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  • 論点
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いまの社会を変えられるのは誰か

  • 山田奨治 (国際日本文化研究センター教授)
  • 2015年9月28日

日本が戦争に負けたのは遠い昔のことだと、子どものころは思っていました。自分の子どもが20歳を過ぎ、時の流れの速さを実感するいまになって、敗戦がぼくの生まれるたった18年まえの出来事だったことに愕然とします。

ふたりの祖父はともに農家で、赤紙で招集されて戦地へ送られました。幸い生き抜いて帰ってきましたが、同居もしていなかった孫のぼくには、ふたりとも戦争の体験を何も話してはくれませんでした。母によると、中国へ行かされていた祖父は、彼の国で「滅茶苦茶なことをした」とだけ漏らしたことがあるそうです。娘にはとてもいえないような記憶が、祖父には重くのしかかっていたのでしょう。

そういう重い記憶を抱え、口を閉ざしたままあの世へ持っていってしまった日本人は、たくさんいたに違いありません。それでも、祖父のように生きて帰れたひとは、まだ幸せだったのでしょう。国の命令によって、戦地で不条理に殺されていったひとの無念は、はかりしれません。


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祖父たちの記憶を受け継がなかったぼくたちの世代には、なぜ隣国にいつまでも謝りつづけなければならないのか、という空気が生まれてしまいました。それが中国や韓国との政治的な関係がうまくいかない原因のひとつになっています。国益ということばは好きではないですが、加害を忘却したことによって失われてしまったそれは、とても大きいと考えます。

日本だけが悪いというつもりはありません。隣国を支配しているナショナリズムには賛同できません。それでも、たとえおかしな主張でもその根拠を尋ね、同時にぼくたちの過去については謙虚であるべきです。

時代の流れに対する大局観も失ってはなりません。3年、5年、10年、あるいはそれ以上のタイムスパンで時代を眺めたときに、ぼくたちはいまどの地点にいるのでしょうか。かつて、天皇機関説という憲法解釈が国会で否定されてから、敗戦まではおよそ10年でした。ひとつの国家が崩れはじめてから滅亡するまで、10年しかかかりませんでした。ぼくたちは流れる時間の速さを学び、時代が狂いはじめたサインには、過剰なほどに敏感でなければなりません。

いまの時代を狂わせないことは、いまの時代に責任のあるぼくたちのつとめです。狂った時代をつぎの世代に渡してはいけない。それはもう、絶対にいけないのです。

いまから45年前、戦後25年目に日本で開かれた万国博覧会のテーマは、「人類の進歩と調和」でした。科学技術が華開き、人類が国境を越えてしっかりと手を取り合って進んでいく未来のビジョンを、当時の日本人は持っていました。それが戦争を経験した世代の、心からの願いだったのでしょう。


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しかし、いつのまにかノーベル賞を獲ることが、国家の威信をかけた競争になってしまいました。科学の世界でも「オールジャパン」という名の、国境で閉じた体制が当然のように語られています。かつてぼくたちはオリンピックに集う世界の一流選手の妙技に目を見開き、日本の選手が出ない競技にも関心を持ち、日の丸をつけていない選手にも惜しみない拍手を送りました。しかしそのオリンピックも、商業主義とナショナリズムが支配する、メダル集めの見世物のようになってしまいました。科学やスポーツに国境はないという理想も、もう忘れ去られています。

日本は人口が減り、ますます高齢化する国です。右肩上がりの成長や諸外国との力の均衡を求めることに、日本の未来はありません。無理な成長を求め、外国に軍事で協力することは、国民を不幸にするだけです。どうすれば経済が縮小しても幸福でいられるか、どうすれば諸外国と良好な関係を結べるかを考え、実践することに国力を傾けるべきです。

もし時代が狂いはじめたサインを感じ取っているのならば、おなじ過ちを繰り返さないためにはどうすればいいのでしょうか。それは、過去から学ぶこと、自分で考えること、そして選挙に行くことだと、ぼくは思います。

ぼくたちは社会を変えられるのです。いまの社会を変えられるのは、いまを生きているぼくたちだけです。

著者プロフィール

山田奨治
やまだ・しょうじ

国際日本文化研究センター教授

1963年大阪生まれ。専門は情報学・文化交流史。筑波大学大学院修士課程医科学研究科修了。京都大学博士(工学)。会社勤務、短期大学助手などを経て1996年から現在の勤務先に所属。総合研究大学院大学文化科学研究科教授を併任。主な著書に『日本文化の模倣と創造ーオリジナリティとは何か』(角川選書)、『禅という名の日本丸』(弘文堂)、『〈海賊版〉の思想ー18世紀英国の永久コピーライト闘争』(みすず書房)、『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(人文書院)、『東京ブギウギと鈴木大拙』(人文書院)などがある。

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