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  • Photo by davecito(CC BY 2.0)

「戦後70年」というものはない

  • 四方田犬彦
  • 2015年8月15日

日本国民の皆さん、と、わたしはここで皆さんに向かって呼びかけようとは思いません。というのも現在の日本には日本国籍を所有していない人が数多く存在しており、日本という社会のなかで大きな役割をはたしているからです。

わたしがここで何かを皆さんに向かってお話しする資格があるとすれば、それは『戦場のメリー・クリスマス』というフィルムのなかでデイヴィット・ボウイが口にした言葉、"I am responsible only for my mother and my country"という言葉に倣って、わたしには自分の母親と自分の国家に対して責任があるからです。誰も自分の父親に対して責任をとることはできません。イエスを含め、いかなる子供も自分の本当の父親について真実を知りようがないからです。しかし母親に対しては、そして「母国」と呼ばれる国家に対しては、責任を取らなければなりません。それはこの両者について究極の真実を知る権利があるということと、まったく同義のことです。いかに醜く、道徳を欠いていても、いかに虚偽と不治の病に侵されていたとしても、自分の母親を否定することは誰にもできません。国家についても同様だと、わたしは考えています。


Photo by Ian D. KeatingCC BY 2.0

最初に申しあげておきたいのは、「戦後70年」という、今日あちらこちらで人々がいい慣らしている言葉自体が実は虚偽であり、われわれの認識を曇らせ、われわれを禍々しいノスタルジアを許してしまう、危険なイデオロギー的言説だということです。ひとたびこの言葉を認め、口にしてしまったとき、人は現在の日本社会にあって無意識的に遍在しているナショナリズムに加担してしまうことになります。この事実を理解するためには、日本から一歩離れ、周辺の国々、つまり「戦前」に日本が苛酷な植民地支配を続けてきた国々が1945年をどのように呼び習わしてきたかを検討してみるだけで充分でしょう。

韓国と朝鮮民主主義人民共和国、また台湾と中国ではこの年に「光復」が達成されたといいます。また「解放」が実現されたといい、それを祝います。日本の植民地統治下にあって言語を奪われ、戦争遂行のための労働と天皇崇拝を強要された人々にとって、日本が戦争に敗北することは、ひとたび失われた光が回復することに他なりませんでした。とはいえその数年後に冷戦体制が確立されたおかげで、こうした地域は不幸にも国家として分断され、今日に到っています。


Photo by John PavelkaCC BY 2.0

わたしは20歳代でソウルに外国人教師として滞在し、さまざまな韓国人とこの問題について話し合いました。彼らが「チョノ」つまり「戦後」というとき、それは1945年以降ではなく、1953年7月27日以降を意味していました。具体的にいうと、それは日本でいう「朝鮮戦争」(韓国でいう「625事変」、北朝鮮でいう「祖国解放戦争」)をめぐって板門店でなされた休戦会議が最終的な合意に達した後のことを指しています。もっともこれにしても厳密にいえば「終戦」ではなく、「休戦」にすぎないのですが。韓国人にとって今年はたかだか「戦後62年」にすぎません。中国にとっても1945年よりはるかに大きな意味をもっているのが1949年、つまり「中華人民共和国」の成立の年であることは、いうまでもないでしょう。

わたしはどうして日本でいう「戦後70年」という言葉を拒否するのでしょうか。それは一歩この国の外へ出た瞬間から、また日本語でのコミュニケーションをやめて、韓国語や中国語で話し出した瞬間から、この表現がみごとに通用しなくなり、狭量にして無意味な言葉であることを思い知らされてしまうからです。日本は周辺のアジア地域に対して戦争と侵略を行ないましたが、日本が敗北を来したからといってそうした地域で戦争が終結したわけではありませんでした。


Photo by Norman B. Leventhal Map Center CC BY 2.0

「戦後70年」という言葉のなかには、唯一日本人こそが歴史の主人公であるという傲慢さが無意識的に隠されています。それは周辺地域の困難な歴史を見えなくさせ、その言説化への抑圧に加担してしまうのです。こうした一元的な時間認識を相対化し、さまざまな戦後を思考することから、日本人は新しく歴史を認識しなければなりません。ひょっとしたら「戦後」なるものが存在しているのは日本だけかもしれないのです。韓国でも、パレスチナでも、チベットでも、存在しているのはただ「戦争中」だけかもしれないのですから。

これからの日本が社会として成熟していくためには、日本人だけにしか通じないこうした暗号めいた言葉を、東アジアのより大きな文脈のなかでいかに克服していくかが、課題となることでしょう。

著者プロフィール

四方田犬彦
よもた・いぬひこ

1953年生。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文化を学ぶ。韓国の建国大学校、中央大学校、テルアヴィヴ大学などで客員教師を勤める。現在は明治学院大学教授として映画史を講じる。映画と文学を中心、音楽、漫画、料理、都市論と多様な分野で批評活動を行なう。著書に本書の姉妹書『日本のマラーノ文学』のほか、『先生とわたし』、『摩滅の賦』、『見ることの塩』、『日本映画史百年』、『モロッコ流謫』(伊藤整文学賞)、『映画史への招待』(サントリー学芸賞)、『ソウルの風景』(日本エッセイストクラブ賞)など多数

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