ここのところ靖国神社のことを調べてきた関係で、幾度となくそこを訪れてきました。
もちろん、8月15日の終戦記念日に訪れたこともありますが、もっとも印象に残ったのが、7月半ばの「みたままつり」のときのことです。境内には、浴衣姿や肌もあらわな若い女性たちが多くつめかけ、それを目当てにした若い男性たちの姿も多く見られました。年配者の姿はなく、家族連れすら珍しい、そんな光景に驚きました。
靖国神社と言えば、8月15日の光景ばかりが報道されてきました。騒ぎを引き起こした『靖国 YASUKUNI』というドキュメンタリー映画でもそうでした。
しかし、みたままつりの光景も、靖国神社のもう一つの面を伝えています。一度、このまつりが近づいた時期、中央線の電車のなかで、女子高校生がみたままつりに行くかどうかを話し合っている場面にも遭遇しました。
みたままつりは、戦後になってはじまった行事で、靖国神社が平和を希求する施設であることをアピールする目的がありました。新暦のお盆の時期が選ばれたのも、それが死者を追悼するには一番ふさわしいと考えられたからでしょう。今でも続いていますが、最初は盆踊りがまつりの中心でした。
みたままつりに集まった若い男女が、果たして靖国神社がどういう施設であるのか、それを十分に認識しているとは思えません。また、戦没者の慰霊ということに関心があるようにも見えません。何しろ、若者たちは、みたままつりからの連想で、靖国神社を「みたま神社」と呼んでいたりするからです。
しかし、みたままつりに若い男女が集まって、青春を謳歌している姿は、現代の日本がいかに平和な社会であるかを示しています。戦時中なら、若者たちのほとんどは戦場に駆り出され、少女たちはその出征を見送るしかなかったはずです。その点で、みたままつりの目的は十分に果たされたと言えるでしょう。
そのみたままつりも、今年、大きな変化を迎えました。参道を埋め尽くしていた屋台が消え、酒宴も禁じられました。それも治安が乱れてきたからだとされています。
そこにいったいどういう意味があるのか、今の時点で判断を下すことは難しいように思いますが、戦没者の遺族の減少や高齢化ということもあり、靖国神社の運営が岐路に立っていることは間違いありません。
ただ、若者たちが、靖国神社のことを誤ってみたま神社と呼ぶようになっていたことについては、その意味を考える必要があるように思います。
靖国神社で「英霊」ということが強調されるようになるのは、日本が戦争に深入りしていった昭和10年代になってからのことで、戦後も、国を守るために命を落とした英霊を祀る施設という点が強調されてきました。
しかし、時代が進むにつれて、英霊ということばに次第にリアリティーが感じられなくなってきたことも事実です。それだけ、戦争の時代が過去のものになったということで、英霊はより一般的な死者を意味するみたま(御霊)へと変貌してきたのです。
Photo by MIKI Yoshihito(CC BY 2.0)
それは、戦没者を英霊として祀る時代が終わりを迎えようとしていることを意味しているのかもしれません。慰霊の目的の一つには、みたまを鎮め、忘れるということが含まれます。
今や日本では、戦争に行った人、戦争を経験した人が大幅に減少しつつあり、やがては戦争を直接に記憶している人が消滅しようとしています。それこそが、戦後70年間、日本の社会が戦争を経験してこなかったことの証です。むしろ、そのことの重要性を、私たちは認識する必要があるのではないでしょうか。戦争を知らない国民が国のすべてを占める社会を築くことが、私たちの理想であり、目指すべき方向性だと思うのです。