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  • Photo by Christopher Michel(CC BY 2.0)

「漁船でフィリピン、鍋釜回収」vs「ヘロウヘロウとハム、ケーキ」

  • 谷本真由美 @May_Roma (文筆家、情報通信コンサルタント)
  • 2015年8月31日

戦後70年だそうです。

大学院で安全保障とか国際関係などをやっていた自分ですが、太平洋戦争のことを考えると、頭に浮かぶのは、E・H・カーの本の中身とか、ゲーム理論の図ではなく、「漁船でフィリピン、鍋釜回収」という、親孝行してそうなギャングスタラッパーが叫んでいそうなフレーズです。

終戦の数週間前に、私のおばあちゃんの最初の旦那さんは、漁船に乗ったまま、フィリピンのどこかで沈没してしまいました。


Photo by César RincónCC BY 2.0

旦那さんは、腕は良いが、無愛想で、口うるさい大工でした。

見合いで一緒になったおばあちゃんは、大変口が悪かったため、「うるさいから死んじまってよかったよ」といいつつ、終戦後、何年もの間、引き上げの船が横浜に来るたびに、旦那さんを探しに行きました。

当時は食べ物も仕事もなく、まして、未亡人に仕事をくれるような人もいません。シングルマザーへの援助などなく、誰もが食うや食わずで、日本人は、他人を構う余裕などありません。

美しい日本とか、和とか、伝統とか、コミュニティの連帯なんて、一旦食べるものがなくなってしまえば幻想です。お金も食べ物も恵んでくれる人などいません。

食糧難で、実家に帰ることもできなかったので、おばあちゃんは瓶洗いをやって、たった一人で子供を育てていました。未亡人の子供は「片親の子供」と石を投げられ、肥溜めに放り投げられ、靴を盗まれました。


Photo by Mislav MarohnićCC BY 2.0

家の近所には海軍燃料廠がありましたが、戦後そこは駐留軍が接収し、PX(物資倉庫)になっていました。近所を通りかかるアメリカ兵が、小さな子供を抱えたおばあちゃんを見かけて、かわいそうに思ったらしく、英語もできないおばあちゃんを、倉庫の守衛として雇ってくれたのです。

軍人達やその家族達は、大変親切だったらしく、そこでの仕事がとても楽しかったことを、おばあちゃんはよく話していました。未亡人とイジメられることもなく、気楽で体の大きな外人さん達は、ヘロウ、オウケイといつも楽しげだったそうです。

彼らは大変気前が良く、ハーシーのチョコレートやら、ハム、スパム、クリスマスケーキ、などをくれ、そのような貰い物で、おばあちゃん達は生き延びました。敵の国であっても、かわいそうな他人を見かけたら助ける。旦那がいないからとイジメたりしない。少ないものを取り合い、弱いものがいたらイジメ抜く様な日本人を見ていたおばあちゃんには、ガイジン達のそういう考え方も、不思議だった様です。


Photo by BadagnaniCC BY 2.0

「戦争中は、あんた、鍋まで持っていかれちゃって。料理に困ったよ。しかも、お父ちゃん漁船でフィリピンに行かされたんだよ。漁船。漁船だよ。魚捕るあの小さいの! うちの父ちゃんは大工で漁師じゃないっつーの。アメリカさんは、ハムやらケーキまでくれるほど余裕があったのに。うちからは鍋まで持っていかれちゃった」

貧乏長屋から鍋まで徴収した上に、大工を漁船に乗せて戦地に行かせて、途中で沈没してしまう——情けなくて、貧乏で、根性論で、なんだかどこかが抜けている日本。一方で、子供を抱えた外国の小さな未亡人に、ヘロウヘロウとにこやかにで挨拶し、ハムやらケーキをくれる、余裕のよっちゃんなアメリカ兵。

「漁船でフィリピン、鍋釜回収」な日本の情けなさと、余裕のよっちゃんなアメリカの情景というのが、おばあちゃんの話を通して、私の頭の中には、太平洋戦争の縮図として焼きついています。

私は大学生になると、アメリカで勉強することに決めました。大工を漁船に乗せてフィリピンに送ってしまうという訳のわからない日本が、なぜ、余裕のよっちゃんなアメリカと戦争したかという理由を知りたかったからです。


Photo by NconwaymicelliCC BY 2.0

色々学んでわかったことは、戦争中、アメリカ兵やイギリス兵やオーストラリア兵の軍用糧食にはキャンディーやチョコレートが入っていたのに、日本兵はジャングルでワニと戦いながら、青いバナナを食べていたこと。日本では戦争中一般庶民は雑草を食べていたのに、イギリスの一般民は、配給される卵やバターの量が少ないということが悩みだったこと。アメリカやイギリスでは、原爆は単なる巨大な爆弾だと思っている人が多いこと。

そして、最も驚いたことは、一般家庭から鍋を回収したり、大工を漁船に乗せて戦地に行かせたような国はなかったことでした。そんな貧乏な国は、意思決定する人々がマトモな頭を持っていたら、世界一豊かな国と戦おうとは思わないのです。

日本の人がひどい目に合わないために身につけるべきなのは、科学的思考と、弱いものはイジメてはならない、という、至極当然な考え方です。それが身についていないために、70年前に、大勢の人が亡くなりました。

しかし、ブラック企業の蔓延、非正規雇用の人の待遇、被災者の放置、介護費用自己負担の増加、近隣国を怒らせようとする人々、を見ている限り、どうも、70年前から何も学んでいない人が大半なのではないか、という気になります。

戦後70年だそうです。

私は、このクソ暑い中、クソ真面目に、我が国の先行きを考えるという、真面目な話をしています。したがってどうか、この原稿を最後まで読んでしまったあなたも、これを機会に何か考えてみてください。

著者プロフィール

谷本真由美 @May_Roma
たにもと・まゆみ

文筆家、情報通信コンサルタント

文筆家、情報通信コンサルタント。公認システム監査人(CISA)シラキュース大学大学院修士課程修了。ITベンチャー、コンサルティングファーム、国連専門機関の情報通信官などを経て、現在は日本と欧州を往復する生活を送っている。著作「添削!日本人英語」(朝日出版)等

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