ポリタス

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  • Photo by Kevin Dooley(CC BY 2.0)

亡くなった祖父が教えてくれたこと

  • 増原裕子 (株式会社トロワ・クルール代表取締役)
  • 2015年8月14日

戦争のことを考えるときはいつも、亡くなった祖父のことを思い出す。子ども時代は、近所の畑からサツマイモやサトウキビをとってかじっていたそうだ。16歳のとき「軍に入ればご飯が食べられるから」という理由で少年飛行兵に志願したが、住んでいた福岡から鹿児島に渡っての最終検査で眼の異常がみつかり、戦地に赴くことはなかった。その年に終戦を迎えた。

私が小さな頃、祖父はお風呂の中で戦争の話をくり返し聞かせてくれた。祖父が本当に戦争に行っていたら、戦争で命を落として、私の父も私も生まれていなかっただろうと思うと、不思議な感じがした。そして怖かった。「戦争は絶対にいけんっちゃ」という言葉は子どもながらに強く印象に残り、今でもはっきりと覚えている。


Photo by Acy VarlanCC BY 2.0

中学に上がって以降は、毎年祖父母の家に帰省して夏休みを過ごすこともなくなったが、高校卒業前の最後の春休みに、私は一人で福岡に帰省した。祖父と二人で小倉城のそばにある松本清張記念館を訪れた。展示の中でとくに私を惹きつけたのは、「世の中の常識を疑え」という内容のパネルだった。正確な表現は覚えていないが、松本清張の言葉に衝撃を受けた。

当時の私は、自分が人と違う部分を持っているということを誰にも打ち明けられずに、人知れず苦悩していた。女性を好きになる自分をどう理解し受け止めていいのかわからず、途方に暮れていた。そんな時期に、この言葉はずしりと胸に響いた。記念館を出て祖父と「常識を疑う」ということについて言葉を交わした。祖父は、敗戦を知らされた玉音放送のことを話してくれた。国に裏切られたと感じた、非常に重く苦しい夏の話だった。


Photo by sunlight cardiganCC BY 2.0

「世の中の常識を疑え」というのは、私の人生のひとつの指針になっていると思う。情報が圧倒的に少ない中で、同性愛者であることを自分なりに受けいれ、社会に対して発言できるようになるまでには、長い時間を要した。社会で常識とされていることに疑問を持ち、挑み、今では同性の妻と暮らし、子どもを持つことを考えている。きっかけをくれた祖父にあらためて感謝したい。

日本では、自分が社会を変える力を持っている、ということをあまり積極的に教えていないように思う。だが私は実感を持って、個人が社会に声を届け、変えていく力があると信じている。それを意識したことがない人がいるとすれば、大人にも子どもにも声を大にして伝え続けていきたい。あなたには、社会を変える力があると。

一人ひとりがそういう意識を持ちながら毎日を暮らし行動していくことができたなら、自ずとこの国の未来は開けるはずだ。

著者プロフィール

増原裕子
ますはら・ひろこ

株式会社トロワ・クルール代表取締役

1977年、神奈川県横浜市生まれ。慶應義塾大学大学院卒業(専攻はフランス文学)。オープンなレズビアンとして様々なLGBT支援活動を行う。LGBTが安心して暮らし、働ける社会を目指して日々発信している。著書に『ふたりのママから、きみたちへ』『レズビアン的結婚生活』(共にパートナーの東小雪と共著)がある。

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