私が子どもの頃、NHKの夜7時のニュースのトップ項目は、いつもベトナム戦争でした。大学生のお兄さん、お姉さんたちがいつもデモをしていて、巷(ちまた)ではこういう歌が流行(はや)っていました。
2番ではこう続きます。
若すぎるからと 許されないなら 髪の毛が長いと 許されないなら
今の私に 残っているのは 涙をこらえて 歌うことだけさ(「戦争を知らない子供たち」作詞:北山修 歌:ジローズ )
ベトナムに爆弾の雨を降らせているアメリカという悪い国に対して「戦争をやめて!」と訴える歌です。デモをしていたお兄さんたちも、同じ気持ちだったのでしょう。反戦平和。なんと美しい言葉!
でも今はこう思います。
戦争は一つの国だけでするものではありません。必ず相手がいるのです。ベトナム戦争は、アメリカ+南ベトナム政府軍と、北ベトナム+南ベトナム国内のゲリラ(解放民族戦線)との戦いでした。第一次インドシナ戦争後、南北に分裂していたベトナムで、最初は南ベトナム国内で解放民族戦線が武装蜂起し、南ベトナム政府からの要請を受けたアメリカが、北ベトナムに対する空爆を始めたのです。
つまり、最初にこの戦争を始めたのは解放戦線であって、アメリカではありません。なぜ彼らは戦争を始めたのか?
南ベトナム政府の独裁と腐敗が凄まじかったからです。
クーデターで国王を追放し、独裁権力を握ったゴ・ディン・ディエム(ゴ・ジン・ジェム)大統領が一族で高位高官を独占し、汚職が横行しました。また、北ベトナムと約束した統一選挙を実施せず、これに抗議する市民を逮捕して、「北のスパイ」「共産主義者」の罪名で拷問にかけ、処刑していったのです。ソ連との冷戦を続けるアメリカは、「反共」の一点でこの腐敗した政権を支援していました。
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北の指導者ホー・チ・ミンは確かに共産主義者でしたが、同時にフランス植民地支配からベトナムを解放した民族の英雄でした。だから南の人々の多くは、むしろ北によるベトナム統一を望んだのです。
ゴ政権の暴力支配に対し、南の人々は解放戦線を組織して立ち上がりました。このとき南の人々が「涙をこらえて歌うだけ」だったら、独裁政権はその後も存続し、奴隷の平和が続いたでしょう。
1945年、大日本帝国は米軍による無差別爆撃を受け、満身創痍の中で敗戦を迎えました。米軍占領下で武装解除された日本は、その後の70年間、事実上アメリカの保護国に甘んじ、米軍の駐留を受け入れることによって「与えられた平和」を享受してきました。アメリカの支配は横暴でしたが、同じ連合国のソ連に占領された東欧諸国や北朝鮮、あるいは中華民国に占領された台湾に比べればはるかにマシでした。少なくとも日本では言論の自由と複数政党制が認められたからです。
大戦の惨禍が言語を絶するものだったため、日本人の多くは戦争について語ることさえ忌避するようになり、「涙をこらえて歌うだけ」という曲に感動する脆弱な若者たちが育っていきました。
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しかし大東亜共栄圏と呼ばれた地域では、日本軍の撤退後も戦争は続いていたのです。自由と民主主義のために戦ったはずの連合国が、植民地支配の復活を企てようとしたからです。
ベトナムではホー・チ・ミンがフランス軍と戦い、インドネシアではスカルノがオランダ軍と戦っていました。遠くアルジェリアでは、圧倒的なフランス軍に対して解放民族戦線のゲリラ戦が続きました。エジプトではイギリスが建てた傀儡(かいらい)王政を、ナセル将軍の自由将校団が武力で倒しました。
こうしてついに西欧諸国による植民地再建の野望は潰(つい)え、新興のアジア・アフリカ諸国首脳がバンドン会議を開催できたのは、第二次大戦の終結から10年後でした。
しかもフランス軍が去ったベトナムには、今度は米軍がやってきました。ベトナム戦争の終結と南北統一は、さらに20年後のことだったのです。ベトナムの各家庭には戦死者の記憶がいまも生々しく残っています。トーチカや地下壕などの戦跡も無数に残っています。
彼らの戦争は無意味だったのでしょうか?
涙をこらえて歌うべきだったのでしょうか?
大戦中、兵力不足に悩む日本軍は、インドネシアの若者に軍事教練を施し、郷土防衛義勇軍(PETA)を組織しました。日本軍撤退後、この組織が対オランダ独立戦争に勝利し、インドネシア国軍の母体となったのです。この独立戦争には、多くの旧日本兵が参加し、1000人以上が命を落としています。彼らはインドネシア国軍兵士とともに、ジャカルタの国立墓地に眠っています。
大東亜共栄、アジア解放の理念は日本軍の政治宣伝だったにせよ、その理念を信じて戦った多くの兵士がいたのです。だから、1955年のバンドン会議では、日本代表が万雷の拍手で迎えられたのです。
戦後70年、アジアは自由で平和で民主的になったのでしょうか?
いまだ独裁と腐敗、圧政が続く国があります。領土的拡張の野心をあらわにする大国があります。アメリカはすでに老い、冷戦期のような大規模な海外派兵を行う意思を持ちません。
帝国主義の時代を繰り返してはなりません。
平和が危機にあるとき、涙をこらえて歌っているだけでは、平和を守ることはできないのです。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる
(日本国憲法前文)
戦後70年にあたり、われらはこの精神を堅持し、危急のときに際しては、自由と人権、民主主義と法の支配の側に立ち、暴力と恫喝には決して屈しないことを、ここに宣言します。
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