ポリタス

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  • Photo by born1945(CC BY 2.0)

ぼくが政治にコミットしない理由

  • 岩崎夏海 (作家)
  • 2015年8月15日

みなさん、こんにちは。

今日は、これはあまり話したくなかったのですが、戦後70年ということで、特別に、ぼくの隠された本音――というか、仮面の告白をさせていただきます。

それは、「国家や政治に興味がない」ということです。「興味がない」というか、それにかかわらないようにしています。コミットしないように心掛けています。そして、たとえどのような国家や政治であっても、それを受け入れようと思っています。それに迎合していこうと考えています。

ただ、これはちょっと特殊な考えなので、きっと多くの人にアレルギーを持たれることでしょう。そこで今日は、ぼくがそういう考えに至った経緯についてお話しします。

ぼくは、特殊な家庭環境で生まれました。

父方の祖父は、戦前、そして戦中、共産党の支持者でした。出版社を経営していましたが、共産党の本が軒並み発行禁止になった後でも、最後まで彼らの本を刷ったということで、官憲に目をつけられ、1年ほど拘置所に入れられました。

そこで、初めは官憲に抵抗したのですが、最後には「もう共産党の本は出さない」という誓約書を書かされ、ようやく出所を許されました。彼は、とうとう国家に負けてしまったのです。

しかし戦後、荒廃した東京を見て、「この国には教育が必要だ」との思いを強くしました。そうして一転、今度は児童書を出版するようになりました。すると、折からの出版ブームに乗って、大きな財産を築くまでになりました。彼が作った岩崎書店は、今でも子ども向けの本を作り続けています。

一方、母方の祖父は、岡山県でも有数の神童でした。県トップの成績で海軍機関学校――軍艦などのキャリア技術者を養成する学校――に進むと、そこも優秀な成績で卒業し、機関学校の教官になりました。

やがて第二次大戦が始まると、フィリピンに赴任しました。そこで捕虜収容所の所長を務めていたのですが、戦後、戦争裁判にかけられ、捕虜を虐待したとの罪で死刑宣告を受けたのです。

ただ、控訴審で「祖父が虐待していたわけではなく、部下が勝手にしていたことだ」と証言してくれた人がいたおかげで、無期懲役に減刑されました。

それから都合10年、刑務所に入っていました。最後は巣鴨プリズンにいたのですが、出所後、出光興産に雇われてサラリーマンになり、そこで定年までを過ごしました。しかし祖父は、出所してからはついに一度も戦争のことは語ろうとしませんでした。


Photo by 月刊沖縄社「東京占領」

そういうふうに、ぼくの二人の祖父はともに牢屋に入っています。二人はともに、国家や政治に翻弄され、大いなる屈辱を味わいました。

しかし二人は、それをなんとか乗り越え、生き延びました。おかげでぼくは、二人の祖父とも生きて会うことができました。

そこでぼくが学んだのは、「たとえどんな国家や政治であろうとも、生きるのは個人である」ということです。そして、「個人がしっかりしていれば、たとえどんな国家や政治であろうと、したたかに生き抜くことができる」ということです。

祖父は結局、二人とも「負け」ました。父方の祖父は、共産主義を信奉しながら国家や政治の圧力に負け、後に共産主義そのものも廃れていきました。母方の祖父は、軍人のキャリア組にまで上り詰めながら、国家そのものが戦争に負けました。

しかし二人は、そこから立ち上がりました。父方の祖父は、戦後は共産主義と距離を置き、子どもの本を作ることに生涯を捧げました。母方の祖父は、キャリア技術者のプライドを捨て、市井の人として一生を終えました。二人とも、国家や政治に翻弄され、一度は大きな挫折を味わいながら、それにめげることなく再び立ち上がったのです。

二人が立ち上がれたのは、たとえ負けたとはいえ、戦っているときに「正しい戦い方」をしていたからだと思います。

父方の祖父も母方の祖父も、戦っている間中、自分の信念というものを貫き通しました。それは、「他者を思い遣るやさしさを持つ」ということと、「どんな状況に置かれても他人を陥れるような卑怯な真似はしない」ということです。それを貫き通していたために、たとえ牢屋に入っても、心が折れるということがありませんでした。たとえ国家や政治に負けたとしても、挫けるということがなかったのです。

そこでぼくが学んだのは、「人は、正しい戦い方をしていれば、たとえ負けたとしても再び立ち上がることができる」ということです。それは、国家や政治がどんな状況にあったとしてもです。

そのためぼくは、国家や政治というのは、それほど重要ではないと思うようになりました。二人の祖父の姿を見ていると、たとえどんな世の中であろうと、自分自身がしっかりしていればしたたかに生きていける――と考えるようになったからです。

いやむしろ、二人の祖父は、最後まで国家や政治に抗うことをしませんでした。最後は、国家や政治に迎合しました。そのことこそが、二人が生き延びた最大の理由だと考えるようになったのです。

そのためぼくも、国家や政治にもコミットしません。たとえどんな世の中であろうと、それに抗わず、最後はそれを受け入れ、したたかに生きていこうと考えています。

ですので、ぼく自身、「この先の日本をどうしていきたいのか」という考えが、全くありません。いえ、ないのではなく、「なるようになる」としか考えていないのです。

このことは、多くの人には理解していただけないと思います。ですので、あまり話したくはありませんでした。でも、「世の中にはこういう考え方の人もいる」という参考にはなるかと思い、今回、特別に話させていただきました。

著者プロフィール

岩崎夏海
いわさき・なつみ

作家

1968年生まれ。男性。本名同じ。東京都日野市出身。最終学歴は東京芸術大学美術学部建築科卒。 大学卒業後、秋元康氏に師事。放送作家や秋元氏のアシスタントとして17年間働き、AKB48にも関わる。独立後、41歳で作家に。 作品に『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』『エースの系譜』『チャボとウサギの事件』など。現在は、執筆に加えてお笑い学校の講師やビジネス・プロデュース、講演活動もしている。 ブロマガのタイトルは、大好きなザ・ブルーハーツの「1000のバイオリン」より。

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