東京都民ではない私が都知事選の報道をチェックしている理由は何か――。改憲をめぐる与野党対決という「民共」フレームで見ているからでも、日本の首都が心配だからでもない。メディア政治の興味深い事例として、その帰結を見つめている。
都知事選はアメリカ大統領選に似ている
メディア報道から受ける有力候補のイメージでは、元総務相の増田寛也が元国務長官ヒラリー・クリントンに、1940年生まれのシルバー左派・鳥越俊太郎が1941年生まれの社会主義者バーニー・サンダースに、自民党都連に造反した元防衛相・小池百合子が共和党主流派と対立するドナルド・トランプにダブる。同じ女性候補としてクリントンと小池を重ねる向きもあるだろうが、それはやや政治的センスに欠ける。「ウォール街の候補」とも呼ばれるクリントンは、自公などが推す増田と同じく現状維持の体制派である。一方、都議会の冒頭解散を公約する小池の造反モードは、トランプの現状打破イメージに近い。もちろん、選挙イメージに限った話である。イデオロギー的に見れば、鳥越がサンダースほど確信的な社会主義者でないように、小池の世界観もトランプとはまったく異なるだろう。
これまで、私は常識的に見てアメリカ大統領は最終的にクリントンだと考えてきた。しかし、東京都知事選も終盤を迎え、「革新」候補トランプの可能性もありそうな気がしてきた。というのも、有権者の直接投票で選ばれるという点で、東京都知事はアメリカ大統領とよく似ているからだ。また、内閣総理大臣と違い、議会選挙の結果に拘束されることなく4年間の任期が保障されている。地域的限定であるとはいえ、首相以上に独裁的な地位を有しているとも言えるだろう。
他方、選挙期間の長さは米大統領選とはまるで異なる。予備選前の立候補表明から2年間も続く選挙戦中、大統領候補は人柄から政策まで厳しい審判が繰り返される。他方、東京都知事選は公示から投票までわずか17日間、立候補のタイミングさえ「後出しジャンケン」が有利と言われるくらいで、ほとんど政策論争さえ成立しない。既存の知名度が最重要なのだ。実際、今回の有力候補3人のうち鳥越、小池は元ニュースキャスターであり、官僚出身の増田もコメンテーターとしてテレビで顔が売れていた。
背中合わせにもたれ合う与野党
もちろん、SEALDsが応援に駆けつける「野党共闘」候補の鳥越にも、アメリカの若者が支持したサンダースと同じ程度に可能性はあったはずだ。しかし、「野党共闘」の選挙戦略は本気で勝とうとしているように見えない。ウェブ上にアップされた鳥越陣営の街頭演説では、「戦争法反対」ステッカー付のマイクで「改憲反対」のスローガンが参院選と同様にくり返されていた。
野党のやり方は、「よく健闘した、次は頑張ろう」と自らを慰める言葉が予め用意されている運動なのである
東京都民の多数票を本当に集める気があるのなら、安保法制や憲法改正など世論が二極化している国政上の争点に手をのばさず、教育や福祉などの政策に重点を置く有権者目線の戦い方があるはずだ。それを承知で「護憲」をここで唱えることは、「負けるための大義名分」にしか見えない。
野党のやり方は、「改憲勢力」と争って大敗した先の参議院選挙でもそうだが、「よく健闘した、次は頑張ろう」と自らを慰める言葉が予め用意されている運動なのである。
旧来の敵対関係がまったく予想通りに繰り返し報じられることで、対立状況は儀式化されて制度の一部となっている
それ以上に問題なのは、こうした選挙戦をあたかも「国論を二分」するかのごとく報じるマス・メディアである。そうした報道こそが真の社会変化を見えなくしている可能性について考えるべきだ。旧来の敵対関係がまったく予想通りに繰り返し報じられることで、対立状況は儀式化されて制度の一部となっている。この状況下で敵対する与野党もお互いにそう意図していなくても、結果的には現状維持勢力となり、その点で両者は共犯関係にあるわけだ。だとすれば、都議会を冒頭解散させると公約した小池候補の「革新」の選挙戦略はこの急所をうまく突いている。与野党が背中合わせにもたれ合う都議会は、もっともわかりやすい現状維持勢力の表象だろう。
もっとも、選挙戦略として優れていても、政治戦略として望ましいとは到底言えない。たとえ都議会が選び直されたとしても、その構成は解散前とほとんど変わらないはずである。それが政治の革新ではなく停滞をもたらす可能性は大きい。
繰り返される「反対」はむしろ政治の安定に貢献している
有権者が本心から社会を変えることをのぞむならば、その候補者が何に反対しているかよりも、彼らが何になら合意できるかに注目すべきだろう。討議の足場となるのは「反対」ではなく、部分的な「同意」である。繰り返される「反対」はむしろ政治の安定に貢献している。「反対」から政治を現実に動かす可能性は生まれないのである。