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  • Photo by PekePON(CC BY 2.0)

星井七億内閣総理大臣談話(いわゆる星井談話)

  • 星井七億 (サラリーマン兼ライター)
  • 2015年12月28日

まずは、先の戦争によって命を落とされた多くの方々に、あらためて心より追悼の意を捧げます。

太平洋戦争に於ける日本国民の戦没者の数は300万人余だと言われております。300万人——。命の重さ、あの戦争がいかに悲惨で誤りに満ちたものであったかを数字の規模で推し量ることはできませんが、それでもやはり失ったものの大きさを突きつけられる数であります。

私の生まれ育った場所は、沖縄戦の主戦場となった沖縄本島のさらに南にある八重山諸島、石垣という小さな島です。沖縄戦は一般住民を直接戦闘へ巻き込み、太平洋戦争の中でも日米最大規模の戦争だったと伝えられています。私の故郷である石垣島も、本島とは違い軍の上陸こそなかったものの、空襲や艦砲射撃、戦争マラリアなどの被害を受け、多くの犠牲者を出すこととなりました。南の端にある小さな島までをも巻き込むほどに戦禍は大きく、容赦がありませんでした。

こういった経緯のほか現在も数多くの事情を抱えている沖縄は、この国に於いても特に戦争教育に力を注ぐ土壌にあります。私の幼いころには必ずと言っていいほど、教室の本棚に沖縄戦について記された書籍が置かれており、戦争教育は常に身近にありました。当然ながら沖縄に限ったことではありませんが、あの戦争が「学ばなくてもいい過去」と割り切られたことはただの一度もなく、そこには決して少ない数ではない誰かの「後世に伝えなければいけない」という一つ一つの思いが積み重なった上でようやく、私達の70年間の平和が成り立っています。

20年前、戦後50年が経過した1995年。私は10歳でした。小学校の授業の一環で、クラスメイト全員で沖縄戦をテーマにした映画を観に行きました。タイトルは『ひめゆりの塔』。これは戦没者を祀った沖縄に実在する慰霊碑の名称でもあります。植物のヒメユリは奇しくも、塔の名前の由来と直接関係ありませんが、「強いから美しい」という花言葉をもちます。

「強いから美しい」とはどういうことでしょうか。これは、強さをただただ単純に美化し、勝者を礼賛する言葉ではないと私は思います。命を半ばに散らされた方々の死を、その人々の命を奪った行為を、誰が美しいと例えることが、できるでしょうか。

ましてや私達の歴史には、銃剣を交えて命を奪い奪われただけではなく、力任せに他国の土地やその住民の方々の尊厳を奪い支配した反省すべき事実も含まれています。美しいとすべき「強さ」とは決して、誰かを傷付けたり何かを奪ったりする力のことではありません。強さが生んだ歴史を、人々が「美しい」と礼賛する国であるべきかどうか——その答えを、私達はもう知っています。

今の私達がヒメユリの花言葉を、「美しくあるべき強さ」というものをどう捉えていくべきか。それは決して同じ歴史を繰り返さないという決意の強さ、歴史に学ぶ知性の強さと、過ちに手を染めることを拒む意志の強さ。その強さを美しいと尊ぶことではないでしょうか。

実は、ヒメユリはもうひとつ花言葉をもっています。

——それは「誇り」です。この70年間、命を奪うために力を奮うことのなかった私達の強さをこれからも誇り続けられるよう、私は、近隣諸国との対話や理解を怠ることなく、利益や驕りに溺れることなく、平和維持への不断の努力を約束することを、全世界に向けて、ここに宣言します。

著者プロフィール

星井七億
ほしい・ななおく

サラリーマン兼ライター

85年生まれ。怪文書ブログ「ナナオクプリーズ」を運営。ねとらぼで「ネットは1日25時間」連載中。著書に「もしも矢沢永吉が『桃太郎』を朗読したら」。

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