「少子・高齢化」の最先端を走る東京都――その地域課題を解決に導くのが知事の果たすべき役割だろう。
保育所不足は、少子化を促進させる大きな要因である。就労継続の難しさや育児不安が出産をためらわせる。政策の不備が、女性陣の出産への不安を招いた。その結果が少子化といっても過言ではない。
都知事選で主要候補がそろって保育所の待機児童問題を取り上げたのは初めてのこと。これは全国共通の悩み事ではない。大都市特有の現象だ。なにせ全国で一番待機児数が多いのは世田谷区なのだ。
高齢者ケアでは、特別養護老人ホームの待機者数が注目されるが、認知症ケアにとって最も必要なのはグループホーム。その整備率が都道府県別で全国最低レベルを続けているのもが東京都である。
目を向けるべきは、「空き教室」
保育所も高齢者施設も用地不足が喧伝されるが、果たして本当だろうか。
少子化によって児童・生徒数が減った小中学校は相当に「ゆとり」がある。1学年に1クラスしかない小学校は都内で珍しくない。校舎がコンクリート造りになった1970年代以降、都内の小学校児童数がピークになったのは1979年。103万397人に達していた。それが35年後の2014年には55万8337人と半分近くに減少。
不要の教室を抱えているはずなのに、たまにしか使わない「ランチルーム」や「郷土資料室」「第2音楽室」など新たな教室名が並んでいる。「空き教室」を存在させないことにした、文科省や教育委員会の指導の賜物だろう。
この実質的な空き教室を保育所や高齢者施設に転用すれば、その増設はたやすい。廃校になった小中学校を保育所やケア付き住宅、特養などに活用した事例はある。単純に考えれば、小学校の半分近くは不要。それを保育所併設の高齢者施設に再利用、あるいは建て替えれば一挙に解決に近付く。簡単な引き算と足し算の世界である。
学校施設を所管するのは文科省。福祉施設は厚労省の担当だが、地域住民のために両省の枠を突き崩すのが自治体の役割だ。知事には突破力が試される。
そんな視点から候補者の政策を眺めると、どの候補も保育所と高齢者施設の増設を謳うだけで、具体策には届いていない。選挙期間中にテレビカメラを引き連れて保育所巡りをして勉強に励んでいるようでは、とても政策作りに間に合うはずがない。訪ねるなら、「空き教室」がふんだんにある小中学校だろう。
待機児童対策として保育所の「受け入れ年齢、広さ制限の規制緩和」を掲げ、少しばかり具体策に言及しているのは小池百合子候補。また、「あらゆる都内遊休地空間を利用し、保育施設、介護施設不足を解消」としており、この「遊休地空間」に「空き教室」が念頭にあればいいのだが。
鳥越俊太郎候補は保育所と特養ホームの整備に加え「給与・処遇の改善」を主張するが、その上げ幅や改善方法、それに財源などには言及していない。増田寛也候補は、待機児童解消のために「緊急プログラムを策定」とあるが、その中の「保育士の処遇を大幅に改善(給与アップ、家賃補助)」に具体策はない。
保育と高齢者ケアこそ「福祉」からの脱皮を!
保育士の配置数や面積、避難路などさまざまな設置基準を国基準とは別に、自治体が独自基準を設けて民間企業を呼び込み、待機児童減らしを成功させたのは横浜市。民活である。待機児童のトップ都市の汚名を一時的に返上した。東京都もそれに倣い、「認証保育園」を独自事業として始め、相当の成果を上げていることは確かだが、まだまだ供給不足が続いている。
保育も高齢者ケアも共に、かつての「福祉」の枠内では対応でき難くなった
保育も高齢者ケアも共に、かつての「福祉」の枠内では対応でき難くなった。必要とする利用者が住民全体に広がれば、一般サービス業の発想が必要となる。
児童福祉法や介護保険法はあくまで国の全国ベースの法体系だ。核家族で共働きの若い世帯と独居の老年世帯が大量に併存するのが首都圏であり、東京である。
都会のライフスタイルは女性の就業率を高め、保育所の需要を引き揚げるにつれ、出生数の減少スピードを加速させる。在宅ケアの浸透に追い付かないほど、介護施設を必要とする独居と高齢者夫婦だけの世帯も増加する一方だ。
共に、保育所と高齢者施設の絶対的な需要増は避けられない。しかも高齢者ケアの予備軍として群れをなす団塊世代が控えており、首長にとっては喉元に突きつけられた刃のような課題だろう。
残念ながら、3候補とも社会福祉法人主導の「福祉」政策から抜け出していない。保育と高齢者ケアを普通のサービス事業に近付ける仕掛け作りが求められている。