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戦後100年に向け「世界の消防」を目指す道

  • 北丸雄二 (ジャーナリスト/コラムニスト)
  • 2015年8月14日

個人的な話から始めさせてください。私が生まれたのは昭和30年です。戦後民主主義という言葉が定着し、戦後復興が本格化し、やがてすぐに高度成長と呼ばれるものが始まろうとする時代でした。日本では最近、その時代をとても牧歌的で人間味に溢れた時代として描く映画が人気を得たりもしました。しかしその実、あの時代はまた、朝鮮戦争が起き、「冷戦」が地球規模に広がり、さらに中ソ対立が起きと、「牧歌的な日本」はその周辺環境ばかりか、とても複雑な世界的政治環境に取り巻かれていました。

私たちの日本が、それでも曲がりなりにも直接これらの、そしてその後も続いている厳しい世界情勢への軍事的な関与を免れてきたのは、ひとえに先の大戦でのわが国のあやまちを心に刻み、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を永久に放棄すると誓った現在の日本の平和憲法があったからだと考えています。


Photo by Ryo FUKAsawaCC BY 2.0

私の個人的な感慨でもありますが、自意識の芽生えた十代の私の生き方の基底にあったものは、その平和憲法の前文にあった、次の一文でした。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

中学生の私は、この文章をなんてかっこいいんだと感嘆したものです。専制と隷従、圧迫と偏狭を除去しようと努めている国際社会においての、名誉ある地位。

戦後70年が経ちました。私も60歳になりました。世界の方々にお聞きしたい。私たちの日本は、この70年で、みなさんの中における「名誉ある地位」を獲得し得たでしょうか?

今から20年前、当時の村山富市首相は戦後50年の節目に、先の大戦でのわが国の国策の誤りを反省し、わが国の植民地支配と侵略による犠牲者の方々に心からのお詫びと哀悼とを捧げました。

それから20年経った現在、私はこの村山首相の償いと誓いのことばに、この20年分の歩みを加えなければならないと感じています。国際社会の中での名誉ある地位を確かにするための、反省だけではない、より具体的かつ積極的な平和主義の日本を希求しなければならない、と。


Photo by Metro CentricCC BY 2.0

日本は敗戦後のこの70年、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国に多大な支援と協力を賜ってきました。それに遍く返礼するための積極的平和主義とはいかなる形をとり得るのか。私はそれをずっと自問してきました。

米国は長く「世界の警察」として行動してきました。日本もまた米国を核とした集団安全保障体制の中で多大な恩恵を受けてきました。その中で私は、世界で最も先進的かつ独自の平和憲法を有する日本が、日本として国際社会へ積極的に関与する道は、これまでどの国家も試みたことのない、「世界の消防」になることだということに思い至ったのです。世界で唯一の平和憲法を有するわが国は、この世界のもう一つの可能性でありたい。


Photo by 初沢亜利

それは誰も口にしたことさえない概念です。「世界の消防」が具体的にどういう行動をとるのか、国際法上どういうふうに位置付けられるのか、その全容はじつは、私にもいまだ詳らかではありません。しかしその根本理念は、どの国の人々にとっても消防署が身近で不可欠な存在であるように、とにかく火事があれば消す、人が難にあれば救うというものです。思想の如何、場所と時間の如何にかかわらず、「死なせない」という思いの形です。

それは、これまで国連が中心となって組織してきた世界各地での戦後処理並びに平和構築への関与や難民援助活動とも重複しましょう。自然災害での国際的な救援活動とも一致しましょう。したがってわが国は、国際連合など関係機関とも協力して研究を進め、また世界のより多くの国々に対しても個々に、わが国による不偏不党の消防・救助活動への理解と協力を得たいと思っています。

そうして私はいつか戦後80年、戦後90年、あるいは戦後100年のこの同じ日に、わが国が「世界の消防」の第1級国家としての名誉ある地位を獲得していたいと願っているのです。それこそが、かつてのわが国の姿でもあった「専制と隷従、圧迫と偏狭」を世界中から身をもって消し去り、平和と民主主義とを押し広めることに貢献する、困難ながらも確実な、世界のもう一つの可能性だと信じているからです。


Photo by Tatsuo YamashitaCC BY 2.0

著者プロフィール

北丸雄二
きたまる・ゆうじ

ジャーナリスト/コラムニスト

毎日新聞及び東京新聞で社会部畑を歩み、中日新聞(東京新聞)ニューヨーク支局長を最後に退社。以後、フリーランスでジャーナリズム活動を続ける傍ら、英米文学や政治関連書籍、『ヘドウィグ&アングリー・インチ』などブロードウェイの日本上演台本翻訳なども手がける。在NY22年。

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