ポリタス

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  • Photo by MIKI Yoshihito (CC BY 2.0)

だれが「国民の安全」を守るのか

  • 日比嘉高 (名古屋大学大学院人文学研究科准教授)
  • 2017年10月21日

ミサイルはみんな怖い

今回の衆院選挙の争点の一つとして、「北朝鮮の脅威」への対応があるらしく、ほとんどの党が安全保障に関する項目を公約の中に入れている。日本の領土の上(といっても、ものすごい高高度なわけだが)を複数回ミサイルが通過する事態に、不安を感じる人が多いのは至極当然であるから、各党が公約に関連する条項を掲げるのは不思議ではない。

これらの公約を見比べながら、私はこの国に住む人たちの命と安全を本当に守ってくれるのは、だれなんだろうと考える。

不安を払拭することの困難

2017年9月1日に、日本学術会議が原発事故による子どもの健康被害に関わる重要な報告書(「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題―現在の科学的知見を福島で生かすために―」)を出した。日本学術会議は、国内のさまざまな分野を網羅した科学者の代表的組織である。そのレポートによれば、事故による胎児への影響や、甲状腺ガンへの影響は非常に低いと結論づけてよく、各種の信頼に足る科学的調査から総合して、この問題はすでに決着が付いているのだそうだ。

にもかかわらず、この重要な報告を大手メディアはほとんど取り上げず、広く人々の話題にもならなかった。報告書が「結論の伝達」に主眼を置くものでなく、「リクスマネジメント」に関わる課題と論点を報告するものであったことが原因の一つだったと思うが、それ以外にも理由はある。人々の不安を取り除くのは、簡単なことではないのだ。


Photo by Hajime NAKANO (CC BY 2.0)

情報には「正→正」のベクトルを持つ情報と、「負→正」のベクトルを持つ情報がある

情報には「正→正」のベクトルを持つ情報と、「負→正」のベクトルを持つ情報がある。たとえば健康に関わる情報を考えよう。「ダイエットのためには、油分よりもむしろ糖質が問題らしいよ」というような情報は、「正→正」という、よいことがよりよくなる方向性を持っている。この種の情報はよく広がり、古い「正」の情報を更新していく。人々は情報を信じることによって受けるメリットを、感知しやすいからである

一方、「負→正」の情報の場合、簡単ではない。「一見危なそうに見えますが、本当は大丈夫です」とか、「通常の使用の範囲では危険はありません」などというような情報がそれである。「負」を打ち消して「正」へと導こうとするこのベクトルの場合、人々は新しい「正」の情報をなかなか信じない。危ないか危なくないかよくわからないときは、危ないかもしれないからやめとこうと考えるのが、よりよい生存にとって適合的な判断だからである

ゲーリングはこう言った

この判断は、ミサイル問題に完全に当てはまる。「ミサイルは飛んできても影響はない」とか、「北朝鮮が先制攻撃を仕掛けてくるわけがない」などという意見は、もしかしたら来るかも落ちるかも……というぼんやりした不安に対して、有効な反論の力を持たない。危険ではないという主張がいかに合理的であり、科学的であったとしても、である。

私自身は、人々が漠たる不安によって不合理な判断をしないよう、理性的・科学的な提言を広めたいと考えている。だが、同時にそれが非常に困難なミッションであることもまた、痛感している。

ナチスの高官だったヘルマン・ゲーリングが、人々を戦争に同意させるための方法を語った次の至言を思い出す。「当然だが、一般の人々は戦争など望まない。ロシアだろうがイギリスだろうが米国だろうがドイツだろうが同じだ。〔…〕簡単だよ。人々にあなた方は攻撃されつつあると言い、平和主義者に対しおまえは愛国心に欠け国を危険にさらしていると糾弾するだけでいい。このやり方はどの国でだって同じように有効だ」(Gustave Mark Gilbert, Nuremberg Diary, 1995. 拙訳)

ゲーリングがなお正しいことは、今この国で実証されつつある。

敵への備えが国民を殺すという逆説

この夏、NHKが第二次大戦に関わるドキュメンタリを集中して放映していた。とても良質な番組が多く、NHKの取材力と気概を感じたものだ。それらを見ながら、夏以来私がずっと考えているのが、タイトルに掲げた問い――「だれが『国民の安全』を守るのか」である。

沖縄では、追いつめられた人々が声を上げて泣く幼児の首を絞め、手榴弾を炸裂させて一家で死んだ。

満洲でも、敗戦の混乱の中、村ごと組織的な集団自決がいくつも起こった。別のある村では未婚の女性たちを性的な「接待」に差し出す施設を設けた。

樺太でも、郵便電信局の女性たちが服毒して果てた。港へ向かう山中の逃避行では、足手まといの幼児が崖に投げられた。

いずれも、米兵やソ連兵の恐怖をたたき込まれていたのが原因の一つであり、また「国民」あるいは「村民」として一致団結して行動することを当然視し、その義務を果たすことを自からの命より優先させたことが原因だと私は考える。

組織としての日本軍は彼らを本当の意味では守らなかった。沖縄、満洲、樺太という周縁的な地名が並ぶのは偶然ではない。日本軍が真に守ろうとしたのは本土であり、象徴的には国体だった。その中核部分を守るために周縁域の防備を固め、劣勢になればそこを切り捨てた。軍事的戦略としては当然なのだろう。

ちなみに言うが、NHKのドキュメンタリは、「日本人」の悲劇しか扱わなかった。沖縄にも樺太にも満洲にもいた、多民族国家・大日本帝国の「日本人」以外の「臣民」たちの苦難には、ほとんど関心を払わなかった。

私たちは、私たちの「次の戦争」をめぐる議論において、この轍を踏んではならない。守られるべき安全は、「国民」に限定されてはならない。私たちの国は、今たくさんの多様な住民の働きによって支えられているのだから。


Photo by Christopher Cook (CC BY 2.0)

私たちの次の戦争?

人の命に中心も周縁もないが、地獄はいつも周縁からやってきて、そこに住む人から順に殺していく

人の命は平等だが、死の機会は不平等だ。
人の命に中心も周縁もないが、地獄はいつも周縁からやってきて、そこに住む人から順に殺していく。

原発がどのような場所を選んで建てられるのか、みんな知っている。
米軍基地がどんな場所に集中しているのか、みんな知っている。
放射性廃棄物が今後半永久的に捨てられることになる場所も、きっと同じ理屈で選ばれる。

それだけではない。周縁とは金と力と情報が乏しい場所のこと。そしてそこに住まざるをえない人のこと。だから、周縁は大都市の中にだってある。

さらに視野を広げれば、こういう見方もできる。私たちが生きている日本そのものが周縁である、と。起こるのかもしれない次の戦争において、日本が主導権を持てるのかどうかを考えてみれば、それはわかる。戦争を始め、続け、終わる判断をするのは、日本ではありえない。日本は軍事的にも地理的にも、米国の縁(へり)にある。朝鮮半島とユーラシア大陸に向けて長々と横腹をさらけ出す日本列島は、米国を守る防波堤のように見えはしないだろうか。


Photo by Tatsuo Yamashita

次の戦争でも、地獄はやはり周縁に降り立つだろう。

具体的な「戦争」の形がどのようなものになりうるのか、私に予見はできない。だが確実なのは、混乱の中でもっとも悲惨な目に遭うのは、周縁に生きる人たちだということである。

再び、だれが"この国に住む人々"を守るのか

先の大戦から私たちが学んだことの一つは、国は最終的に末端の人命を守らないという冷酷な現実である。本当に生き延びたいのなら、地獄が来る前に逃げ出すべきである。だがそれはとても困難だ。逃げおおすには金と力と情報が要るということもある。が、それだけではない。

会社に逆らえない人間が、国に逆らえるわけがないではないか

私たちが生きている国は、命より仕事を優先してしまう国でもある。会社に逆らえない人間が、国に逆らえるわけがないではないか。本気で戦時体制になった国家社会の統制と相互監視は、ブラック企業の比ではない。

いや、むしろこう言うべきだ。戦時国家への奉仕は強制としてではなく、人々の積極的な献身として、あるいは沈黙のうちの同意として遂行される、と。「国家総動員体制」の完成とは、そういうものだ。

幸い、戦争はまだ来ていない。今できることはまだまだある。

だれが本当に“この国に住む人々”を守るのか

だれが本当に"この国に住む人々"を守るのか。

性急な解決を望んだり他国の思惑に引きずられたりした挙げ句膨大な死者を出すよりは、20年でも30年でも分からず屋の隣人たち(お互い様だ)とグダグダ話し合い続けた方がましだと、私は思っている。

著者プロフィール

日比嘉高
ひび・よしたか

名古屋大学大学院人文学研究科准教授

1972年名古屋市生まれ。博士(文学)。金沢大学文学部卒業、筑波大学大学院文芸・言語研究科修了。筑波大学文芸・言語研究科助手、カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員研究員(2002-2003)、京都教育大学准教授、ワシントン大学客員研究員(2009)を経て、現職。専門は、日本近現代文学・文化論、移民文学論、出版文化論など。主な著書に、『文学の歴史をどう書き直すのか──二〇世紀日本の小説・空間・メディア』(笠間書院)、『いま、大学で何が起こっているのか』(ひつじ書房)、『ジャパニーズ・アメリカ──移民文学、出版文化、収容所』(新曜社)、『〈自己表象〉の文学史──自分を書く小説の登場』(翰林書房)など。

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