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戦後100年目を迎えないために

  • 加藤典洋 (文芸評論家)
  • 2015年8月14日

今年は戦後70年目です。

なぜこういういい方をするのかというと、戦後がまだ終わっていないからです。

なぜ戦後が終わっていないか、その理由もはっきりとしています。

たとえば沖縄の米軍基地を、私たちはそこが私たちの国であるのに、動かせません。私たちには私たちのことを決する力が、まだない。日本はまだ米国の半分保護国で、半分しか独立できていない。敗戦の遺制が、いまなお続いているのです。


Photo by 初沢亜利

でも、いまの日本で、対米従属が続いているなどという話をすると、みんなに「引かれ」ます。何をいっているのか、左翼の亡霊か、右翼のバカか、というような目で見られるのです。

私は去年まで9年間、日本人と外国人の学生を相手に英語で戦後について授業をしてきました。そこでは、最初の日に、いつ日本が独立したのかと尋ねます。すると、外国人の学生はもとより、日本人の学生も答えられない。日本人学生の場合、1960年だったり、1972年だったりします。50人中、正解は2名くらい。ほとんど誰も知らないのです。

ですが、理由も明らかで、独立したのは1952年ですが、講和条約と同じ日に日米安保条約を締結し、米軍への基地提供を決めたので、それはほんとうの独立ではありませんでした。当時はみんなわかっていました。当時医学生だった作家の山田風太郎は、日記に、「独立の暁は――などというが、日本は独立などできはしないではないか、自由未だ遼遠なり」と書いています。


Photo by 初沢亜利

でも、これに続けて、いま、日本が独立していると思う人、と聞くと、何を言っているのだろう、というような怪訝な面持ちで、全員が、独立している、と答えるのです。

その理由もはっきりしています。

それは、誰もがもう対米従属というあり方を内面化していて、いまでは私たち日本人の大半が、自分と米国を同じ側に感じるようになっているからです。

そういう問題を私は30年前、「アメリカの影」と呼びました。


Photo by Taylor and KevinCC BY 2.0

明治維新のあとにも近代化の衝撃に人民が耐えられないことを見越して、明治日本の設計者、伊藤博文が、人民に向かっては天皇を神とするタテマエを教え、エリート間では天皇を制限君主として申し合わせる二重の解釈のシステム(顕教・密教システム)を緩衝材として作りあげたことがあります。

じつは戦後も、対米従属という赤裸々な現実に向きあうことに日本国民が耐えられないことを見越して、同様の緩衝システムを吉田茂と彼の後継者たちが作りあげています。いま用意している『戦後入門』(ちくま新書・2015年10月刊行予定)という本に、そのことを詳しく書いていますが、人民に対しては、日米は対等のパートナーで日本は独立している、というタテマエを用意し、政権担当のエリートたちは、対米従属は不動の前提という申し合わせでいく、という保守本流の吉田路線がそれです。

このシステムは、60年から90年までの30年間、何とか有効でした。経済も順調で、日本は「金持ち喧嘩せず」式に「政治」を凍結し、もっぱら「経済」だけで政治問題、外交問題をも解決していくことができました。その成果がいまも私たちのうちに生きている。それで対米従属と聞くと、ぎくっとする。ちょっとどぎつい話、と私たちは感じてしまうのです。


Photo by OiMaxCC BY 2.0

でも、東西冷戦が終わってから四半世紀、状況は変わりました。もはや「政治」を凍結したままではやっていけません。日米同盟はいまや必ずしも日本の国益に一致するとは限らない。そこから考えていかなければならないからです。経済的にいっても、米国に従い、中国を敵視するよりも、米国とならび中国とも仲良くするほうが国益により合致するに決まっています。2009年の政権交代は、その変革に向けた国民の意思の現れでした。でも挑戦は無惨にも失敗。日本をめぐる従米勢力の圧倒的な力ばかりが目立ったことは記憶に新しいところです。

でも、これによって、日本の課題は、逆にはっきりしたのではないでしょうか。

明治維新期、フランスから帰ってくる途中、思想家の中江兆民は欧州人がサイゴンの港でアジア人を足蹴にして使役しているのを見て、彼らの自由平等博愛の原則は立派だが、彼らにはそれを実行できない。本当に実行できるのは、彼らではなくて、彼らの思想を輸入し、学ぶ自分たちのほうなのだと悟ります。それと同じことが、ここにもいえるからです。


Photo by Giang Đông DuCC BY 2.0

その課題とは、民主主義の原則は、戦後、占領期に米国によってもたらされたのですが、これを、米国以上にはっきりと実現し、国際社会に寄与していけるのは、彼らではなくてわれわれなのではないか、というものです。日本に民主原則、平和原則を確立するために、米国の非民主的、また軍事的な介入を排除し、あくまで平和主義を貫き通すかたちで、対米自立を獲得する、というのがその具体的な目標です。そこからはじめ、米国を含む近隣諸国とのあいだに友好的な善隣信頼関係を築き上げ、国連中心主義に立ち、世界の平和の確立に寄与していくのです。

そのための手がかりが、憲法9条の平和原則です。ですから、残念ながら護憲だけではもう足りない。憲法9条に、米軍基地の撤去を書き込み(©矢部宏治)、非核宣言も盛り込み、さらに、NPT(核兵器不拡散条約)に代わる新核国際管理案を世界に向かって提案すること(©ロナルド・ドーア)。そのようなかたちで日本国民であることに私たちが「誇り」をもてるようになることが、いま、私の考える積極的な平和主義の内容です。これまでの護憲の努力のうえに、この新しい主張を加えさせてもらい、共に進んでいければよいと希望していますが、どうでしょうか。

著者プロフィール

加藤典洋
かとう・のりひろ

文芸評論家

1948年生れ。文芸評論家。早稲田大学名誉教授。主著に『アメリカの影』、『敗戦後論』、『人類が永遠に続かないとしたら』など。10月にちくま新書『戦後入門』を刊行予定。

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