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  • Photo by Kim Ahlström(CC BY 2.0)

中野剛志内閣総理大臣談話(いわゆる中野談話)

  • 中野剛志 (評論家)
  • 2015年8月15日

私は、さきの大戦の終結から70年を迎えるにあたり、戦争における内外のすべての犠牲者に対し、改めて心より追悼の意を表します。

さきの大戦においては、数多くの人々が戦陣に散り、戦禍に倒れました。また、我が国は、かつての植民地支配と侵略により、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私たちは、こうした過去の不幸な事実から目をそらしてはなりません。

戦後の我が国は、さきの大戦から数多くを学び、その教訓を踏まえて、いかなる国際紛争も国際法にのっとって平和的に解決するという立場を貫いてまいりました。また、政府開発援助(ODA)や国連平和維持活動(PKO)などを通じて、あるいは国際法に基づく紛争の解決を強く訴えかけることによって、国際社会の平和と繁栄のために努力してまいりました。我が国の国際平和の実現の志と行動は、今後もいささかも変わりません。

そのような我が国に対して、まことに残念なことですが、さきの大戦をめぐって謝罪を繰り返すことを求める声が依然としてあります。

しかしながら、私は日本政府を代表する者として、さきの大戦における我が国の国策に対する正邪を判断し、謝罪を表明することは適当ではないと考えます。その理由を申し述べます。

すでに確認しましたように、我が国がさきの大戦や植民地支配によって、数多くの人々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の犠牲を強いたことは、歴史の事実であります。

また、当時の我が国の指導者たちに多くの判断の過ち、弱さ、そして愚かさがあったこともまた、歴史の事実として認めなければなりません。こうした不幸な歴史を私たちは二度と繰り返してはなりません。

しかしながら、他方で、近代国家となってから未だ年月が浅く未熟な我が国が、力のある国家による侵略や植民地支配が当然のこととされていた帝国主義の時代に巻き込まれていく中で、自国の生存を確保するためにやむなく武力に訴えざるを得なかったという事情も、当時としてはあったのだろうとも思います。

同時に、私は、戦争を回避しようと懸命に努力した人々、アジアの解放や五族協和という大義を真心から信じ、行動した人々、祖国の同胞や家族を守ろうとして戦い、犠牲になった人々、そしてその遺族の方々の深い悲しみを想うのです。

このような日本人が数多くいたこともまた、忘れてはならない歴史の事実のはずです。

私たちは、こうした人々の尊い犠牲の上に生かされている子孫です。そのような私たちが、さきの大戦における父祖たちの行動のすべてを一面的に不正義であると断罪し、謝罪を表明することが果たして適切なのでしょうか。私は、そうは思いません。

私は、さきの大戦における我が国の国策を正当化したり、美化したりしているのではありません。

ただ、歴史の事実というものは、現在の世代が現在の価値観によって一方的に裁くべきものではないということを申し上げたいのです。私は、さきの大戦を善か悪かではなく、ただ歴史の悲劇として受け止め、当時の敵味方を問わずすべての犠牲者の霊を慰め、静かに鎮魂の祈りを捧げたいのです。

戦後70年、我が国は国際法を順守し、平和と繁栄を享受してきましたが、世界からは未だ戦火が消えることはありません。国際法に違反する武力を背景とした領土・領海の拡張の動きも絶えません。70年前の戦争の解釈をめぐる不毛な政治的争いをこれ以上続けるのはやめ、現在の国際紛争や国際問題を平和的に解決するために、世界各国がともに手を携えていこうではありませんか。

私はここに改めて表明いたします。

我が国は、戦後の70年間と同様、今後も、いかなる国際紛争も国際法に基づいて解決するとの立場を貫いてまいります。同時に、そのことを世界のあらゆる紛争当事国に対しても強く求めます。そして、国際社会の平和と繁栄の実現のために全力を尽くすことを誓います。

著者プロフィール

中野剛志
なかの・たけし

評論家

1971年生まれ。1996年東京大学教養学部卒業、通商産業省(現経済産業省)入省。2013年イギリス民族学会(ASEN)からNations and Nationalism賞を受賞。2005年エディンバラ大学より博士号(社会科学)取得。2010~12年京都大学大学院工学研究科助教、准教授を歴任。主な著作に『国力論』『TPP亡国論』『日本思想史新論』(山本七平賞奨励賞)『世 界を戦争に導くグローバリズム』『資本主義の預言者たち』等多数

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