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【沖縄県知事選】映像で見る普天間基地移設問題

  • ポリタス編集部
  • 2014年11月17日

11月16日に投開票が行われる沖縄県知事選挙。今回の選挙で最大の争点となっているのが普天間基地移設問題。普天間基地の問題がどこを起点とするのか断定するのは難しい部分がありますが、本稿では1995年に起きた3名の米軍兵士による少女暴行事件をスタートに、時系列にそって普天間基地移設問題を独自の取材映像とともに追いかけていきます。

1995年9月、沖縄県に駐留する米兵3名が、12歳の女子小学生を拉致したうえで集団強姦するという事件が起きました。しかし、日米地位協定の壁に阻まれ身柄が引き渡されず、県内では怒りの声が高まります。それを象徴するできごとが同年10月に普天間基地からも近い宜野湾海浜公園で開催された県民総決起大会です。これには8万5千人もの人が集まり、本土復帰後最大規模の県民集会となりました。この集会の映像は現在でも折にふれてさまざまなところで引用され、普天間問題のきっかけとして認識されています。

1997年12月に行われた名護市における海上ヘリ基地建設の是非を問う市民投票では反対票が上回ったものの、その直後に当時の名護市長が基地受け入れを表明します。名護市民をはじめ沖縄県民に衝撃を与えたこの受け入れ表明でしたが、この時点で実質的に名護市に基地が移設されることが政府の前提となり、特に辺野古地区の人々が国や県、アメリカの思惑に翻弄されていくことになります。

2004年8月、普天間基地に配備されているCH-53型ヘリコプターが、基地に隣接する沖縄国際大学に墜落。学生、教員などに負傷者は出なかったものの、ヘリは大破、周辺の住宅地では窓ガラスが割れるなどの被害が出ました。しかし事故直後に駆けつけた米軍によって、警察や大学関係者が現場から排除されてしまいました。この事件によって沖縄県民の米軍基地に対する反発が高まり、改めて日米地位協定の見直しが叫ばれるようになります。この事故は、その後のオスプレイ配備や、普天間基地の辺野古移設への懸念とともに、米軍基地反対の声へとつながっていきます。

2006年11月19日、県知事選挙で仲井真弘多氏が初当選。現在まで続く仲井真県政が誕生します。

2007年の7月にはヘリパッド建設に反対する住民らが中心となって、東村高江にある北部訓練場のゲート前で座り込みが始まります。県内でもあまり関心が高いとは言えない高江のヘリパッド問題ですが、翁長氏が建設反対を公約にもり込んだこともあり、辺野古への新基地建設とあわせて、今後注目を集める可能性があります。

2009年9月、民主党への政権交代が起こり、鳩山由紀夫首相が誕生。「普天間基地は県外移設が前提」と明言し、混乱の原因とも言われる「最低でも県外」との公約で実現した政権交代でした。しかし同年5月に初来沖した際に、それまでの県外移設との考えを覆し、「県内移設」を表明、政権への反発の声が大きくなります。同年11月28日には沖縄県知事選挙が実施され、それまで基地移設容認の立場だったから仲井真知事が「県民の反対も根強く、辺野古への移設は事実上不可能」と移設反対の考えを示し、再選を果たします。

2012年の夏に米軍は安全性に対する懸念の声もある新型の輸送機「オスプレイ」を普天間基地に12機配備することを発表、日本政府は「装備における重要な変更」にあたらないとし、その配備を容認します。しかし同年9月には「オスプレイ配備に反対する沖縄県民集会」が開催、主催者発表で10万1000人もの参加者を集めますが、同年10月1日に普天間基地にオスプレイは強行配備されました。

2013年1月28日、「建白書」が、安倍首相立会いの下、菅官房長官に手渡されました。この「建白書」では「普天間基地へのオスプレイの配備撤回」「普天間基地の閉鎖と辺野古、県内への移設の撤回」が求められており、沖縄県内全41自治体の首長、議長による署名がなされたものです。しかし当時の石破幹事長を始めとした自民党幹部は同年11月、県内移設に反対していた複数の沖縄県選出の国会議員と自民党沖縄県連に対して、辺野古移設を容認するように要求。議員、県連はこれに従う形で移設容認を受け入れ、同年12月には、仲井真知事が辺野古沖海上部分の埋め立て申請を承認しました。

2014年7月1日、キャンプ・シュワブ内陸部での埋め立て準備工事が始まったことが確認され、8月18日にはボーリング調査が開始されます。同月23日にはキャンプ・シュワブのゲート前で移設に反対する初の大規模集会が実施、主催者発表で3600人が参加しました。さらに翌9月にはおよそ5500人を集めた抗議集会が行われ、知事選への出馬を表明ばかりの翁長氏も参加しました。

同年9月に行われた名護市議会議員選挙では、移設に反対する市政与党が過半数を維持、あらためて名護市民の移設反対の民意を示す結果となりましたが、移設反対派が前回選挙と比べて1議席減。名護市の複雑な状況が垣間見えた選挙となりました。

このように激しい紆余曲折を経て迎えた今回の知事選、県内ではこの知事選で普天間基地の辺野古移転に対する県民のひとつの答えが示されるとの雰囲気が強く、この知事選の結果が、沖縄における基地問題のひとつのターニングポイントとなりそうです。

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ポリタス編集部
ぽりたすへんしゅうぶ

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