の見解はきわめてシンプルである。
沖縄は何も変わらない。沖縄問題も何も変わらない。
【撮影:初沢亜利】
では、変わるために何をなすべきなのか。処方箋の一部は、すでに上に書いたが、何よりも沖縄問題の本質を「カネと権力」の問題として捉え直し、もう一度仕切り直そう、ということだ。それ以上でもそれ以下でもない。実に単純なことだ。単純なことは意外なほど難しいこともよくわかっているが、これ以外に出発点はない。「乞うご期待」といいたいところだが、なんだか後ろ髪を引かれる思いだけが残る。