私は台湾、ベトナムと日本の血を引いています。それぞれの国の家族に戦争体験者がいて、第二次大戦中に乗った客船がアメリカの潜水艦に撃沈された台湾の家族もいれば、日本の敗戦と同時にロシア兵に追われて満州から大変な思いで帰国したり、広島の原爆投下で被曝したり、ベトナム戦争では敵味方に分かれて戦った家族もいます。いずれの場合も深い悲しみの痕跡が、家族の歴史に刻まれたことは言うに及びません。
私自身は戦争を経験していません。フランス国籍の人間としては、かつては兵役が存在したのですが、ちょうど私の代で兵役が廃止されたので、軍隊生活も経験していません。なので、戦争に関する現実味のある情報としては、かつての戦争を生き延びた家族の話しか知りません。
しかし、私の生まれ育った現代でも戦争が絶えたことはないし、いまも国家間やテロリスト集団の闘いに巻き込まれる危険性が存在しています。その意味では戦争とは決して絵空事ではなく、その不吉さは日々増しています。今日、私たちは歴史に学ぼうとすれば過去2000年以上に渡る人間の戦争史を振り返ることができます。そこから浮かび上がってくるのは国家という枠組みの構造的な限界、もしくは不自然さと呼べるかもしれません。
私は日本に生まれ、フランスの学校で育ち、アメリカの大学に学び、いままた日本で仕事をしながら生活しています。私は日本という国を愛していますが、それは国家を愛するということとは意味が違います。私は日本と同様にフランスも、アメリカも愛していますが、フランスやアメリカという国家を愛しているわけではありません。私にとって国とは、その場所に住んでいてその顔を思い浮かべることのできる個々の友人や家族に加え、そこに根付く文化の総体を意味しています。そして、文化とは互いに融け合うものです。その意味では、私は日本人でも台湾人でもベトナム人でもフランス人でもアメリカ人でもあるのだと思います。純粋な民族という考え方が科学的にナンセンスであるように、純粋な文化というものも存在しません。そのようなものが存在したとすれば、酷く貧しいもののはずです。
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日本の歴史をひもとけば、日本に住む人々は言語、建築、食文化、宗教、文学、科学技術について、常に海外の文化を吸収しつつ、独自に洗練させながら固有の文化を構築してきました。まさに極東の島国にあって、古くは中国、インドや朝鮮と南アジア、中世から近代に至るまでは欧米の文化技術を参照しながら、多様な人間の脳の協働をゆるやかに吸収してきたこと。この日本文化の複雑さ、豊穣さに、複数の国で育ち、複数の文化の薫陶を受けてきた私は深く共感します。
社会を内と外に分け、外因に責任を押し付ける方法は短期的には局所的な安定をもたらしますが、中長期的には広範囲にわたって人間的な貧しさを生み続ける病理となることを、私たちは歴史的に知っているはずです。中国の中華思想、アメリカの覇権主義、ヨーロッパの植民地主義、宗教的原理主義。これらは全て国家的な貧困の思想であり、無知と怨嗟に基づく紛争を何世代にも渡って産み続ける思考法であることは歴史が証明しています。
他者を否定して内に閉じこもるのではなく、逆に肯定して自らのうちにしなやかに取り込むこと。業と見なすか、したたかさと見るかはさておき、この他者との差異を尊重し、敬意と謙譲を必然的に育む文化的な技術において世界に類を見ない歴史を持つことこそが、日本という「国」の構造的な美しさであり、偉大さなのではないでしょうか。そしてこの構造は、戦争という他者を否定する最大の行為を起こしたり加担することを認めない憲法を持ち、その理念を保持することと密接に連関しているように私には思えます。
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情報化の一途を突き進み、地球規模での環境問題に直面する現代の複雑なグローバル社会において、私たちは新しい人間的な豊かさを追求するべくいかに協働するかということに集中するべきなのであって、他者と争い合う時間も余裕もないはずです。そうではなく、世界で最も自由な脳の協働に固執すること、そこから世界史の中にもまだ登場したことのないほどまでに異なる文化や価値観と融け合える生命的な国の造り方が見えてくる。
そんな希望的な予感を、私は日本という国に抱いています。