ポリタス

  • 視点
  • Photo by TANAKA Juuyoh (田中十洋) (CC BY 2.0)

怒りの民意をどこで、どう示すのか

  • 小松理虔 (フリーライター/オルタナティブスペース「UDOK.」共同代表)
  • 2017年10月21日

ぼくは怒っている。そしてもう怒り疲れて何もかも虚しいという気持ちになっている。これから毅然と投票に向かう人は、このテキストを読まない方がいい。何しろぼくは、これから4000字にわたって「おれは怒っている」ということを書き連ねるからだ。


Photo by Iwao (CC BY 2.0)

誰に投票するか悩ましい、というより、未だに「ふざけんなよ」という思いを捨て去ることができずにいる

支持する党があり、明確な論点が存在し、投票せねばならぬという確固たる意志を持っているあなたや、どこに投票したらいいのかの判断材料が欲しいという人は、今すぐこのトップページへのリンクをクリックして、多角的に分析できる他の論考を読んで頂きたい。選挙運動はすでに始まっている。しかし、誰に投票するか悩ましい、というより、未だに「ふざけんなよ」という思いを捨て去ることができずにいる。マスコミが「選挙モード」になってくると、いつもは「選挙は祭りだぜ」とか言って床屋政談かまして、祭りの一員になったつもりでそれなりに盛り上がることができるのだけれど、今回は暗澹としたまま投票日を迎えることになりそうだ。

どう考えても「このタイミングなら勝てるからいっちょ解散」

もともと解散前から愕然とさせられることが続発していた。そもそも解散に大義がない。どう考えても「このタイミングなら勝てるからいっちょ解散」じゃないか。モリカケ問題で「丁寧に説明する」って言ってたのに総理からの説明はなし。野党の臨時国会の召集要求も無視。内閣改造しても「仕事人」には何もさせず、北朝鮮情勢が緊迫しているとか脅しをかけつつ、600億円もかけて衆議院解散という政治空白を作った。このどこに大義があるんだよ。


Photo by APEC 2013 (CC BY 2.0)

随分昔に政権交代可能野党であった民進党は、受けて立とうじゃねえかという気概もなく、絶望のポピュリズム政党に魂を売って瓦解してしまった。


Photo by 岩本室佳

なんだかよう分からん「ゼロ」をいくつも掲げて、耳障りのいい政策を広告のように掲げる政党に「安倍一強の打破のため」なら魂を売るんですかい。政治家としての思想はないのかよ。自分の延命のことしか考えてない議員に投じる票がどこにあるっていうんだ。ふざけんなよ民進党。


Photo by muo1417 (CC BY 2.0)

そもそも、ぼくは現在の自民党の権威主義的な憲法草案に基づく改正には反対の立場だ。来年は戊辰150年。ぼくの暮らすいわき市もまた戊辰敗戦の地だ。明治回帰的な改憲にはモヤモヤしか感じることができない。だからって江戸時代に戻れってわけじゃない。多様性が叫ばれる時代に「教育勅語」どうこうって話には乗れないし、だいたい「働き方改革」だって大企業優先じゃないか。権威的な国家より、市民一人ひとりの自由や人としての生活が保証される社会の方がヘルシーだ。

では「反アベ」に同調できるだろうか。答えはノーだ。絶対に。なぜなら「反アベ」勢力には強硬的な反原発が存在し、現在も、福島県に暮らす人たちに怨嗟の声を吐き続けているからだ。2011年当時、彼らが何と言っていたかを思い出すだけで、彼らと手を組んでどこぞの党を応援しようという気にはなれない。絶対になれない。安倍さんを引きずり下ろすためなら福島の人には不幸になってもらっても仕方がない。そんな人たちとつなぐ手を、ぼくは持っていない。

それに、ぼくは積極的な護憲派ではない。むしろ、自衛隊の存在を、為政者の「解釈」で色々と変えてしまえる憲法の方に不安を感じているくらいだ。自衛隊を軍と定義した上で専守防衛を義務付ける「非戦のための改憲」の方が、安倍さんのような人が出てきても行動を制限できる。理想を掲げつつも、しっかりと為政者の暴走を止める。そんな憲法改正なら納得できるような気がするのだが。立憲民主党はどうだろう。憲法9条改悪には反対だと言っていたけれど。改善ならいいのだろうか。


Photo by 岩本室佳

憲法を自分なりに論点化するなら、戦後をアップデートせずに憲法を守るのでもなく、戦後を脱して明治回帰・権威主義的な新憲法を目指すのでもなく、もっと未来に向けて新しい日本の姿を見せてくれる憲法をぼくは見たいと思っていた。反自民であり反共産でもあり、反ポピュリズムであるぼくが投票できる党は現状ではないようだ。棄権したい。心からそう思っている。

ますます棄権したくなる福島5区の顔ぶれ

ぼくが暮らす福島5区は、浜通り地区のいわき市と双葉郡を選挙区にしている。震災と原発事故からの復旧復興を目指す最前線地区だ。誰を復興の担い手とするか。誰に地元の声を国政に届けてもらうのか。そして、誰にこの日本の舵取りを任せるのか。憲法をどう考える候補なのか。判断材料は多い。注目の集まる選挙区の一つとも言えるだろう。何しろ現役の復興大臣が出馬する選挙区だ。

今の国政を見ていると、震災と原発事故のことなんて皆さんとうの昔に忘れてらっしゃるんだろうなと思わずにはいられない

だけれど、今の国政を見ていると、震災と原発事故のことなんて皆さんとうの昔に忘れてらっしゃるんだろうなと思わずにはいられない。東北に演説に来たときにちょろっと挨拶するだけ。沿岸部は人が戻っていない。廃炉の工程は遅れている。最終処分場だって決まっていない。「政治判断」されるべき問題がたらい回しにされ、そこに暮らす人たちに負担が押し付けられ、様々な立場の違いで地域が分断されている。そういうところこそ、政治家の活躍の場なんじゃないですか?

舐めてるとしか思えない

だいたい復興大臣が論功行賞ポストだなんて言われる時点で舐めてるとしか思えない。民主党政権時代から、なぜか復興大臣は不祥事続き。ようやくいわき出身の吉野正芳復興大臣になって地元の話を聞いてもらえるかと思っていたらこのザマ。吉野大臣の評価をする暇もなく、選挙後はまた新しく組閣するわけでしょ? 次は誰ですか? また論功行賞ですか?


Photo by Hudson Institute (CC BY 2.0)

怒りに身を震わせながら小選挙区の顔ぶれを見る。自民党からは吉野正芳復興大臣。希望からは民進から鞍替えした吉田泉さん。社民党は遠藤陽子さん、そして共産党は熊谷智さん、2人の新人をそれぞれ擁立している。直接お会いして、お話を伺ったことのある方もいる。安倍さんどうこう、改憲どうこう抜きに「信頼できる方」に託すというのもアリなのかもしれない。けれど、その一票は、やっぱり候補個人を超えて、どこぞの「党」の政策に対する支持になってしまうから悩ましい。

自民党の改憲草案には賛成できない。希望の党は絶望だ。共産や社民のように、不幸を露骨に政治利用する人が担ぎ上げている党に対してポジティブな気持ちになれない。一体、誰に投票すればいいんだよ。投票できる人がいねえじゃねえか。というか、おい、なんだよ野党、候補者一本化できてねえじゃん。安倍打倒のために一本化するんじゃなかったのかよ。これじゃあ共倒れじゃねえか。


Photo by 岩本室佳

ここは東日本大震災と福島第一原発事故の被災地区だ。こんなぼくにだって国に届けて欲しい声があって、その声を拾って欲しいと思っているのに、誰にも投票できない。

ぼくには参政権がないのだろうか。
ぼくには民意が与えられていないのだろうか。
心から棄権したいと思っている。
できることなら誰にも一票を投じたくない。
誰に対しても「支持」という感情になれないし、
ぼくにとっては「よりマシな選択」すら存在しない。
こんなクソ選挙、できるもんなら棄権したい。

それが偽らざるぼくの本音だ。

民意はどこにあるのか

それでも、多くの人たちが言うように、投票するというのが民主主義国家の有権者の責任ではあるのだろう。けれど、応援したくない政党を潰すために応援したくない政党に票を入れるなんて、気が狂うほどネガティブだし、そんな選挙のどこに民意があるのだろう。選挙がこんなにネガティブなんだもん、そりゃあ当然投票率だって上がるまいよ。子供にも、「そんなもんクソだから行かなくていいわ」って言っちゃいそうだもん。だって、支持しない政党にノーを突きつけるために支持しない政党に投票するんだよ?

おかしいよ。何かが完全に。

「ふざけんなよ」「棄権するしかねえじゃん」という気持ちは、「投票」してしまったら社会に突きつけることができなくなってしまう

だから、「今回の選挙あまりにもおかしいって!」「投票しろって言ったって無理だよ」という声が出てくるのは自然のことだと思うし、そういう声が出てくることを、政治家や、政治に関わる人たちは重く受け止めて欲しい。そして、そういう民意を突きつけるためのチャンネルが「投票以外に」あるといいなと強く思った。なぜなら、「ふざけんなよ」「棄権するしかねえじゃん」という気持ちは、「投票」してしまったら社会に突きつけることができなくなってしまうからだ。

投票はする。

でも、その前に、社会に突きつけたいものがある。投票と同じくらい大事な、そして投票とは別の民意をだ。「デモに行け」という人もいるかもしれない。東浩紀がchange.orgで呼びかけたのもそうかもしれない。とにかく「投票は必ずしもおれの民意じゃない」ということをしっかりと意識できる環境なしに、この「クソ選挙」に臨むことなんてできないと思っている。


Photo by Tim Brennan (CC BY 2.0)

こういうことを言うと「じゃあ立候補しろよ」とか言う人もいるだろう。けれど、高すぎる供託金もそうだし、サラリーマンは一旦会社を辞めないといけないのもそう。立候補するハードルが庶民には高すぎる。そんな状態で立候補なんてできるわけないだろ! ぼくのような人間だって大きなリスクを負わずに立候補できる。そんな環境ができたら、ぼくも立候補するかもしれないけど。

それでも「よりマシな地獄を選択しろ」と投票至上主義の人たちは言う

自民党を支持しないのなら野党へ投票せい。分かる分かる。でもその野党が万が一に政権を取ったとして、支持しない党が政権を取ったらどうすんだよ。それだってディストピアじゃん。A党に投票しても地獄、B党に投票しても地獄。それでも「よりマシな地獄を選択しろ」と投票至上主義の人たちは言う。いや、違うでしょう、天国を提示しろとは言わないから、せめて、共感できる理想や理念を掲げる政党があって欲しい。そんな小さな願いを持つこともダメなんですか。

子供みたいに駄々をこねているぼくみたいな人間は、どうしようもない人間だと批判されるだろう。それも分かる。ぼくはダメなやつだ。ただ、この憂鬱で、モヤモヤした気持ちを何とか聞いてくれる人がいる、そういう気持ちを誰かに託すことができる。それが選挙なんじゃなかったのかよ。マイノリティの意見を聞いてくれるのが政治だったはずだろ。それなのに、どこにも投票できない。


Photo by Angus Fraser (CC BY 2.0)

徹底して護憲の共産党が「革新系」で、憲法を改めようとして自民党が「保守系」って論理が破綻してる気がする

だいたい、徹底して護憲の共産党が「革新系」で、憲法を改めようとして自民党が「保守系」って論理が破綻してる気がする。もしそうなら、安倍自民党に反対なら共産を支持できるはずだ。でもそうならないしどちらにも投票できない。なぜだろう。自民(保守)と共産(革新)という対立構図自体が合ってないからだろう。

そこでぼくはこう考えた。共産党こそ保守で、安倍自民は「明治カルト的改憲勢力」なんだと。必要なのは共産的「保守」に対抗する勢力なのではないか。自民的な改憲にも反対するが、対立構図的にはむしろ共産党と一線を画すような勢力。

脱原発を目指しながら、健康被害は絶対に盛らない。
差別にも加担しない。
福島の復興や収穫を素直に喜び、
科学的な思考をベースに原発に依存しない社会を設計できる勢力。

でも、そんな党はない。
そんな候補が見当たらない。
だからやっぱり棄権だ。

そりゃあ、投票はしなければと思っている。だから今回は本当に究極的に苦渋の選択をするしかないのだろう。ただ、そんな選挙では、いずれぼくは本当に棄権してしまうかもしれない。だから、そうならないようにするために「民意提示の新たな回路」を、ぼくたち自身が考え続けないといけない。

信頼できない人間にちょろっと投票することより、手間がかかったって、応援できる人がいた方がいい

それは「野党を育てる」ということでもある。ぼくたち自身が政治について対話を重ねられるチャンネルを作るということでもあるだろう。それはとても手間がかかることだ。けれど、信頼できない人間にちょろっと投票することより、手間がかかったって、応援できる人がいた方がいい。世の中は一気には変わらない。小さくてもいいから、政治家も有権者も緩やかに交差するような「新しい参政」「新しい民意提示」を、自分たち自身で設計していかなくちゃいけない。そんな小さな決意があって初めて、今回の「絶望の投票」に対峙できるような気がする。

震災と原発事故への関心を、あっという間に忘れてしまった国だから

いやー、でもなあ、こんなこと書いておきながら、まだ怒ってる。本当に投票するところがない。ぼくだって政治に無関心ってわけじゃない。関心があって、1票に思いを託したいからこそ棄権したくなっちまうんだ。駄々こねてるのは分かってる。でもなあ、やっぱりおかしいよ、こんな政治。おかしいって、言い続けないといけないんじゃないか。

ねぇ、今日JR常磐線富岡駅が6年7カ月振りに再開したこと、政治家のみなさんご存知ですか?

震災と原発事故への関心を、あっという間に忘れてしまった国だから、クソ政治に対する「怒り」だって、いつの間にか忘れちまうかもしれない。だから、こんな風に怒っていたんだってことを忘れないために、この文章を書いておこうと思う。

著者プロフィール

小松理虔
こまつ・りけん

フリーライター/オルタナティブスペース「UDOK.」共同代表

1979年いわき市小名浜生まれ。法政大学文学部卒業後、福島テレビ社会部記者、中国上海での雑誌編集・ライター、通訳などを経て2009年に帰国。震災後、2012年より地元のかまぼこ工房「貴千」広報担当として福島の食の情報発信に携わるも、2015年3月末で同社を退社。退社後は、フリーランスの立場から地元に根ざしたさまざまな企画、運営、情報発信にあたっている。

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