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【総選挙2014】憲法と総選挙

  • 伊藤真 (伊藤塾塾長・弁護士・日弁連憲法問題対策本部副本部長)
  • 2014年12月14日


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選挙と権力の正統性

解散総選挙は、一定のテーマについて民意を問い、選挙に現れた民意に基づき政治を行うために行われる。自民党は、「アベノミクス解散」と自称するが、争点はほかにも、TPP雇用原発再稼働はもちろん、意図的に争点として明示しない集団的自衛権も重要争点である。

総選挙はこうした争点への民意を問うという意義の他に、権力の正統性付与という意味を持つ。すべての国家権力は正当な選挙によって初めて主権者国民からの正統性を付与される。自民党が選挙に勝てば、「民意」の支持を背景に、すなわち国民から正統性を与えられたとして集団的自衛権の行使容認に向けた法改正が一気に進むであろう。

違憲状態選挙

ただ、どんな争点を示したところで、そもそも現状の選挙制度が「民意」を反映した正当なものでなければ、それに基づく政治は民主的正統性をもたない。

最高裁判所大法廷は、2011年3月2013年11月の2度に渡り、衆議院議員総選挙の選挙区割りが、憲法の投票価値の平等の要求に反する状態に至っていることを国会に警告した。2つの判決で最高裁は、繰り返し「1人別枠制」の廃止を求めている各都道府県にまず優先的に1人を割り振り、残りの議席をできる限り人口比例で配分する方式であり、これを廃止しない限り、投票価値の不平等状態は解消しないからである。

こうした最高裁の判断は「国会議員は各選挙区の代表ではない」というメッセージといってよい。これは国会議員を憲法が定める全国民の代表(憲法43条1項)ではなく、選挙区の代表、地域の代表と考えてしまいがちな政治家や有権者への警鐘でもある。

最高裁判所には憲法の解釈を最終的に判断する権限があるのだから、そのような判決が、しかも連続して示されたならば、どの政策にも優先して、この異常事態を解消する措置を講じるのが国会の責務であり、この責務を果たさないかぎり、解散権の行使は許されないはずである。最高裁によって必ず違憲判断が出されるような総選挙に向けての解散は、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負う総理大臣としては行ってはならないものであった。

憲法のルールを軽視して解散総選挙が行われても、そこに「民意」は現れず、それに基づいて行われた政治にも民主的正統性はない

にもかかわらず、何らの措置を講じることなく、衆議院が解散され、総選挙が行われようとしている。このような憲法のルールを軽視して解散総選挙が行われても、そこに「民意」は現れず、それに基づいて行われた政治にも民主的正統性はない

憲法軽視の安倍政権

安倍内閣による政権運営がしばしば憲法を無視していることは、解散権行使のありようだけに止まらない

9条を変えたいのであればそれを正面から国民に問うのが憲法の予定する政治である

昨年の参議院選前に自民党は、9条改憲を容易にするために、憲法改正手続を定めた96条先行改憲論を主張した。しかし、9条を変えたいのであればそれを正面から国民に問うのが憲法の予定する政治である。

特定秘密保護法の問題もある。そこには「特定秘密」の範囲の明確化、秘密保護と緊張関係に立つマスコミの報道の自由、表現活動に刑事罰を科すことの当否など、法案成立後に解決すべき憲法上の懸案事項が未解決のまま、先ごろ施行された。これも憲法軽視の現れである。

2014年7月1日になされた集団的自衛権の行使を容認する閣議決定もそうである。この閣議決定は、集団的自衛権の行使を政府が公式に認め、自衛隊法や周辺事態法などの個別法を改正する道筋をつけるものである。しかし戦後一貫して、我が国は集団的自衛権の行使を容認したことはなく、このルールは1981年5月の政府答弁書で明確にされた。今日まで継続することによりこの国に定着したこのルールは、すでに憲法の一部と言ってよい。

自衛の措置という名目での武力行使を憲法上フリーハンドで認めてしまう今回の解釈は憲法9条の存在を無きものにするものであり、許される憲法解釈の限界を超える。それならば、その覚悟の有無を、憲法改正国民投票を通じて、そのリスクを負うことになる国民に問うのが本筋である。

にもかかわらず、いきなり内閣による閣議決定でそれを認めるのは、憲法軽視というほかない。憲法は、権力の行使に縛りをかけるためのルールであり(立憲主義)、その権力の中枢にいる内閣こそが、もっとも憲法によって規律されなければならない存在だからである。

こうしてみてくると、安倍総理は、近代憲法に共通する立憲主義の理解が十分でなく、自由主義国家のリーダーとしての適格があるようには思えない

主権者としての責任

残念ながら私たちは、今回の選挙においても、正しい仕組みで議員を選ぶことはできない。しかし、だからといって投票に行かなければ、先に見たような憲法軽視の政治を認めたことになる。投票したい候補者がいない、というのは、小選挙区制が導入されてからたびたび耳にする。

しかし、完全に自分の考えと一致する政策を掲げる政党・候補者は存在しない。相対的に少しでも自分の考えに近い政党・候補者を支持していくことで社会が全体として民主的に進歩していくのである。また、権力は集中すると腐敗するという真理を頭に置きながら、政治に緊張感を持たせるために投票するということも重要である。

国民審査の意義

それとともに、総選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査も、積極的に活用すべきである。投票価値の不平等状態が放置されていることについては、国会の怠慢が指摘されるべきではあるが、政治に対して消極姿勢をとってきたこれまでの最高裁にこそ最大の責任がある。

この消極姿勢は最近では徐々に変わりつつあるが、それでも人口比例原則に基づく1人1票という民主主義の基本ルールに後ろ向きな裁判官にノーの意思表示をすることは、参政権の行使として自由主義社会に生きる私たち国民の責務であると考える

私なら人口比例原則に反対の木内、山崎、池上の3氏に×をつける。

いずれにせよ、私たち国民が主権者として主体的に行動することによってしかこの国を変えることはできない。そのためには、1人ひとりが選挙権・国民審査権を行使することは極めて重要である。選挙制度や既存政党に不満を持つことは主体的に行動するためのエネルギーの源泉になる。しかし、同時に不十分ながらも表現の自由が保障され、誰もが参政権という人権を行使できる国の今という時代に生きているということ自体が極めて幸運なことである。そのことも忘れてはならない。

著者プロフィール

伊藤真
いとう・まこと

伊藤塾塾長・弁護士・日弁連憲法問題対策本部副本部長

1958年生まれ、東京都出身。伊藤塾(法律資格の受験指導校)を主宰。1981年司法試験に合格。その後、真の法律家の育成を目指して伊藤塾を立ち上げ、司法試験、公務員試験など核種法律資格の受験指導にあたる。また「憲法を知ってしまった者の責任」から、日本国憲法の理念を伝える伝道師として、講演・執筆活動を精力的に行う。また、多くの弁護士、著名人とともに、「一人一票実現国民会議」の発起人となり、日本に真の立憲民主主義を実現すべく弁護士として奮闘中。2014年5月、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に反対する憲法学者や元政府関係者らとともに「国民安保法制懇」を立ち上げる。主な著書に「10代の憲法な毎日」(岩波ジュニア新書)、「やっぱり九条が戦争を止めていた」(毎日新聞社)、「中高生のための憲法教室」(岩波ジュニア新書)、「憲法の知恵ブクロ」(新日本出版社)、「“清き0.6票”は許せない!~一票格差訴訟の上告理由を読む」(現代人文社。升永英俊・久保利英明・伊藤真・田上純 編著)、「憲法の力」(集英社新書)、「赤ペンチェック 自民党憲法改正草案」(大月書店)、「憲法問題 なぜいま改憲なのか」(PHP新書)、「現代語訳 日本国憲法」(ちくま新書)、「夢をかなえる勉強法」(サンマーク出版)、「“司法試験流”勉強のセオリー」(NHK出版新書)、「続ける力」(幻冬舎新書)、「説得力ある伝え方」(幻冬舎新書)ほか、共著、法律専門書多数。

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