ポリタス

  • ハイライト
  • Photo by 中西求

ぼくは民進党に入れる

  • 東浩紀 (作家・思想家)
  • 2016年7月8日

参院選で、だれに、あるいはどこに入れるか。いままでぼくはこういうとき、いつも言葉を濁してきた。そして棄権を匂わせてきた。だから今回も同じだろうと思うかもしれない。けれどもじつは今回は違う。ぼくは棄権はしない。白票も入れない。ぼくは民進党に入れる。選挙区も比例区も民進党に入れる。

なぜか。理由は消去法だが、はっきりしている。まずぼくは、数年で消える政党にはほとほとうんざりしている。ぼくは1971年生まれだ。1990年代に選挙権を手に入れたぼくの世代は、有権者になって以降、ずっと政界再編でずっと新党ブームを経験している。もういいかげんにしてくれという気持ちがある。だから、最低でも10年前から存在し、そして10年後にも残っているであろう政党に投票したいと思う。この時点で、自民党、公明党、共産党、そして(名前は変わってしまったが)民進党しか残らない。社民党は、あまりに党勢が衰えているので、申し訳ないが10年後に残る可能性は小さいと判断した。

ではどうするか。ぼくは現政権に批判的である。安倍政権の権威的で愛国主義的なイデオロギーは許容できない。ネトウヨは喜んでいるのかもしれないが、ジャーナリズムや表現の世界には明らかな影響が出ている。アベノミクスも成功していると言えないし、五輪そのほかで明らかな腐敗も見えてきた。それゆえ、現政権を支える自民党には入れない。同じ理由で公明党にも入れない。

他方で共産党にも入れる気にならない。理由は2つある。第一に共産党は本気で政権を取る気がない。それは政策一覧を見ればわかる。夢ばかりだ。第二に共産党の党是である護憲が承認できない。憲法は、国民が政府の行動を制約するために存在している(立憲主義)。だとすれば、憲法は、普通の国民が理解できる普通の日本語で書かれなければならない。一部の憲法学者だけが理解できるような特殊な用法があってはならない。そして普通の国民が普通に読めば、現行の9条は明らかに自衛隊の存在と矛盾している。この矛盾を放置し、一部学者の特殊な解釈を金科玉条のごとく掲げて(それは解釈改憲ならぬ解釈護憲と呼べる)、9条と自衛隊の両立を説く護憲は、すべて欺瞞だとぼくは考える。

以上で4つのうち3つが消え、消去法で民進党だけが残る。10年前から存在し、10年後にも残っている政党で、現政権に批判的で、まがりなりにも本気で政権奪取を目指しているように見える政党は、民進党しかない。だから民進党に入れる。




この判断はまちがっているかもしれない。実際には民進党は数年後には消えるのかもしれないし、そうでなくとも政権奪取の可能性はもうないのかもしれない。民主党政権時代の失敗については、ぼくも深く失望している。

そもそも、以上のように考えるぼくにとって、今回の選挙戦で、民進党が共産党中心の野党共闘に巻き込まれたことは致命的な事態だった。共産党は、政権への批判票の受け皿としてのみ党勢を拡大しており、そしてそれでよいと開き直っている。だから他党と共闘ができる。民進党もそれに乗った。

これはいっけん「現実的」な戦略のように見えるかもしれない。実際そのように評価するひとも多い。しかし、本質はむしろ五五年体制への回帰である。かつて自民党が圧倒的に強かった時代、野党(そして野党側についた言論人やマスコミ)は、ただ自民党に「お灸」を据えるためにのみ、つまりは自民党に自己改革を促すためにのみ存在した。しかしそれは不健康な共依存を生み、政治文化の全体を腐らせた。だからこそ1993年以降の長い政界再編があり、民進党を含めさまざまな新興政党の苦闘があった。それなのに、ここに来てその歴史があっさりと忘れられようとしている。今回共産党が共闘の中心になったことは、この国の政治文化を、一気に何年も、あるいは何十年も巻き戻してしまったのではないか。嫌なことがあったらとりあえず反対とさえ言っておけばいい、お上はそれを無視できないはずだから、そして面倒なことはお上が考えてくれるはずだからといった、じつに幼稚で、そして徹底的に権力に依存したメンタリティに、多くの市民を引き戻してしまったのではないか。実際にSEALDsのような新しい世代も、7月4日の公式サイトへの投稿で、野党への投票は自民党の自己改革を促すためにすぎないと明言している。あれはぼくには、共産党がずっと隠してきた無意識を、若者ゆえの素直さでざっくりと暴いてしまった、ある意味で残酷な告白に見えた。

過ちはだれにでもある。だから今回は民進党に入れる。けれども、民進党には、参院選後、すみやかに共産党との関係を断ち切ってもらいたいと思う。より正確には、同党が体現する、反対さえ唱えればだれかお上がなんとかしてくれるといった、依存的な政治文化と手を切ってもらいたいと思う。

自民党でも共産党でもない「第三の道」の可能性は、政策的にはいくらでも考えられる。経済政策でも安全保障でも沖縄の基地問題でも原発でもあるだろうが、憲法もそのひとつだ。自民党のあの愛国ノスタルジア丸出しの改憲案か、共産党の欺瞞に満ちた解釈護憲か、そのどちらかしか選択肢がないことに不満を抱いている国民は、じつはたくさんいるはずである。その人々の声を広範に拾い上げ、組織化する力は、いまのところ民進党にしかない。民進党は政界再編の雄だった。いちどは政権も取った。その誇り、というか歴史的な責任を思い起こすべきだ。「アベ政治の暴走を止める」とか言って満足している場合ではない。

共産党との共闘だけではない。ぼくはいまの民進党に多くの不満がある。というか不満だらけである。民進党と名称を変更したのもまちがいだと思っている。党首も変えるべきだと思っている。政治家の発言も失望ばかりだ。

けれども、ぼくには、いまのところ、この党の再起にしか、日本のこの腐った政治文化を変える道はないように思われるのだ。残念ながら、なんど考えてもそうだ。だからぼくは民進党に入れる。

著者プロフィール

東浩紀
あずま・ひろき

作家・思想家

1971年生。ゲンロン代表取締役。専門は現代思想、情報社会論、表象文化論。メディア出演多数。主著に『存在論的、郵便的』(1998、サントリー学芸賞受賞)『動物化するポストモダン』(2001)『クォンタム・ファミリーズ』(2009、三島由紀夫賞受賞)『一般意志2.0』(2011)。編著に『福島第一原発観光地化計画』(2013)など。

広告