ポリタス

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  • Photo by Glen Bowman(CC BY 2.0)

国家的狂気という病を防ぐために

  • 慎泰俊 (起業家)
  • 2015年8月15日

私の一族にとって、8月15日は特別な日です。毎年この日になると、親族一同栃木に集まり祭事をします。親族みんなで食べても消化に3日間はかかるほどの大量の料理をまる一日がかりでこしらえ、日本に渡ってきたご先祖様にお供えをして、お墓参りをします。多くの在日コリアンが、今もそのように暮らしています。

そんな8月15日が日本にとっての終戦記念日(人によっては敗戦記念日)、旧植民地国の人々にとっての解放記念日となってから70年が経ちます。さて、何を話そうかと数日間考えていたのですが、社会という大きな話と自分個人の話を両方させてください。


Photo by 慎泰俊

カンボジアの仲間たち

私はいま、様々な途上国で仕事をしています。そんな私にとっての個人的な経験則は、一度大変な戦乱や内戦を経験した国においては、その後70年間は平和が続く、というものです。なぜなら、戦争や内戦の恐怖の記憶は、かなり強烈に国民の中に刷り込まれるので、その記憶を持っている人が生きている限りは、二度とそんなことはするまいと思うようになるからです。

日本は世界随一の長寿国ですので、90歳以上の人口は未だに170万人になるそうです。しかし、あと10年もすれば、自らの声で戦争の記憶を語ることのできる人はほとんどいなくなり、民衆に植え付けられた恐怖の記憶が国家的狂気を抑えるということができなくなります。言い換えると、恐怖の記憶という制御装置に頼らずに、国家的狂気の発生を抑制しなければならなくなります。

では、私たちは何を頼りにして、この狂気という猛獣を飼い慣らすのでしょうか。

結論に入る前に、歴史を紐解きながら、国家が狂気にかられるのはどういうプロセスを経るのかについて考えてみましょう。

国が突如としておかしくなるということはまずありません。国家的狂気という病は少なくとも数年がかりで進行するようです。次のような段階分けができると思います。

(1)経済の低迷などを背景にした国家的なプライドの高揚。人々が異様なほど頻繁に国家を語るのは、個々人の自己肯定感が危機にさらされていることの裏返しである場合が少なくありません。

(2)そういった国民感情を察知した商業主義的メディアによる「国家の敵」に対する偏見と敵意と憎悪を煽る報道。政治的な意図がない場合においても、そういう本や雑誌を出せば売れるので、商売としてそれらが世にあふれていきます。

(3)その国民感情をコントロールする術に長けている政治家が現れ、圧倒的な支持とともに政権を掌握。プラトンの言うところの「僭主政治家」のような存在です。その政権は、初期には様々な功績をあげ支持が続きますが、政権の目的は自己保存であり国民ではありません。政府を暴走させないための鎖である憲法をはじめとした法制度は次第に骨抜きにされていきます。

(4)国内における「国家の敵」に対する微小な抑圧と、国外における敵との紛争の開始。常に国内外の敵に対する恐怖を吹きこまれている人々は、政府の為す排他的政策に諸手をあげて賛成します。

(5)自国による国内外の敵に対する攻撃・抑圧が、それらに対する報復への恐怖をもたらし、その恐怖がさらに強烈な攻撃・抑圧につながる、という負の循環の完成。ここに国家的狂気は最高潮に至り、一度こうなると、敗戦やクーデターといった強烈なショックがない限り狂気は醒めない。


Photo by Russian Government

今日ほどに科学技術が発達した現代においてそんなことはありえない、と思う人がいるかもしれません。ですが、100年前の人類も同じことを考えていたことでしょう。人間は自分たちが思っているほどに賢いものではありません。大衆心理はいつも簡単に操られますし、お祭りやスポーツを見ればわかるように、人間の集団は簡単に狂います。

日本に限らず、世界の多くの先進国で、自国中心主義とマイノリティに対する憎悪が増しつつあるように思います。その一つの根源には、今後も止めることが非常に難しい格差と相対的貧困の拡大があるように思います。多くの国において、民衆の自己中心的な欲望を満足させる政治家が国家主席になるということが続いています。そういったことを見るにつけ、何ともいえない不穏な空気を感じるのは私だけでしょうか。

ワイツゼッカー氏はその歴史的な演説で、「ヒトラーはいつも偏見と敵意と憎悪とをかきたて続けることに腐心しておりました。若い人たちにお願いしたい。ほかの人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい」と説きました。私もこれに全面的に同意します。


Photo by Telford Taylor Papers, Arthur W. Diamond Law Library, Columbia University Law School, New York, N.Y.

国家的狂気は私たち一人一人が作り出しているもので、決して一握りの政治家や軍人らが作り出すものではありません。彼・彼女らはそういった民衆心理を最大限に利用するだけです。換言すれば、こういった狂気の進行を止めるのは私たちにできることなのです。

現在、多くの人が、意見の異なる相手を憎んでいるように見えます。そして、いかにしてその相手を論破するかに神経を割いているようです。相手の論理的矛盾を突くだけでは足りず、多くの場合相手を矮小化しようと小馬鹿にする言論がついてくるのが特徴です。

左翼・右翼、保守・リベラルといった政治的なポジションに関係なく、こういった姿勢を取る人々こそが、意図せずして平和に対する最大の敵、国家的狂気という病をもたらす病原菌になっているのだと思います。相手をやっつけようという目的で議論をする人は、知らず知らずのうちに憎悪や偏見と敵意の虜になり、いつか自分自身がそれによって衝き動かされるようになります。結果としてその人個人が身を滅ぼすのみでなく、周囲の人々も憎悪に巻き込んでいきます。こうした人々には、対話を通じて何が正しいことなのかを探求しようとする姿勢が圧倒的に不足しています。


Photo by iStock

では、具体的には何をすればよいのでしょうか。3つの原則を提案したいと思います。これができるだけで、今の言論空間に存在している嫌な空気は、だいぶ晴れていくのではないでしょうか

(1)議論の目的は自己弁護ではなく、何が正しいのかを知ることに設定すること。反論されても、自分の人格が傷つけられたと思ってカッとならないこと。自分の間違いに気づいたら糊塗せず「有難うございました」と素直に謝ること。

(2)相手の言うことがわからなかったら、すぐに反論せず、まずは質問をして真意を問うこと。相手の理解に努め、故意に矮小化しないこと。

(3)見ず知らずの人と議論する場合には、できるだけ敬語・丁寧語で話すこと。

まずはソーシャルメディア上での自分の議論の仕方から見なおしてみませんか。それが平和につながるものと私は信じていますし、私自身もそうしていきたいと思います。


Photo by Nelson.LCC BY 2.0

最後に、自分にとっての戦後とは何なのかについてお話ししたいと思います。

昭和後期に生まれた私に唯一存在する戦争の爪痕といえば、私が親から受け継いだ朝鮮籍という記号です。これは「植民地時代に帝国臣民として朝鮮半島から日本に渡り、戦後も日本に暮らす人」を意味しており、私は法律的には無国籍です。よって、パスポートを持たずに世界中を旅し、時には別室に連れていかれ「お前は何人なんだ」と質問をされる度に、私は自分の祖先の過去を思い出します。

よく、「なんでそんな面倒なステータスのままいるんだ、日本国籍や、せめて韓国籍を取ればいいじゃないか」と言われます(「北朝鮮籍」は日朝間で国交がないため日本に存在しません。実際問題、その選択肢が存在するとして何人が取得するかは不明ですが……)。

この時に思い出すのは、漫画ピーナッツのお話です。「あなた、よく犬である自分に我慢できるね」と言われたスヌーピーは、「配られたカードで勝負するのさ」と独り言をいいます。

もちろん、配られたカードが不服であれば、一旦ゲームをやり直して違うカードが配られるのを待つこともできるのかもしれません。でも、私は生まれたときに配られたカードという名のアイデンティティを放棄しないと前に進めない世の中の方がおかしいと思うのです。スヌーピーは犬のままでいいじゃないですか。

世界中には1000万人以上の無国籍の人々がいます。この人々の多くは、様々な形の戦後の矛盾や強国の都合を背負わされてきた人々です。私は、自分の人生を通じて、似たような境遇の人たちに、自分が生まれたときに有していたものを否定する必要はないのだと伝えたいと思います。

それが、元皇国臣民であった祖父母たちと、大国の都合で引き裂かれた祖国を抱く私にとっての戦後史の背負い方です。「背負う」という言葉は気負いを感じさせますが、決してそんなことはありません。世界中の途上国を訪れ、現地の人々と苦楽を共にしながら、しなやかに生き続けたいと思います。


Photo by 慎泰俊

著者プロフィール

慎泰俊
しん・てじゅん

起業家

モルガン・スタンレー・キャピタル、ユニゾン・キャピタルを経て、現在は途上国のマイクロファイナンス機関への投資・経営支援・金融サービス開発に従事。仕事の傍ら、NPO法人Living in Peaceを通じて国内外の貧困削減のための活動を行ってきた。著書は「働きながら、社会を変える」、「ソーシャルファイナンス革命」など。

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