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浅井久仁臣内閣総理大臣談話(いわゆる浅井談話)

  • 浅井久仁臣 (キャタリスト)
  • 2015年8月15日

私は今日、わが国の憲法と自衛隊の話をするためにこの場に来ました。

70年前の8月15日、私の家族は朝鮮半島にいました。

職業軍人の父は京城(現ソウル)に、母と生まれたばかりの兄は平穣(ピョンヤン)にいました。父は数か月前に平穣から京城に転属、平穣の将校官舎に妻子を残しての単身赴任でした。

日本の植民地であった朝鮮は、終戦と共に「自由連合」と「共産連合」の陣取り合戦の場となり、程無くして38度線が引かれました。南北の人の往来は大幅に制限され、残留邦人は祖国を目指したものの境界線で追い返されました。NHKの報道によると、日本がソ連に食糧不足を理由に38度線で邦人を阻止して北へ追い返すように要請したとのことです。

米軍の武装解除を受けて父は帰国、公職追放されたこともあり、実家に身を寄せました。母は、乳飲み子を抱えて10カ月間、官舎の仲間と一緒に北朝鮮を逃げまわりました。食料の入手は困難の極みで、栄養失調症と感染症で仲間は次々に命を落としていきました。特に、乳幼児は全滅状態。兄より年少の子は全て死にました。

残留邦人は、地元民にとっては憎き存在でした。とりわけ、職業軍人の家族の一行となれば唾棄すべき集団です。でも、命の危険を感じることはなく、食料を売ってくれたり分け与えてくれる人もいたと母は言います。母と兄は幾多の困難を乗り越えて1946年6月、夜陰に乗じて38度線を越えて南側に入ることに成功。父の待つ愛知県岡崎市に帰郷しました。

そして翌年の47年に私が誕生しました。この年から3年間は日本全国が新生児であふれ、ベビーブームと言われました。

同じ年、「日本国憲法」が誕生しました。

戦争に苦しめられた若者達は、こぞって我が子に憲法の一字を取り、「憲一」「憲治」「憲子」「憲代」と名付けました。学校でも復員した教師達が教科書『あたらしい憲法のはなし』などを使って喜々として新憲法を教えていたそうです。

平和憲法に沸いたからといって穏やかな日常があったわけではありません。過酷な経験をした復員兵は「心の闇」に苦しみ、家庭で職場で弱い者に怒りや不満をぶつけ続けたのです。今で言うPTSDに苦しんだのです。

私と同世代の多くは、心の闇に苦しむ親や教師から暴力を受けました。後に全共闘運動でゲバ棒と投石で破壊活動を行ったことと無関係とは思えません。活動全体を否定するものではありませんが、背景に先の戦争を見た私は、飲み会などで当時を懐かしむ彼らに同調する気持ちにはなれません。

過激な学生運動にのめり込む反面、“憲法の申し子”達の平和に対する気持ちは戦後生まれではどの世代よりも強いように思われます。反戦活動を高齢になっても続けたり、自衛隊に嫌悪感を持つ人達が多いのも特徴ではないでしょうか。20年前の阪神・淡路大震災の時に初めて迷彩服の集団が町中に現れて救助・救援活動を行うと、異論を唱えた者の多くは団塊世代でした。

ところが、被災者達は違った反応をしました。得意の人海戦術で黙々と活動を行う隊員の姿を頼もしいと思ったのです。「社会的認知」を受けたとばかりに、その後に発生した大規模災害では迷彩服が当然のように出動し、その存在感は回を追うごとに重くなっていきました。

2011年の東日本大震災では、津波にのまれた犠牲者の捜索に自衛隊は圧倒的な数で対応し、泥沼で必死に手がかりを求める姿が地元住民から絶賛されました。また、炊き出しや風呂を提供する兵站活動も高く評価されました。

それを反映した内閣府の最新統計があります。

自衛隊が存在する目的は何だと思うかとの問いに、「災害派遣」を挙げた者の割合が81.9%と最も高く、4番目に「国際緊急援助などの国際平和協力活動への取組み」(42.1%)が続いています。複数回答のため、単純比較はできませんが、日本人の多くが自衛隊の最も重要な役割を「国防」ではなく「救助・救援活動」としているのです。

「右肩下がりの経済力」「超高齢化社会」「超大国になりつつある中国の軍事力」「不健全な米国との同盟関係」「相次ぐ大災害」「収束の道が見えない福島原発」――わが国は今、岐路に立たされています。

そこで私は、幾つもの苦境を乗り越えてきた日本なら実行できる、将来の日本を安全な道に導き、世界平和に貢献する先駆的で大胆な政策を提言します。

その提言とは、自衛隊を「軍隊」から「救助隊(国内向けと国外向け)」に模様替えすることです。外国向けについては、今ある「国際緊急援助隊」のように発災してから出動するのではなく、災害の多発する国に救助隊を常駐させ、普段から地元の救助隊養成に尽力、いざ発災した際には即座に地元の救助隊と共に活動を行うものです。

多くの大災害を経験してきたことも手伝い、日本の消防が中核をなす救助体制は、今や世界のトップです。これまでにも中国などの近隣諸国の救助隊員を養成してきており、指導技術も抜群です。これに防衛予算と自衛隊員の多くを当てれば、超ド級の救助隊になるはずです。

国防はどうするのか? との危惧は当然出てくるでしょう。しかし、仮想敵国と見ている中国の経済力や軍事力を冷静に分析すべきです。内閣府最新予測では、中国のGDPは15年後には米国のそれを抜き、日本の4倍になると見られています。軍事力は比較にならないものになるでしょう。こんな"巨象"を相手に軍拡競争を挑むのは愚かなことです。

それよりも、日本は未来永劫、どの国とも戦火を交えることはないことを世界に宣言し、軍備にかける費用とエネルギーを減災や災害支援に回すべきです。そして、世界に冠たる「災害対応国家」を目指すべきです。それこそが、戦争の愚かさを学び、大災害から幾度となく国土を再生してきた日本が進む道と、私は確信します。

著者プロフィール

浅井久仁臣
あさい・くにおみ

キャタリスト

元AP通信記者。元TBS契約戦争特派員。現在は、故郷愛知県岡崎市の奥座敷で猪や鹿と農作物を共有しながら執筆活動、スカイプで「ジジイが教える時事英語」英会話授業、「出稼ぎ」と称した講演活動、ワークショップ授業を全国で行っている。昨年末、66歳にして男子を授かる。ちなみに「キャタリスト」とは、「異なる価値観、立場の人たちの間に入り、懸け橋になる存在」という意味。

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