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三つの寂しさと向き合う

  • 平田オリザ (劇作家・演出家)
  • 2015年8月16日

金子光晴の『寂しさの歌』の中に次のような一節があります。

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。
君達のせゐじゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになって。
誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。

そしてこの長い詩は、以下のような一節で終わります。

僕、僕がいま、ほんたうに寂しがっている寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。 

(金子光晴『寂しさの歌』、『落下傘・1948年・日本未来派発行所刊』より)

さて、私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の寂しさを、がっきと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。

一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。

もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。

そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。


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現在、日本の労働人口の7割近くが第3次産業に従事しています。しかし、いまだ、この国では、教育のシステムも雇用や福祉政策のシステムも、大量生産・大量消費の工業立国の時代のままです。経済の構造改革がなし崩し的に進められたにもかかわらず、社会のシステムの改革が進んでいない。

小泉純一郎元首相はしきりと、「構造改革には痛みが伴う」という言葉を口にしました。多くの人々がその雄弁に幻惑され、改革路線を支持しました。しかし、実際、その「痛み」とはなんだったのでしょう。


Photo by 国書刊行会「目でみる懐かしの停車場」

第2次産業に従事する人々が第3次産業に転換していくことは、他人には理解できないほどの大きな痛みを伴います。産業構造の転換には、必ず古い産業へのノスタルジーがつきまとうからです。そのノスタルジーをも尊重しながら、しかしその寂しさに耐えて、私たちは新しい時代を迎えなければならない。

日本国と日本人は、100年ほど前に、これに一度失敗しています。第一次大戦前後から日本は急速に工業国になってしまったために農村の崩壊が始まりました。大正時代、右も左も運動のスローガンは「農を守れ」でした。しかし時代の趨勢にあらがえるはずもなく、結果として農村に鬱積した不満を他国に転嫁したのが、大陸への侵略の大きな要因でした。


Photo by 国書刊行会「目で見る樺太時代」

また、同じ過ちを繰り返すのか。

いま日本が進むべき道は、これから富を持つであろう中国や東南アジアの中間層に、質の高いサービスを提供していくことでしょう。そのこと自体が、ある人々にとっては屈辱かもしれません。中国からの観光客の大量消費を「爆買い」などといって揶揄するのは、その表れの一つでしょう。


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私たちが、TPP交渉に言いしれぬ違和感を感じるのも、おそらく、交渉の推進者たちが、この「寂しさ」を理解せず、かといって未来への展望も示されない、米国の言いなりになっているといった印象を受けるからでしょう。

株価の高騰が人々の幸福につながっていないのも、同根のように思います。円安を演出して、日本の製造業が回復したかのように見せかけても、そもそもそこに従事する労働者の割合が減っていては、その恩恵が広く行き渡るとは思えません。


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二つ目。日本はもう、成長社会に戻ることはありません。世界の中心で輝くこともありません。いや、そんなことは過去にもなかったし、だいいち、もはや、いかなる国も、世界の中心になどなってはならない。

私たちはこれから、「成熟」と呼べば聞こえはいいけれど、成長の止まった、長く緩やかな衰退の時間に耐えなければなりません。その痛みに耐えきれずに、これまで多くの国が、金融・投機という麻薬に手を出し、その結果、様々な形のバブルの崩壊を繰り返してきました。この過ちも、もう繰り返してはならない。


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人口は少しずつ減り、モノは余っています。大きな成長は望むべくもない。逆に、成長をしないということを前提にしてあらゆる政策を見直すならば、様々なことが変わっていくでしょう。もちろん原発は要りませんし、大きな開発も必要ない。

小さくとも多様な努力によって人口減少を少しでも緩和させること。また、移民についても早晩、本格的な議論をせざるを得なくなるでしょう。欧州では、移民問題は決して、「入れる」「入れない」の二者択一ではありません。左右両勢力とも、「どのように」「どの範囲で」移民を受け入れるかが議論されます。日本でもそろそろ、そのような現実的な議論を始めるべきではないでしょうか。

しかし、ほぼ単一の民族、ほぼ単一の言語という幻想の中で暮らしてきた私たち日本人にとって、そのこと自体がまた、「寂しさ」を感じさせるものかもしれません。同じような価値観や文化体系を持った人たちのみの暮らしは、ぬるま湯のように心地よく、そこからわざわざ出て行くことは、とても勇気の要ることです。しかし私たちは、この寂しさにも耐えなければならない。

幸い日本は、明日、難民が押し寄せてくるといった国ではありません。アラブの春のような動乱があれば、すぐに海岸線に難民がやってくる欧州とは地理的環境が違います。私たちは、東シナ海という荒い海と、日本語という高い障壁に守られている。私はやはり、これは僥倖だと思います。ですから、20年、30年かけて、国を開く寂しさを受け止め、それを乗り越え、少しずつ異文化を受け入れられる国を創っていくことは、決して非現実的な話ではないでしょう。それを、いまから始めるのならば。


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しかし、きっと何より難しいのは、三つ目の寂しさに耐えることです。

150年近く(短く見積もっても日清戦争以降の120年間)、アジア唯一の先進国として君臨してきたこの国が、はたして、アジアの一国として、名誉ある振る舞いをすることができるようになるのか。

その寂しさを受け入れられない人々が、嫌韓・嫌中本を書き、あるいは無邪気な日本礼賛本を作るのでしょう。

私たちはここで、大きく二つの問題について考えなければなりません。一つは、私たち日本人のほとんどの人の中にある無意識の優越意識を、どうやって少しずつ解消していくのかということ。ここでは、教育やマスコミの役割がとても大きくなるでしょう。現状が、それとは反対の方向に向かっているように見えることは残念なことですが。


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もう一つは、この寂しさに耐えられずヘイトスピーチを繰り返す人々や、ネトウヨと呼ばれる極端に心の弱い方たちをも、どうやって包摂していくのかという課題です。これもまた時間のかかる問題です。

今年は、敗戦後70年の年です。戦後100年まで(それを戦後として迎えることができるのなら)、これからの30年間は、日本と日本人が、この小さな島国(厳密に言えば中途半端な大きさを持ってしまった極東の島国)が、どうやって国際社会を生き延びていけるかを冷静に、そして冷徹に考えざるを得ない30年となるでしょう。そのときに大事になるのは、政治や経済の問題と同等に、私たちの心の中、金子光晴が「精神のうぶすな」と呼んだ「マインドの問題」に向き合うことだと私は思います。


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「寂しさが銃を担がせ」ることが再び起こらないように、私たちは、自分の心根をきちんと見つめる厳しさを持たなければなりません。寂しさに耐えることが、私たちの未来を拓きます。

金子光晴ゆかりの地 マレーシアにて
2015年8月11日 平田オリザ

著者プロフィール

平田オリザ
ひらた・おりざ

劇作家・演出家

1962年東京生まれ。劇作家、演出家。こまばアゴラ劇場芸術監督、劇団「青年団」主宰。東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター客員教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐。
1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT演劇評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。その戯曲はフランスを中心に世界各国語に翻訳・出版されている。2002年度以降中学校の国語教科書で、2011年以降は小学校の国語教科書にも平田のワークショップの方法論に基づいた教材が採用され、多くの子どもたちが教室で演劇を創作する体験を行っている。

撮影:青木司

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