ポリタス

  • 論点
  • Photo by Toomore Chiang (CC BY 2.0)

この国の政治から誰が論点を奪ったのか

  • 安部敏樹 (一般社団法人リディラバ代表理事)
  • 2017年10月21日

今回の衆議院選挙は、この社会における「政治という仕組みの限界」を、より顕著に表している。これから私が行う問題提起は、別に今回の選挙戦に焦点を当てたものではない。今後、我々が何十年、何百年にわたって向き合わなければいけないジレンマについて、とりあえず書きなぐってみたものだ。選挙が急にはじまるもんで、いつもポリタスの記事はゆっくり書ける時間がない。笑

人や政党に信託すべきか、論点やその中身に票を投じるべきか

政治の論点は、もとより曖昧になりがちである。というのも、日本国内に遍く存在する社会的な課題を、逐一議論の俎上に乗せて、一つひとつ国民が議論して決めていくことはできない。それゆえに、国民は政治家やメディアが恣意的に決めた論点を「マニフェスト」という形で受け止め、自分たちの意向を代理で実行してくれそうな政治家や政党に票を投じることになる。

かつて民主党政権が示したように、論点や意向が有権者の意思と同期していても、実際にその政策を実行する能力と、その効果測定をわかりやすく示しながら国民にフィードバックする能力は別の話だ。

人は「断言をしてくれて」「わかりやすく論点を単純化してくれる」人にリーダーシップを感じてしまう。小泉純一郎元首相のワンフレーズで言葉を言い切る選挙戦以来、特にその傾向は強くなっている。


Photo by UCL News (CC BY-NC-ND 2.0)

はっきり言おう。我々はあるジレンマに陥っている。

はっきり言おう。我々はあるジレンマに陥っている。

それは、投票行動を「人や政党に信託」するべきか、マニフェストに表れる「論点やその中身によって判断」すべきなのかというジレンマだ。

政策や、未来の国へのビジョンとしてはAという個人ないしは政党に共感をしているが、本当にその個人や政党がそれを実現してくれるのだろうか――。未来の社会の姿を決める選挙において、政治家のアイデアと実行力が相反することは仕方がない。もちろんその両方を兼ね備えた政治家や政党が増えていくことが最善だが、その最善はおよそ存在しない。その限りにおいて、次善三善を考えていくしかない。

このジレンマは民進党議員の希望の党への合流や、その後すぐの造反の様子を見るにつけ、より深まっている。

社会が複雑化すると、政治家の役割は変わっていく

複雑化した社会には、シングルイシューは存在し得ない

そもそも、社会自体が変わった。それに伴い、シンプルで素朴な政治の時代は終わったのだ。複雑化した社会には、シングルイシューは存在し得ない。誰もが多様な問題意識を持つ以上、みんなが納得する共通の論点などほとんどない。つまりアジェンダ設定が機能しなくなってきたのだ。

現代の日本で明確な「悪人」が起こすような社会問題は、ほとんど存在しない

私は社会問題を専門に10年近く仕事をしているが、現代の日本で明確な「悪人」が起こすような社会問題は、ほとんど存在しない。誰もが、加害者と被害者なんていう単純な二元論には収まらず、自ずと複雑化する社会システム側に原因を追求していくほかない。成熟した社会では、政治システムもそれに合わせて進化すべきだが、まだ十分に議論すらされていない。

寿命はどんどん延びていくのだから、大人になった国民が「問題の切り出しの正しさを判断する」前提を学ぶ機会があって然るべきだ。

言い方は悪いが、人によっては50年前の学校で習ったことをベースに社会を理解しているのだ。今若い人だって何もしなければそうなってしまうのだ。これは意志を持って社会システムを変えない限り変わらない問題だ。

近年、SNSのフィルターバブルが強まり、人は自分にとって都合のいい情報ばかりに触れるようになった。個人は社会の中で生きているにも拘らず、個人と社会はどんどん切り離されていっているのだ。

社会の複雑化と個人のフィルターバブル化。この2つで大きく社会が変わる中で、我々は政治家の資質と政治のシステム、どちらにも新しい定義をしていくべきタイミングではないだろうか。例えば論点の可視化や優先順位づけは、無理に政治家に求めなくてもよくなるかもしれない。それこそ国民投票で論点を洗い出していくような仕組みもあるように思う。社会に出回るメディアから、AIがイシューを洗い出していく仕組みもあり得るだろうし、そういう機能を担っていく外部機関があってもいい。

「国民の合意形成を促すファシリテーターとしての政治家」という姿は今後より求められていく

一方で、「国民の合意形成を促すファシリテーターとしての政治家」という姿は今後より求められていくだろう。有事への「緊急対応」も、より高いレベルで求められていくのではないかと感じている。すると、政策やアジェンダ以上にそれを作っていく政治家個人の人間としての考え方や、どういった信念で考えを貫き、どういった周辺環境の変化を基に意思決定を修正していくのかということが重要になってくるはずだ。

「政策を生み出していく人間としての政治家」を重視して人を選んでいったほうがいい

つまりこれからますます複雑化する社会においては、「政策を生み出していく人間としての政治家」を重視して人を選んでいったほうがいいだろうということになる。

こんなに複雑で、解くべき問題もどんどん難しくなっている現代で、みんなが納得できる社会なんて作れるわけがない。そんなものはユートピア以外の何物でもない。その傾向は時が進めば進むほど強まっている。だからこそ、これは皮肉にも民主主義の原点でもあるわけだが、個人の資質をより強く問い、有権者として選んでいく姿勢が必要なのだ。

とてもやってはいられないわけだが、それでも僕らは折り合いをつけ、なんとか複雑化する社会に向き合うしかない。技術、働き方、教育、メディア。私自身はこの辺にレバレッジをかけて、変わりゆく社会に対して未来のあり方を検討してくれるような候補者・政党を探していきたいと思う。

著者プロフィール

安部敏樹
あべ・としき

一般社団法人リディラバ代表理事

一般社団法人リディラバ代表理事/マグロ漁師/東京大学大学院博士課程。みんなが社会問題をツアーにして発信・共有するプラットフォーム『リディラバ』を2009年に設立。500名以上の運営会員と60種類以上の社会問題のスタディツアーの実績があり、これまで2000人以上を社会問題の現場に送り込む。(「Travel the Problem:https://traveltheproblem.com/」)また都立中学の修学旅行や企業の研修旅行などにもスタディツアーを提供する。その他、誰でも社会問題を投稿できるwebサービス「TRAPRO」の開発・運用なども行い、多方面から誰もが社会問題に触れやすい環境の整備を目指す。2012年度より東京大学教養学部にて1・2年生向けに社会起業の授業を教える。特技はマグロを素手で取ること。学生起業家選手権優勝、ビジコン奈良ベンチャー部門トップ賞、総務省起業家甲子園日本一、KDDI∞ラボ第5期最優秀賞など受賞多数。

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