ウォーキングがてら、街なかに出向こうとしたら、あちこちの電柱にそれまで目にしなかった赤地のポスターが貼られていた。いわく「共産党支配のオール沖縄!!」——。
おそらく一夜にうちに貼りまくったのだろう。その横にはさらに目立つ看板が立てかけられている。これには、「共産主導の県政にするな。流れをとめるな! 革新不況にするな」とある。
近年の選挙で必ず見かけるネガティブ・キャンペーンの一種で、政策は一切示さず、文字のみで相手陣営を誹謗するのが常套手段だ。
1998年の県知事選で敗れた大田昌秀氏が「県政不況」というこの手のポスターをいたるところに貼られた経緯は記憶に新しい。
選挙のたびに現れるこの「名物ポスター」が今回も登場したわけだが、誰が貼ったかは不明である。しかしこの日、候補者4氏のクロス討論を掲載した地元紙(11月11日付、沖縄タイムス)に、仲井真弘多氏は以下の質問を翁長雄志氏にぶつけている。
「あなたは共産党の徹底支援を受けながらオール沖縄と主張されているが〜」
例のポスターがどの陣営の意向を汲んで仕掛けられたのかは、この一事をとっても明白といっていい。
◆中央従属型の保守と沖縄独自の伝統保守
今回の選挙の最大の特徴は保革の枠で語れなくなったことに尽きる。それをもって保守分裂といわれているが、はたしてそうか。
保守と称しても、本土の自民党と沖縄の自民党は発祥が異なり、本来別の組織である。合流したのは本土復帰を目前に控えた1970年。ただし、沖縄の保守は中央とは異なる政策課題を常に抱えながら今日にいたっている。いうまでもなく基地問題である。
復帰後に行われた知事選で保守系は7勝しているが、特徴的なことは、どの県政も基地の整理縮小を求め、新たな基地の建設を認めなかったことだ。
唯一、稲嶺県政だけが基地建設を容認したが、知事選では「代替施設の使用期限は15年」という公約を掲げ、事実上、新基地建設を断念させている。
要するに、どの保守県政であれ、基地拡張については断じて「NO!」であった。
この点、沖縄の保守は基地反対を唱える革新と一定の親和性があったといえるし、基地問題に関しては国と事を構えることも辞さない立場さえとった。いいかえれば、そういう確固たる姿勢を保革が貫いたからこそ、沖縄は政府のいいなりにはならず、沖縄であり続けることができたのである。
その「伝統」を根底から覆したのが、昨年末に埋め立てを承認した仲井真現知事であった。今回の知事選で保革の枠組みが大きく変わった理由はその一点に尽きる。
現在の沖縄の保守の構造を整理すると、「政府とは事を構えない方がいい」と常々主張してきた仲井真氏は、政府に軸足を置く「中央従属型の保守」、一方の新基地建設に反対する翁長氏は地元に軸足を置き続ける「沖縄独自の伝統保守」になろうか。
◆保革対決は争点ぼかし
この点からみても、今回の知事選は単純な保守の仲間割れなどではないし、むろんこと、保革の対決でもない。
にもかかわらず、仲井真氏は革新勢力が翁長陣営を支援していることを理由に、この選挙は「保革の対決」だと主張してやまない。
「革新不況」「共産主導」というネガティブ・キャンペーンもそれゆえの手口だろうし、なにがなんでも保革の対決に仕立てあげたい仲井真陣営の争点隠しための戦略と見ていい。
ところで、伝統保守にも変化がうかがえる。2012年の11月の朝日新聞の取材に対して翁長氏はこう答えている。
「沖縄に経済援助なんかいらない。税制の優遇措置もなくしてください。そのかわり、基地は返してください。国土の面積0.6%の沖縄で在日米軍基地の74%を引き受ける必要は、さらさらない」
そこまで言い切れる背景には新都心や北谷における基地の跡地利用の経済効果の実績があるからだろうが、革新でもいえないようなことを明快に答えている点が印象的である。
ともかくもこういう一連の動きが、現在のオール沖縄という潮流に集約されていることだけは間違いない。
沖縄の政治潮流は大渦を巻くように潮目が変わりつつある。繰り返すようだが、その流れを変えたのは埋め立てを承認した現知事である。したがって、今回の知事選は「新基地建設問題」こそが争点になる。
後世、あのときどの候補者に投票したのか問われるほどの重要な選挙である。沖縄が沖縄であり続けるためにも、ゆめゆめレベルの低い争点ぼかしのデマゴーグに乗ってはならない。