ポリタス

  • 視点
  • Photo by chorus(CC BY 2.0)

「戦後70年変革の年」Rock'n ROLL!

  • 内田裕也 (ロックンローラー)
  • 2015年8月14日

1939年ナチスドイツがポーランドに侵攻。
第二次世界対戦が始まった年、「母 とし子」40才の時に俺は末っ子として生まれた!
以後75年間波乱万丈の人生を送ることになる!

祖父が建てた広大な家で戦後を育った俺は、その後トツ然の「内田家」のボツ落で転々と住居が変わり学校も5回変わった。 野球部、ラグビー部とスポーツで走り回ってケンカ。なぐられたりなぐったり人生に目的を持てない日々を送っていた!

ある時ラジオからショーゲキ的な音が聞こえて来た! 初めての読書は家の本棚にあった「ゲーテ」の「若きヴェルテルの悩み」だった。「ベーゼ」(KISS)という文字にドキドキしていた!
ラジオはエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリー達だった!

「Rock'n ROLL!」との初めての出会い!
それはスゴかった!

リビドーを超えた何かだった!
高校2年で学校をやめた!

リーゼントにヘアースタイルを変えジャックナイフをポケットにして盛り場のライヴハウスに出ボツ。音楽的基礎もないのに一曲歌わせてくれ!
BANDにイヤガラレテイタ!

どうして50年以上も「ロックンロール」しているのか自分でも判らない!?

そして世の中もRock'n ROLL! も変化していた!

1967年ある事があってヨーロッパを放浪した。

この時の経験! この時の時代の大きな変化! Rockの革命的な変化。
1年間のLONDONやPARISの屋根ウラ生活。ライヴハウスとクラブ、レコードショップを彷徨していた! ジミー・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、CREAM、ピンクフロイド、次々と革命的なROCKER達が生まれ、ファッションも思想も政治も大きく変化した! アメリカでもヒッピー文化として国を変えていった!

「フラワーリボリューション」

1年後帰国した俺は「FLOWERS」を結成。続いて「FLOWER TRAVELIN’ BAND」! ROCKはインターナショナルであるべきだ! との強いポリシーのもと世界を飛び回っていた!
アルバム「SATORI」はアトランティック・レコードが5000ドルで契約してくれた!
日本では「小原庄助」さんみたいな音楽だという評論家もいた。日本人は日本語で歌うべきだなどと言ったヤツもいた!

「原バク投下70周年式典」ケネディ大使をはじめ世界100カ国の代表とEUの代表が参加した!「FTB」は「HIROSHIMA」「スパズム」そして「SATORI」をレコーディングしている!
英語で!

JOE YAMANAKAが生きていたら「FLOWER TRAVELIN’ BAND」として、この式典で世界の人々の前で歌わせてやりたかった! 戦争が生んだWAR BABY
黒人とのWの血とJAPANESEのメンバー!
第二次世界対戦の落し子「KOJIIN」で育ったカンキョウ! リアリティとテーマ!

政府、野党、官リョウの皆さん一度聞いてくれ! 一度でいい!

それにしても1973年オノ・ヨーコさんのインタヴューでNEW YORK「ダコタハウス」で会ったジョン・レノンはスゴイーッ!!
本気で世界の平和を願い行動した!

「ブラックパンサー」「IRA」「シカゴ7人の会」アブナイ人達とマジに親交を深めて行動した!

何か世界に向かって言ってくれとの事

「核」は絶対にダメダ!! 絶対に!
人類は確実に滅びる! 確実に!

2015年大きな変革の年!
世界へのメッセージ! これしかない!

ジョン・レノン「イマジン」

P.S.
「MR. PRESIDENT OBAMA」
プラハの素晴らしいスピーチ
必ず実行して下さい 任期中に!

著者プロフィール

内田裕也
うちだ・ゆうや

ロックンローラー

日本のロックシーンに多大な影響を与え続けタイガース、フラワートラベリングバンド、クリエイション等数々のバンドをプロデュース。1973年より大晦日に開催しているNEW YEARS ROCK FESTIVALは42回目を迎えPEACEをスローガンにロンドン 上海 ソウル 東北石巻 東京そしてはじめてモスクワで開催した。「PEACE」をスローガンに掲げ、現在はアジア有数のエネルギーにあふれた都市、北京―東京―ソウルそしてUK、ロンドン、USA、ロサンジェルスで各都市のアーティストを中心に5か国での開催に拡大している。映画では1977年、「不連続殺人事件」で鮮烈主演デビュー。その後、制作、脚本、主演した「あぁ、女たち猥歌」「水のないプール」「10階のモスキート」「コミック雑誌なんかいらない」の4本がその年の日本映画ベスト10に選ばれるという快挙を成す。1986年の「コミック雑誌なんかいらない」はキネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン特別賞はじめその年の映画賞を独占。カンヌ映画祭でも絶賛されニューヨーク近代美術館、リンカンセンター、ロサンジェルス、ロンドンでも上映される。2009年には文芸春秋より芥川賞作家モブノリオ氏とコラボレートした「JOHNNY TOO BAD」、白夜書房より近田春夫氏プロデュースの「俺は最低な奴さ」を刊行。2014年にはHKT48の指原莉乃とのコラボレーションで「シェキナベイベー」をリリース。幻冬舎からは自らの交遊録でもある「ありがとうございます」を刊行。69+6の現在も音楽、映画の自作を企画中。

広告