ポリタス

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【総選挙2014】しがらみが消えた社会で人は投票しなくなる

  • 松沢呉一 (ライター)
  • 2014年12月15日

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Photo by Don McCulloughCC BY 2.0

私の書くことを読んでも、今回の投票にはなんの参考にもならないことを最初にお断りしておきます。しかし、このまま投票に行かないでいると、大変な損をする時代が来ることだけはご理解いただけようかと思います。

「周りに自民党支持者なんていない。いったいどこに存在しているのか」と言う人がよくいて、そこから「不正選挙が行われている」などと言い出す人も出てくるのが常ですけど、選挙運動の手伝いをすると、そういう人たちの存在を意識することになります。どこの誰かはわからなくても、輪郭くらいは見えてくる。

自民党に限らず、なんらかの団体を支持母体にしている候補者はその票数を的確に読む。その数字の正確さを知ると、「組織票というのが確実に存在している」と実感しないではいられません。個人の判断ではなく、組織の利害を優先させる人々がそこかしこにいます。組織に属していなくても、自分の判断ではないしがらみというもので票を入れる人たちが多数存在しているのです。

そういう母体や地盤を持たない候補、なおかつ知名度のない候補は、なんとかそこに食い込んでいくしかない。知人の区議会議員は、商店会に食い込むために、涙ぐましい努力をしていました。食事はできるだけ地元の店で食べる。その際に領収書をもらい、宛先に名前を書いてもらう。経費で落とすのではなく、名前と顔を覚えてもらうためです。

それだけで投票する人はいないかもしれない。しかし、「卒業小学校が同じ」「子どもの通う小学校のPTAで世話になっている」「祭りで一緒に神輿を担いだ仲」「嫁の遠い親戚」といったさまざまな人間関係、つまりしがらみのひとつに、「いつも店に来てくれる客」はカウントされるわけです。

とりわけ地方議員では、どこの小学校出身か、どこの中学校出身か、どこに住んでいるのかを強調し、「地元コミュニティの代表」として、票を集めようとします。あるいは地方議員のブログを見てもわかるように、祭りを筆頭とした地元の催事にマメに出席します。ほとんどそれしか書いていない議員もいます。

政策や実績は二の次三の次の有権者が多数存在しているってことです

彼らがそうしているのは、現に票が集まるからです。どれだけうるさがられようとも、選挙カーで名前を連呼し、駅前で地元出身であることを強調するのは、名前や顔を売ること、地元に縁があることを知らしめることで現に票が伸びるからです。政策や実績は二の次三の次の有権者が多数存在しているってことです。

実際に、そういう狭い視野の票で地方議員は決定されています。それだけではないにせよ。もう少し視野が広くなるだけで、国会議員も似たようなところで票を得て、国政が決定されています。全部が全部、そうした政治家ばかりではないにせよ。

よっぽどのことがない限り、選挙には行く。若い頃はあえて泡沫候補に入れていたりもしましたけど、それはそれで自分の判断をしてきた私からすると、投票をしない人たちと同様、こういう投票をする人たちをせせら笑わないではいられませんでした。

どうせこの人たちは死に絶える。流動性が高まり、地元意識が消え、地域コミュニティが壊れていく中で、より健全な選挙が実現していくだろうという明るい未来を見ていたがゆえのせせら笑いです。

そして、現在。どこかに私の計算ミスがあったようです。

投票率を上げる決定的な対策はこれだ!

しがらみで投票してきた人たちの多くは、しがらみが薄くなると、投票しなくなるってことだったようです。より上の世代ほど、なおしがらみは残っているにせよ、おそらく全世代的に投票する動機が消えてきているのではないかと思います

「昔の人は政治に関心があった。それに引き換え最近の若いモンは」という意見に反論できるほどの根拠もなくて、事実、その傾向もあるのだとは思うのですが、昔の人たちだって大多数はしがらみという動機があっただけなんじゃないだろうか

ショックを受けたことがあります。数年前、選挙前に知人と話していた時に、彼女はこう言いました。

「いつも選挙は行ってるよ。親の言う通りの候補に入れている」

彼女は30代に入っていたはずです。そこに彼女自身の判断は一切ありません。もし親がいなくなったらどうするのか。別の誰かの言う通りに投票するのでしょう。もし誰も教えてくれなければどうするのか。投票しない。それだけ。

この言葉を聞いた時に氷解しました。「しがらみ」と言うと、なにか強制力が働いているように思えます。「本当は別の候補者に入れたいのに、入れられない」と。しかし、誰に投票したってバレやしないのだから、「入れましたよ」と口で言って、自分の判断で投票すればいいようなものじゃないですか。

自分の判断なんて存在しない

しかし、自分の判断なんて存在しないのです。強制力があるとすれば、「投票する」という行為に対してのみです。

コミュニティが崩壊するとともに、投票率は落ちていく。その結果、相変わらずしがらみで票を集められる人たちが相対的に強くなってしまう。

旧来のコミュニティを基盤とした票に対抗するためには、新しいコミュニティが必要、あるいは新しいしがらみによる動機づけが必要でした。それに我々は失敗したのかもしれない。

しかし、今までにはなかった武器があります。インターネットです。ってベタな展開で申し訳ない。

最近つくづく感じることですが、インターネットにもしがらみがあります。顔は見えないのに、町内会のような、会社のようなしがらみに縛られています。インターネットでは、うざいしがらみから逃れられるかと思ったら、そうでもありませんでした。

このポリタスだって、うざいじゃないですか

このポリタスだって、うざいじゃないですか、次から次といろんな人がいろんなことを言っていて(笑)。津田大介をフォローしているとそういうTLを見せられてしまう。津田大介とのしがらみがあるので、いちいち読むわけですよ。

ここで自立した個人の判断で政治を動かそうとするとまた失敗しそうです。人間はいつの時代もそんなには変わらんのです。投票率を上げるためには、ネットのしがらみを使って、投票に行かざるを得なくすることの方がおそらく早いだろうと思われます。投票に行かないと津田大介がフォローを外すという対策がもっとも有効なのです。

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Photo by Don McCulloughCC BY 2.0

著者プロフィール

松沢呉一
まつざわ・くれいち

ライター

プロフィール/1958年生。得意分野は性にまつわるさまざま。最近では、在特会を筆頭としたヘイトスピーチに対抗する活動や発言を積極的に 続けている。著書に『ぐろぐろ』『エロ街道をゆく』(いずれも筑摩文庫)など多数。メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」で大量の原稿を書いてい る他、11月からは有料ウェブマガジン「タグマ!」で「ビバノンライフ」をスタートさせた。

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