7月の末に『この国の息苦しさの正体 感情支配社会を生き抜く』という本を出した。それなりの自信作だったが、期待したほど売れなかった。ところが捨てる神あれば拾う神ありで、私が注目している(残念ながら面識はない)ジャーナリストの津田大介さんが読んでくださって、このコラムの招待を受けた。素直に嬉しい。
さて、感情支配社会ということだが、日本人は怒りの感情を表に出すことが欧米(あるいは韓国やフィリピンのような表現力豊かなアジア)人と比べて少なく、感情支配社会といわれてもピンとこないかもしれない。
私も『感情的にならない本』というのがベストセラーになったために誤解されることが多いのだが、日本人は感情的な人というと、すぐに怒る人とか、暴走老人や暴言議員のように「怒り」のコントロールができない人のことをイメージするようだ。
Photo by Blondinrikard Fröberg (CC BY 2.0)
もちろん、それも感情的なことなのだが、こうもいえる。われわれは意外に「怒り」以外の感情の怖さをわかっていないのだと――。
たとえば感情的判断というのは理性より感情に支配された判断のことである。
感情的判断というのは理性より感情に支配された判断のことである。
振り込め詐欺師にお金を渡すというのは、感情的判断の最たる例だ。息子に最悪の事態が起きてはいけないという不安感情から、理性を失い、犯人の言うままに金を用意してしまう。
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このような判断ミスは知能と関係なく起こる。東芝であれ、神戸製鋼であれ、一流大学を出て、社内の競争を勝ち上がってきた知的な人たちが、株主への不安から決算の改ざんを示唆(命じたかどうかはわからないが)したり、不正の情報が上がってきても隠ぺいしたりする。バレる確率の計算やバレた時のダメージの想定ができれば、別の判断ができたはずだ。
この国が感情支配社会というのは、たとえば、統計数字で政策が変わるのでなく、ニュース(に対する反応)で政策が変わることにもあらわれている。高齢者が起こした悲惨な事故が重なり、それがニュースになれば、統計上は若者より高齢者のほうが事故が少ないのに、高齢者から免許を取り上げるように法令が変わっていく。少年犯罪も減っているのに厳罰化の方向性は、通常ニュースに起因する。テレビのコメンテーターでも数字を出す人はまれで(私は出そうとして、話が止まるからとやめさせられたことがある)、感情の増幅装置のようになっている。
選挙は、われわれのこれからの生活に大きな影響を与える。時に、自分の払った税金がどのように使われるかも大胆に変更されてしまうことから考えても、本来理性的に判断して投票すべきなのだろうが、やはり感情に支配されている印象が拭えない。
広い意味の感情として、人間の心理傾向を捉えると、たとえば、同調心理というものがある。同調圧力がかかっているわけでないのに、つい周りに合わせてしまう心理のことだ。心理学者のソロモン・アッシュによる実験では、たった3人のサクラが誤答するだけで、線分の長さを比べるという簡単な課題でも、そのサクラにつられる人が3分の1以上いるという。みんながいいと言うと、理性に関係なしにそう判断させてしまうのだ。
人間を感情的に判断させることはそう難しいことではない。振り込め詐欺師に限らず、詐欺の基本的な手法だ。
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振り込め詐欺を例にとると、まず、相手を不安にさせる。儲け話より、こちらのほうが実は引っかかる人が多い。次に、相手に考える、相談する時間を与えない。「15時までにお金を用意しないと帳簿に残ってしまうので、息子の使い込みがばれてしまう」というようなやり方だ。最後に、情報遮断だ。「このことを人に言うと、せっかくほかの人にわからないようにやっているのに、それが無駄になる」という具合に。
安倍という人は、この手の能力にはとても長けている。北朝鮮問題で国民を不安にさせる。マーケットが反応していない(むしろ上がっている)ことを見ても、在韓米人に避難指示が出ていないことからも、北朝鮮は実験はしても、実際に当面は戦乱はないと市場もアメリカの指導層も思っているはずだ。
選挙期間の短さは、日本では先進国で最低レベルだ。12日では、政策の精査は困難だ。これは安倍政権に限ったことではないが、今回の解散は電光石火だった。
Photo by Ryosuke Sekido (CC BY 2.0)
日本では、情報遮断には選挙がいちばん使える。公示期間中は公職選挙法のガイドラインに縛られ、とくにテレビメディアでは、もりかけ問題を報じることは困難になる。このことで得をするのは誰か。
ついでに言うと、安倍という人は政治家の家に生まれたためか、「人は忘れる」という前提で発言をできる人でもある。
Photo by APEC 2013 (CC BY 2.0)
私も精神科医として、患者さんには「人は忘れてくれるものなので、そんなに気にしなくてもいいですよ」というようなことをアドバイスすることはあるが、自分では、やはり「嘘はいけない」と育てられたので(野田という人も「嘘つきと言われたくない」と言って解散をやって惨敗したが)それができない。
「妻か私が何らかの形で関与していれば首相どころか議員もやめる」
「秋にはきちんと説明する」
人が忘れることを前提にしていれば何でも言える。安倍という人は、政治家でなく詐欺の世界に入っていても大成功者になったのではないか――。
小池という人は、人の感情の読みが甘かった。選挙前に傲慢に見せるのはもっともまずいことだとわからなかったようだ(これについても、安倍という人は小池という人の性格を熟知していたから解散に出たのかもしれないが)。
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踏み絵をやりたいのなら、「私は保守の人間として、健全保守を作りたい。腐った保守か健全保守かの選択が可能なようにしたい。前原さんには本当に申し訳ないが、保守としての同志を求めているのです」と頭でも下げれば「踏み絵」などと呼ばれないで済んだはずだ。さらに言うと、この踏み絵によって政権選択選挙に参画できるという希望を抱いた多くの国民を失望(これも感情である)させたのだ。
相手を感情的にさせる天才がしかけた選挙で、「騙された(税金をいい加減に使われるなら詐欺行為に遭うのと同然だ)」と思わないで済むためには、どうすればいいのか。そのためには、向こうの手口をおさらいしよう。
まず、相手を不安にさせる。
次に、相手に考える、相談する時間を与えない。
最後に、情報を遮断する。
そのうえで、自分が感情的になっていないかどうかの自己チェック(これをメタ認知という)が大切だ。
自分が、不安感情に振り回されていないか? 同調心理に従っていないか?
そして、少しでも時間をかけて考える。可能ならまともな人と相談する。
さらに、可能な限り、情報を集めて判断する。
インターネット社会なのだから、それを生かさない手はない。もちろん、防衛政策だけでなく、財政政策や教育や介護なども総合的に判断しないといけない。実際、社会保障のほうが、国防よりはるかに多くの命に直結する。財源も、消費税に限るべきでない。日本もアメリカも直接税が高かったころのほうが高度成長を果たした(アメリカは冷戦の初期の最高税率は91%だったが、その頃に格差が縮まり、中流向けの家電会社や自動車会社が急成長した)のは歴史的な事実なのだから。
繰り返しになるが、時代はインターネット社会だ。正しい容量と用法を心がけ、大事な一票を有効に投じてもらいたい。