ポリタス

  • 論点
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快晴の空と自由

  • 計見一雄 (千葉県精神科医療センター名誉センター長)
  • 2015年8月12日

70年前、私は5歳だった。その日の快晴で雲一つない空と暑い日差しははっきりと記憶にとどまっている。日本が戦争に負けたという事実の意味がわかってきたのはしばらくしてからである。その日に続く日々で今でも強い印象を残しているのは、自由という感触である。なんにもない、食い物はサツマイモとカボチャだけ、タンパク質の補給は田んぼで捕まえるザリガニと川で釣る小魚くらいのもの。なんにもないが、自由だけはありあまっていた。


Photo by Urawa ZeroCC BY 2.0

無論、自由などという抽象語は後で覚えたものだが、まさにあれが自由というものだったと、70年間疑ったことがない。おそらく当時無事に生きていた子供たちは皆同感だろうと思う。こういうことを書くと、その後知った大勢の戦災孤児や私が中年になった頃にようやく帰国できた同年配の中国残留孤児たち、無数にあったであろう餓死した子供たちには済まない気がするのであるが、それは後知恵でのこと。なんであんなにも自由な日々だったのか、不思議な気もする。しかし、私にとって自由とは、その日とそれに続く3年間くらいに味わったものが本物だった。腹の減ったガキにも感じられた自由というものに、私は今でも至高の価値を置いている。多分それが侵害されるようなら戦うだろう、命を賭しても。いわば私の原点である。     

70年のうち、50年くらい精神科医という商売をやってきた。そのほとんどの年月を、スキゾフレニア(統合失調症)という病気を相手に費やしてきたのだが、このごろになってようやくわかってきたことがある。この病気の患者達には、ある共通の特徴があり、それが多分病因として強力な磁力を放っているらしいのだ。


Photo by MIKI YoshihitoCC BY 2.0

彼らの多くが語ること、いわく「私には考えてはいけないことがある」。彼らと長くつき合って注意深く聴いていると、表現はそれぞれに違っていても、この「考えることへの禁止」があることに気づかされる。

「考えてはいけないことなのに考えてしまう、これは外部からの侵入による俺の頭の操作だ」

その逆に「考えてはいけないことを考えているとそれが他人に伝わってしまう、これは頭の中を覗く機械が発明されたに違いない」と発展すれば、これはもう精神科医の出番である。

考えてはいけないこととは、なんだろうか?

「いけないことだから考えない、僕がそんなこと考える訳ないでしょう?」

私が推測するに、自らの内なる「衝動的なもの」に形をあたえることに禁止がかかっているようだ。ここで衝動的なものという曖昧な言い方をしているのは、これがかなり曖昧といえば曖昧な存在だからであるが、ドライヴと呼ぶ人もいる。これに形をあたえるとは、「怒り」「愛着」といういわば言葉として心中に抱懐することだ。

好き・嫌い→くっつきたい・排撃したい

どっちにしたって上手にやらないとうまくいかないぞ、という精神的発達の系列が成立不能になる。うまく口説けない、喧嘩慣れしてない人々が増えて困るだけではすまない、もっと悲惨な結果になる。衝動的なものに形を、つまり表現を与えることが禁じられるとそのエネルギーは貯まる一方になり、しかもエネルギーとしては洗練されない原初のままに蓄積するから、ますます消費できないものになる。なにやら得体の知れない身内にうごめく妖しき気配に化けてしまう。


Photo by Sundaram RamaswamyCC BY 2.0

思考の自由を奪われた人々がスキゾフレニアの患者諸君だった。ところでこの自由なる概念だが、これも敗戦後日本国民に与えられた憲法が保障するという自由、つまり三色旗をその象徴とする「自由・平等・博愛」の自由と、私の自由というのは、どこか違っている。つまり、この自由は「圧政からの自由」であろうが、5歳の私がまさか圧政の下にあったとは思えないからというのが、その1つの理由だが、どうもそれだけではない。あの時の自由はもっと無限定な、あっけらかんとして晴れやかなものだった。5歳児が自由などと考えるはずもないから、あの日の快晴の空の記憶が自由という概念に変じたものであろう。

戦後70年に、なにを語るか? これが依頼された趣旨である。

現在を危機の時代と私はそれほど思っていないが、仮にそうだとして、行き詰まった時には、原点に帰って思いをめぐらすしかないだろう。その時に、「考えてはいけないこと」がこころの奥の方に盤踞していると、自由には考えられない。

戦争はあってはならないから、戦争について考えてはならないか?

一種の思考実験としてだが、日米安全保障条約を解消したらどうなるのかと、誰か真剣に考えた人がいるのだろうか? 冷戦下で双方が核兵器を持って対峙しているときには、日本も核の傘に入れてもらう必要があったかもしれない。日本としてこの条約が必須だと考えた、その動機の最大のものはこの脅威であったろう。キューバ危機のようやく明らかになってきた実相が語るように、核戦争の脅威は幻想ではなかった。


Photo by The Official CTBTO PhotostreamCC BY 2.0

冷戦終結にはほど遠いころに、この思考実験をやった人間がいる。私の親父である。彼は旧海軍の主計科士官で戦後陸上自衛隊の陸将補で退官した。プロの軍人だったから、反軍思想の持ち主ではない。アメリカ陸軍の指揮幕僚学校に留学した経歴の持ち主だから、反米でもない。

亡くなったあとで遺品を整理していたら、彼が書いた論文が出てきた。余計なお世話かなとも思ったが、私家版で一冊の本にまとめた。題して『平和の条件』(昭和60年刊)という。

この論文は相当長いものだから、要約するのも簡単ではないが、その根幹にあるのは、以下のような趣旨である。

①核戦争の可能性はある。
②日本は核武装しない。
③安保条約の庇護から出たからといって、日本を核攻撃するという国家はないのではないか。

もしあったとしても、それを国際社会は許容しないだろう。

軍人の考えだから、武装放棄という思想はとっていない。核抜きの通常兵器による防衛軍を想定していることは言うまでもない。武装中立論者である。

ラディカルとは根源まで遡ってという意味である。左翼・新左翼の専売用語ではない。国の平和を守るという原点にさかのぼって考えることが、今問われているのではないか?

親父の説が今も通用するのかどうか、私には判然としない。

しかし、イラク戦争でのジョージ・W・ブッシュ元アメリカ大統領の判断、振る舞いを見ると、この国と同一歩調を取ってもいいものかと疑問が湧く。


Photo by The U.S. ArmyCC BY 2.0

ボブ・ウッドワードの『State of Denial』における「デナイアル」は否認の意味であるが、これは精神分析用語に由来し、自らの感情や欲望に対処する際の防衛機制を意味する。わかりやすく言えば、心配なことに対して「ナイナイ」として片付けてしまい、本気で取り組まない態度のことを指す。幼児の精神発達ではこの手はひどく未熟な幼児がつかうことになっている。ブッシュ元大統領の戦争についていえば、大量破壊兵器があるあるといって戦争を始めてしまったことが「不都合な真実」というのが通り相場だが、私はそれだけじゃないだろうと思っている。通常の戦闘が終了してもその後どうするのという重大な考慮がほとんど全く為されていなかったことが、今日の中東情勢の大混乱を招いたと言えないだろうか? 典型的なのはISという奇怪な国家の成立である。サダムを倒せば後どうなるのと言うときの答えは多分「日本はうまくいったじゃないか」ではなかったか?

満州事変は「うまくいった」が、その後どうなったか、くらいの想像力があれば、まさに蜂の巣を突いたような、あるいは火薬庫に煙草吸いながら入り込んだような大騒ぎになることは目に見えていた。そんなことないよ、というのをデナイアルという。「あの国にくっついて行って大丈夫なの?」という疑問が湧かないのだろうか?


ローレンス・ライト『The Looming Tower』を読むと、アルカイーダの成立やビン・ラディン、ザワヒリなどのテロリストが生まれてくる歴史的・思想的背景が詳細に描かれている。私がこれを読みながらつくづく思ったことがある。テロリスト集団の思想的なバックボーンとなった宗教的思想家はサイイド・クトゥブという名前で、この人はエジプト元大統領ナセルによって絞首刑となった。ナセル元大統領はなんとか穏便に済ませたかったが強情を張られて万事休すとなったらしい。

これから先は私の勝手な連想ないし妄想である。

幕末から明治への変革期にも多くのテロリストが活躍した。暗殺、外国艦隊への砲撃、東北地方の内戦と大量殺戮などなど。その革命を領導した志士たちとその思想的淵源――今NHKで放映中の長州藩の面々を1960年代の中東に平行移動してみると、サイイド・クトゥブ師は松下村塾の松蔭先生に、ビン・ラディン君は高杉晋作に見えてきてしまった。長州出身の宰相の時代にこのようなことを言うのは、不謹慎であろうか? 「尊皇・攘夷」を「イスラムの古式伝統への回帰・唯物論拒否」に読み替えることは、あながち牽強付会と思えない。アルカイーダは元々ソヴィエトによるアフガン侵略と共産化への抵抗として誕生し、そのときにはアメリカは後押ししていたのである。


Photo by The U.S. ArmyCC BY 2.0

歴史はその時代のみに焦点をあててもわかりにくいものだ。どこかに似たような人物たちがいて、よく似たような劇を上演していないとは限らないのである。

これから先の日本をどうしたいかに、年寄りがあれこれいうのはいかがなものかと、いささか躊躇するのであるが、スローガンに乗らない社会になれば良いなあと思う。スローガンというのがどこから来た言葉なのか知らないが、古くは「鬼畜米英・欲しがりません勝つまでは」の類。現代の実例は差し控える。日本語でいえば、きまり文句、昔のしゃべり方なら「符牒」というところか? それを唱えれば、あとは思考停止してよいという意味では呪文かもしれない。安物の呪文に騙されないためには、日頃から練れた言い回しができていなくてはならない。そういう意味で、この国が「言霊のさきはふ国」になってもらいたい。

※参照した文献
Bob Woodward : State of Denial  SIMON &SCHUSTER  2006
Lawrence Wright : The Looming Tower  PENGUIN BOOKS 2007

著者プロフィール

計見一雄
けんみ・かずお

千葉県精神科医療センター名誉センター長

社会医療法人公徳会佐藤病院顧問。日本精神科救急学会理事。千葉大学医学部大学院卒、千葉県精神科医療センターを1985年に設立、その後日本精神科救急学会創立にあたる。著書『脳と人間』『統合失調症あるいは精神分裂病』『現代精神医学批判』『戦争する脳』『急場のリアリティー』、木田元・計見一雄(対談)『精神の哲学・肉体の哲学――形而上学的思考から自然的思考へ』訳書に『肉中の哲学』など。

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