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【総選挙2014】政治的分水嶺としての2014年衆院選

  • 西田亮介 (立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
  • 2014年12月14日


Photo by midorisyuCC BY 2.0

今回の選挙の意外な重要性

2014年の衆院選も目前となった。各社の世論調査によれば、与党がかなり優勢のようだ。ネット上では、棄権と白票の関係や、そもそも選択肢の乏しい選挙区の場合、どのような選択をするべきかというかなり消極的な議論さえ行われている。かなり唐突に行われることになった衆院の解散は、各政党のマニフェストも具体的な表現に乏しく、はっきりいって全般的に盛り上がりに欠き、選択の基準が明確でないことは間違いない。

個人的には、投票が義務ではなく、権利である以上、それをどのように行使するかは、それぞれの有権者が自ら判断すべきものと思うし、投票率の高低は、まるで独裁国家のような投票率100%以外は、相対的にしか判断できないので、あまり論じても意味はないと思っている。それどころか、むしろ、政治のような、ややこしいことを気にしなくても、政治腐敗も、汚職も、再分配の失敗も起きず、経済成長するような社会こそが、個人が私事に専念できるユートピアなのではないか、などと、やや不謹慎なことさえ空想している(だが、政治への監視と緊張感が弱まれば、腐敗や堕落の阻害要因が失われるので、反語的に政治への監視と緊張感は不可欠だという結論に到達せざるをえない)。

しかし、そのような立場でありながら、これから後に続く政治日程を思い起こしていると、今回の選挙の意外な重要性に気づくことができる。

具体的に記してみたい。2015年には、多くの地方選挙が連続する統一地方選挙が控えている。秋には自民党の総裁選がある。さらに2016年は参院選の年であり、今回の選挙のあと、解散がなければ、2018年に衆院選、そして、翌2019年に、再び参院選が予定されている。

この数字に、幾つかの社会的な日程を重ねてみたい。2018年は、大学業界では、18歳人口が再び減少を迎える年(「2018年ショック」)としてよく知られている。そして、2020年は言わずと知れた東京五輪の年である。

これらの政治的、社会的日程を、ややディストピア的に(だが、与党にとっては楽観的に?)、あるいはワースト・ケース・シナリオとして解釈してみよう。


Photo by damon jahCC BY 2.0

2020年以降の日本はどうなる

2014年の衆院選で与党が大勝すると、野党、特にそれなりの勢力を持ちながら、2012年の政権交代以後存在感を示せずにいる民主党と、直近の再編に揺れた維新は、所属議員、そして地方における忠誠心と支持基盤を大きく毀損しかねない(現在でさえ、とても盤石とはいえない)。

そうすると、2015年の統一地方選は厳しい戦いを強いられることになるが、同時に国政選挙の基盤が脆弱なものになることを意味する。翌2016年の参院選も、与党の大きな失点がない限り、現在の野党が主体的に攻勢に出られるとは思えない。それどころか、その時期まで、地方基盤を、どのように維持するかということが問題になるはずだ。個人的には、野党の再再編もありえると思う。だが、それらが安定するには、それなりの時間が必要だろう。

2020年の東京五輪は、近未来における日本の1つのピークになるはずだ。この年に向けて、東京を中心に各種の投資が進むだろうし、五輪の動員規模によっては、その先しばらくもその余韻に預かることはできるのかもしれない。

だが、基本的には、以後は、人口動態的にも、経済的にもダウントレンドと試練の時期が待ち受けている人口の急回復はほぼ不可能であることが明らかになっており、社会保障費の増大もより顕著になる。2014年の消費増税の経済的ダメージも明らかだが、社会保障費を維持するためには、どこかのタイミングで、いっそうの税率引き上げは避けることはできないのではないか(景気回復のみで吸収できる可能性があるなら、それに越したことはないと思うが、テクニカルな議論はエコノミストの方々に委ねたい)。

過去の増税に対する反応を見ても、このようなダウントレンドでは、極めてシビアで、センシティブな舵取りが要求される。成長局面よりも相当に困難な舵取りを、政権運営の経験に、乏しい主体が担うことができるのだろうか。仮に2020年代前半のどこかで政権交代があったとしても、その政治的主体が、有権者の支持を受けながら、政権運営を的確に行っている姿を、なかなか想像することができない。

緊張感を失う日本政治

このような視点に立つと、気になるのが、政治における緊張感の欠落である。もちろん、ある政党が大きな規模になると、その組織内での競争は生じるだろう。だが、それでは不十分だ、という結論のもとで行われたのが、1993年以後の政治改革4法に代表される一連の政治改革ではなかったか。

時間軸を現在に戻して、2014年の衆院選の結果次第では、それらが意味を持たなかったという結論になりかねない。

投票率が上昇すると、与党有利というIT企業の予測もあるが、筆者はそうでもないと見ている。日本の選挙制度は、相当に複雑で、特に2013年の参院選のデータを参考にするだけでは、正確な予測は難しいはずだ。

投票したいと思う、まともな候補者がいないと思う場合は、前者は白票にして、後者で政党のみを記すことも可能なはずだ

現在の政局に対する有権者の苛立ちを顕著に示すデータもある。衆院選では、小選挙区の候補者と、比例区における政党の2つを選択することになる(両者が重複する場合もある)。投票したいと思う、まともな候補者がいないと思う場合は、前者は白票にして、後者で政党のみを記すことも可能なはずだ。組み合わせはいろいろある。

投票の結果は、フタを開けてみるまでは分からない。個人的には、普段はわりと斜に構えているのだが、前述のような、政治的緊張感の欠如というワースト・ケース・シナリオを思い起こすと、現在の政治に苛立ったり、無力さを感じるなら、今回は投票に行ってみても良いのではないかという気がした。憲法改正も現実味を増している気づかないうちに激変の基盤ができているという日本史の教訓を鑑みても、今回の選挙は一つの分水嶺に思えてならない。


Photo by iMorpheusCC BY 2.0

著者プロフィール

西田亮介
にしだ・りょうすけ

立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授

専門は情報社会論と公共政策。社会起業家の企業家精神醸成過程や政策としての「新しい公共」、情報と政治、地域産業振興、日本のサーフカルチャーの変遷等を研究。 1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。同助教(有期・研究奨励II)、(独)中小機構リサーチャー等を経て現職。著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)ほか。

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