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  • Photo by Miltos Gikas(CC BY 2.0)

祝宴

  • 浅生鴨 (作家、クリエイティブ・ディレクター)
  • 2015年12月29日

どうも。みなさん、こんにちは。

戦後70年のスピーチという大役を仰せつかりました、わたくし、浅生鴨と申します。

お話をいただいた時には、これはもう、わたくしでは力不足、とてもじゃないけれどもそんなことは無理だと思いながら、なぜかうっかり受けてしまいまして、この場になってもまだいったい何を話せばいいのだろうと戸惑っているところなんです。でまあ、いちおう前もってこんなふうにメモを用意しましたので、これをですね、こっそり見ながらお話しようと思っております。

戦後70年だそうですね。70年というのは、ずいぶんな時間で、人間でいえば古稀ということになるわけです。

古くは杜甫の『曲江』に、

酒 債 尋 常 行 處 有
人 生 七 十 古 來 稀

とありますが、今の日本は超高齢社会ですから、まあ古稀といっても、もうそれほど珍しいことではなくなって来ているんでしょうかね。

とは言え、やはり70年というのはお祝いされるべき一つの区切りでしょう。ここまで元気に過ごしてこられたのは本当に何よりです。

70歳ですから、少しは足腰も弱って目や耳なんかにも悪いところが出てきているでしょう。余計なお世話かもしれませんが、そろそろしっかり検査をして悪いところは早めに治していくってことを心がけたほうがいいかも、なんてことを思うわけです。ちょっと杖なんかも必要じゃないのかな、なんてことも思うわけです。

たぶんお忘れになっていることもいろいろあろうかと思います。最初のころはどうだったとか、何が一番欲しかったとかね。わたくしなどはもう昨日のことだってどうにも怪しいもんですから、70年前に、よしこれからはこうするぞと思われたことなんかも、ちょいちょいお忘れになっているんじゃないかなって。

あ、忘れていませんか。これは失礼いたしました。まだまだ若いもんには負けられないと。ああ、そうですよね。ぜひ、わたくしども若輩者にもっともっと教えていただければと思います。どうすればこの70年という歳月を上手に過ごすことができたのかを。その秘訣はいったい何だったのかを。まあ、ご無理のない範囲で結構ですが。急に無理をされて、倒れられてはわたくしどもも困りますから。

振り返ってみれば、もちろんこの70年間にはいろいろな出来事がありました。嬉しいことやステキなことだけではなく多くの悲しい出来事もありました。そのことは、たくさんの人が今でも胸に刻んでいることでしょう。

それでもこの70年がこの国にとって、すばらしい時間であったことはまちがいありません。なんと言っても、普通に暮らしていて死ぬという心配が少なかったわけですから。世界中のいろいろな国や地域に住む人たちから、あんな風になりたいと思われてきたわけですから。これって、本当にすごいことですよね。

生まれて、育って、歳をとって、亡くなる。
よく食べ、よく働き、よく笑い、よく眠る。
会いたい時に友に会い、自由に思いを語り、激しく恋をする。
困っている人たちに手を差し伸べ、悪いことをした人はきちんと叱る。

何だかあたりまえのことのようにも思えますが、それをできずにいる人たちが世界にはたくさんいて、彼らからは、ずっと憧れを持って見られて来たんですよね。

当たり前のことは、失われた時にはじめてその大切さがわかります。そう考えると責任重大です。これからの70年をこれまでと同じように当たり前に過ごせるのか、いつまでも憧れていてもらえるのかは、これからのわたくしたちにかかっているわけですから。

70年も経つと、いろいろと変わることもあるでしょう。だからこそ注意深く、体と心に気を遣いつつ、ときどきは休んだり悪いところを治したりしながら、しっかりと遠くに視線を置いてまっすぐに歩いて行って欲しいものです。

そう。世界の人たちがハッと振り向くように、あんな風になりたいと思われるように、いつまでもオシャレでカッコよくスマートであって欲しいものです。

思えばこの70年、ずっと夢を持っていましたよね。そろそろ現実的になれという人もいますが、夢だってそんなに捨てたものじゃありません。

たくさんの夢を暮らしの中で形にしてきたのが日本という国ですし、そんな日本を世界中が追いかけた時期だってあったわけです。

現実を積み上げていってもたどり着けるところはそれほど遠くはありません。それが悪いってことじゃないんですよ。現実とはそういうものですからね。

でも、わたくしはですね、あえて遠くの夢に向かって走ってみたい。現実を見ながら、それでもやっぱり夢を追いかけていたい。夢ですから、届かないかもしれません。でも何とかしてその夢を叶えたいと精一杯もがくことは、きっと今まで思いもよらなかった道を見つけ出したり、新しい一歩を踏み出すきっかけになったりするはずです。

これからの70年をどう生きるのか。それは、わたくしたちがどんな夢を持つのかによって大きく変わっていくのでしょう。

さあ、次はどんな夢を見ましょうか。その夢を形にするにはどうしたらいいのでしょうか。せっかくならば、できるだけ大きな夢を持ちたいものですよね。

先ほどの杜甫の詩は、

穿 花 蛺 蝶 深 深 見
點 水 蜻 蜓 款 款 飛
傳 語 風 光 共 流 轉
暫 時 相 賞 莫 相 違

と続きます。これはまあ、自然を相手に言っているという体裁ですが、きっと人に向けた言葉なのだろうとわたくしは思っています。

この国に住む誰もが、この世界に生きる誰もが、その僅かな人生の瞬間を共に仲良く、お互いを大切に思いながら幸せに過ごせることを、そしてまた今から70年後にも、このようなステキなお祝いの席が設けられることをお祈りして、今回の古稀のお祝いに代えさせていただきます。

本日は、おめでとうございます。

ご静聴ありがとうございました。


Photo by Miltos Gikas CC BY 2.0

著者プロフィール

浅生鴨
あそう・かも

作家、クリエイティブ・ディレクター

1971年、神戸出身。ゲーム会社、レコード会社、デザイン会社などを様々な業種・職種を経て、2004年からNHKに勤務。番組制作ディレクターとして「週刊こどもニュース」などの演出を担当。2009年にNHK広報局のTwitterアカウント「@NHK_PR」を非公式に開設。番組制作などの合間に行ったTweetが注目を浴び、"中の人1号"として話題を集めた。2014年にNHKを退職し、現在は広告の企画・制作、執筆活動などに注力している。ペンネームの浅生鴨は「あ、そうかも」という口癖が由来のダジャレ。著書に『中の人などいない @NHK_PRのツイートはなぜユルい?』(新潮社)、短編「エビくん」『日本文藝家協会・文学2014』収録(講談社)、「終焉のアグニオン」(新潮社「yomyom」にて連載中)

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