私は中東のエルサレムで戦後70年を迎える。どこに目を向けても戦争や紛争が日常の風景になっている中東。ここから日本を見ると、70年間、一度も戦争をしなかった国があるなどとは信じられない。逆に平和と繁栄が当たり前の日本から見れば、中東ははるか遠い世界であろう。しかし、日本はかつてアジアの国々を侵略し、国際社会と対立した軍事国家だった。いま中東で歯止めなく武力や暴力を行使する政府軍や過激派の姿は、かつての日本の姿でもある。
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私は長年、中東でジャーナリストとして働き、暴力が暴力を生むという負の連鎖をいやというほど見てきた。米国が始めたイラク戦争は、その最たるものである。世界最強の軍隊が8年間の「対テロ戦争」で4400人の兵士を失った。戦争の巻き添えになったイラクの民間人の死者は公表された集計で15万人。50万人以上という推計もある。戦争はさらに血みどろの宗派抗争を引き起こした。今年1月に二人の日本人の命を奪った残忍な「イスラム国」も、その混乱の中から生まれた。
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日本はこの中東で、焦土の中から復活し、成功と繁栄を達成した国として人々から尊敬を受けてきた。1994年パレスチナ和平が結ばれてパレスチナ自治が始まった時、2003年イラク戦争でフセイン政権が崩壊した時、2011年エジプト革命でムバラク大統領が辞任した時、パレスチナ人も、イラク人も、エジプト人も、みな同じく自分たちの将来を「日本の戦後復興」と結びつけようとした。「どうしたら日本のようになれるのか」と、何度も中東の人々に質問された。
私は「戦争をしないこと。民主主義を行うこと」と答えた。同時に「日本はかつて軍国主義でアジアの国々を侵略した歴史がある。戦争に敗れた後、憲法で戦争放棄を誓い、平和な国造りを始めた」と、過去の過ちの反省の上に日本の現在があることを伝えた。
Photo by Seiko Kawakami
いまの中東の人々にとって平和国家というあり方は想像しがたいものだ。しかし、中東を侵略したことのない日本については「平和の国」として好意的に見てくれた。イラク戦争後に日本が米国の要請を受けてイラク南部のサマワに陸上自衛隊を送った時、私が接触した反米勢力の指導者は「日本の自衛隊は戦うためにきたのではないから標的としない」と明言した。自衛隊は日本の平和国家のイメージに守られていた。いま、アラブ世界で日本の安保法案についての報道を通じて、「日本は米国と一緒に戦う国になる」というイメージが広がっていることに強い危惧を覚える。
Photo by Seiko Kawakami
忘れられない光景がある。2011年2月、エジプトで自由を求める若者たちの大規模なデモによって強権体制が崩れた。それから一か月半後の3月下旬、カイロスタジアムで革命後初のサッカーの国際試合があった。ぎっしりと満員になった観客席のあちこちで治安部隊の銃撃で死んだ若者の似顔絵を描いた巨大な旗が振られていた。長年、軍と警察に縛られたきた人々に自由の空気があふれていた。試合が始まる直前、突然、スタジアムのスクリーンに日の丸が現れ、「私たちの心は日本と共にあります」という日本語が浮かび上がった。その10日前に東日本大震災に見舞われた日本への激励のメッセージだった。その声が日本に届くわけではないが、たまたま会場にいた日本人としてエジプト人の気持ちがうれしかった。
Photo by Seiko Kawakami
エジプトはその後、暗転し、選挙で選ばれた大統領は軍によって排除された。いまはもう若者たちの間に自由の空気はない。パレスチナもイラクも、なお混乱と荒廃の中にある。しかし、アラブの若者たちはいまなお「日本のような国をつくりたい」と語る。
日本の安全は、軍事力を強化したり、米国との軍事的協力を強めたりすることで確保できるものではない。この70年間、日本がもがき、よろけながらも積み上げてきた平和国家の歩みは、私たちの財産というだけにとどまらず、世界で戦争や紛争に苦しみ、平和を願う人々にとっての希望であることも忘れてはならない。
Photo by Seiko Kawakami