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  • 論点
  • Photo by skyseeker(CC BY 2.0)

真の「愛国者」の務めとは何か

  • 松尾貴史
  • 2015年8月16日

日本の、多くの場合「終戦」と呼ばれる敗戦から70年が経ち、すでにその惨禍をくぐり抜け、あるいは目の当たりにした経験を持つ人の数も少なくなってしまいました。国を平和に導くべき権力を持つ側にも、戦争の恐ろしさを実感として持たず、「想像力のない勇ましさ」を振りかざそうとする人々が増えてきたように思います。

隣の家との関係が心配な時、敷地の間にある塀をどんどん高くして、家の前で会ったりすれ違ったりする時にも、関わり合いにならないように目も合わせない人もいるでしょう。逆に、毎朝にこやかに「お早うございます。いいお天気ですね」「実家から送ってきた野菜です、よかったら」などと、挨拶したり、会話を交わしたりする人もあるでしょう。

武器を買い漁って、法整備をして攻撃に備えている事を誇示するのが良いのか、外交の力や文化、経済の交流を盛んにして、攻撃する発想が起きないようにするのが良いのか。

家同士の関係は、国と国の関係のたとえには適当でないかもしれません。そう、平和は、たとえようがないほどにありがたいものです。そして戦争というものは、たとえようのないほどに怖ろしいものでもあります。ですから、どんなたとえ話をしてもなかなか説得力を持たないのは皆さんご承知の通りです。


Photo by The U.S. ArmyCC BY 2.0

幸か不幸か、昨今「国」とは何か、ということを意識する機会が増えました。一口に国といってもいろいろな定義があると思います。オーソドックスな考え方としては、「封じられた土地や領域」「統治する機構、組織」そして「国民」。この3つが揃っていることで、「国」という概念が成り立つのでしょう。

この3つの要素の中で、一番重要なものはどれかといえば、「国民」であることは疑う余地のないところです。国土は国民のものであり、統治機構――すなわち政府は国民のために尽くさなければなりません。決して、「お国のため国民が犠牲になる」ようなことがあってはならないのです。

先の大戦の時は、「戦争反対」、あるいは「戦争に行きたくない」と言うと「非国民」と呼ばれ、連行され重罰が下されました。そんな時代が再び訪れることのないよう、国民は権力者たちを、監視し続けなくてはなりません。この21世紀においても、戦争反対を口にする人に向けて「反日」というレッテル貼りが行われています。私も、国民が攻撃の対象になりかねない法案に反対の声を上げた際、「反日タレント」呼ばわりされました。しかし、国のことを思えばこその「非戦」であり、私は反戦運動をする人こそが真の「愛国者」であると、強く思っているのです。


Photo by 安部英知

政治家や思想家の中には、平和憲法を変えたいと思っている人も多いようです。これほど長きにわたって一度も改正、改訂が加えられていない憲法を持つ国は珍しいそうです。しかし、頻繁に改訂している国でも、国民の権利を守る重要な条文は絶対に変えられない仕組みになっている国は多いようです。

私は、絶対に「我が国が世界に誇る憲法」を変えてはいけないとは思いません。憲法改正に賛成か反対かがよく話題に上りますが、その内容をどう変えるか、ということが問題なのです。国民主権、基本的人権や徹底した平和主義、この要素だけは絶対に守られなければなりません。そして、今よりも権力者の暴走を巧みに抑制することができるものに変えられるなら、かえって改正は望ましいと思うのです。

「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動をなさっている方たちがおられます。実現は難しいかもしれませんが、「そうか、日本にはそういう素晴らしいものがあるのか」と世界中の多くの人々に知っていただくことにつながれば、この運動が徒労に終わることはないでしょう。世界中から、これほど素晴らしい宝物を持っていることへの羨望と尊敬を集め、平和の先進国として世界に誇れる国の未来を創っていくことが、真の愛国者の務めであると考えます。

国の最も大切な要素が民であるならば、愛国は、即ち「愛民」なのだということを心に抱いて、未来の「日本人らしさ」を創造していくことこそが、唯一の道であると思います。そう、この道しかないんです。

著者プロフィール

松尾貴史
まつお・たかし

1960年5月11日生まれ。兵庫県神戸市出身。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。俳優、タレント、ナレーター、コラムニスト、“折り顔”作家など幅広い分野で活躍。カレー店「般°若」(ぱんにゃ)店主。

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