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【総選挙2014】「良識ある不良市民」は議会政治の枠外で「横議・横行・横結」せよ!

  • 外山恒一 (革命家)
  • 2014年12月14日

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Photo by Tony HisgettCC BY 2.0

目下最大の問題は「ラディカリズムの不在」である

「3.11」以来、あるいは「9.11」以来、さまざまの社会運動が盛り上がっている、かに見える。熱に浮かされたように能天気なお喋りを始めるリベラル文化人も後を絶たないが、私の目には現在は「停滞期」であるとしか映らず、ただ自他の士気を維持するためにさまざまの「賑やかし」をたまに試みつつ、状況を冷ややかに見つめている。

運動がどれほど量的に規模拡大しようとも少しも気分が晴れないのは、そこにラディカリズムが一貫して不在だからである。

議会政治なんぞには1ミリも期待せず、議会外での実力闘争にのみ可能性を見出すラディカリストの群れがこの国の社会運動シーンから姿を消して久しい。人々のさまざまな不満や怒りや苛立ちを議会政治へと囲い込んで党利党略の具とする共産党を、自民党と同等かそれ以上の敵とみなして攻撃した、60年安保闘争や全共闘運動の元ラディカリストたちも、今なおココロザシを持続しているつもりでいるような手合いに限ってほぼ必ず無自覚な「リベラル転向」を遂げており、ラディカリストだった頃には決して口にしなかったはずの「9条擁護」など掲げたりしている始末である。今でも多少は存在する、系譜的には彼らに連なるはずの後続世代の活動家たちも、「ノンセクト・ラディカル」ならぬ云わば「ノンセクト・リベラル」ばかりで、問題意識のパッケージは共産党や社民党とほとんど変わるところがない。

「9.11」や「3.11」で目覚めた大量の新規参入者たちは、何やかんや云っても結局はそうした既成左派の引力圏に巻き込まれ、一時の高揚の波が引いた後も運動の場に踏みとどまる一部が単に新たな、かつ凡庸なリベラル左派活動家として陣営に組み込まれる結果だけを残して雲散霧消してしまう。「シングル・イシュー」が云々の話はどこに行ったんだというくらい、「3.11」デビュー組も今やその大半は原発反対、秘密保護法反対、集団的自衛権反対、TPP反対、消費増税反対、ヘイトスピーチ反対、アベノミクス反対、安倍を倒せの「マルチ・イシュー」活動家になり果てている。

「右とか左とかもう古い」などと云いながら、彼らリベラル派が共有する「問題意識のパッケージ」は、客観的には冷戦期・55年体制期の左右対立・保革対立図式において左派陣営・革新陣営が保持していたそれと寸分変わらぬ古色蒼然たるものにすぎない。もちろんこれと対立する右派陣営も同じパッケージの逆張りセットを保持しているにすぎず、冷戦ボケは左右共通だ。単に古めかしいだけならまだしも、多くは自らが右派でも左派でもない「フツーの市民」とやらであるかに思い込んでいるのだから始末に負えない。自らが右派や左派である自覚がなければ、双方の歴史上に存在する反議会主義のラディカリズムの経験も視野に入らず、参照することもできないだろう。

選挙に期待するシニシズムを脱し、選挙を唾棄するニヒリズムを!

私は選挙にはまったく関心がない。原則として投票には行かないし、稀に例外的に行かざるをえない理由(私自身が立候補しており供託金は奪還しなければならないとか、直接の友人が立候補しているから付き合いで仕方なくとか)も今回はないから、今回も絶対に行かない。

投票率は低ければ低いほど良い(多くの人が議会政治に絶望していることを示す数字は政府にとって不気味なものであるはずだし、それを不気味だと感じないような鈍感な政府ならますます恐るるに足らずだ)から、白票や無効票など投じて無意味に投票率を上げてしまうなどは愚の骨頂である。それでもどうしても「棄権」に踏み切れないプチブル動揺分子は、せめて「外山恒一」と書くべきだ。少なくとも国政選レベルの選管の役人なら私の反選挙パフォーマンスぐらい多少なりとも聞き知っていようし、機械が判別した無効票を手作業で再点検しながら私の「得票」が大きな選挙のたびに増加していることに気づき、その衝撃は必ずシカルベキスジにまで伝わるだろうから、究極的には無意味だが政府へのちょっとしたイヤガラセぐらいにはなる。

2007年の東京都知事選に出馬した際の、選挙制度そのものを全否定する内容の私の政見放送について、「ネタ」としか捉えられないような無知蒙昧は「知識人」にも拡がってるようなのだが、私が件の政見放送で語った選挙観は、反議会主義の左右のラディカリストにとってはごくごく常識的なものにすぎない。レトリックを工夫して(「役作り」もして)わざとちょっと面白くしているだけで、ラディカリストとして心底から本気で思っていないことは一言も云っていない。選挙など「しょせん多数派のお祭り」にすぎず、「選挙で何かが変わると思ったら大間違い」なのである。

ニヒリズムに陥ってると批判されることはよくあるし、実際私はニヒリストなのだが、ニヒルとシニカルは似て非なるもので、私に云わせればこの期に及んでまだ選挙に期待している連中こそ(「期待はしてない」などと云い訳を用意している手合いなどは一層ますます)ニヒリズムならぬシニシズムに陥っている。

絶望的な状況を直視した上で自らのとりうる行動を模索するのがニヒリズムであり、絶望的な状況をうすうす察知しながら(しているからこそ)それを直視することを避け無意味なルーティンでやり過ごそうとするのがシニシズムである。

あれこれの屁理屈で投票の意義を説くシニカル野郎は後を絶たないが、選挙結果を左右するのは諸個人の果てしなく軽い「一票」の累積などではなく、マスコミの強力な世論誘導であることは、誰にでも(認めたくないだけでシニカル野郎どもにも)ちょっと考えるまでもなく明白な事実ではないか。

選挙結果などどうでもよく、そもそも一介の「市民」ごときがどうこうしうるものではない。シニシズムに陥ったリベラル文化人どもに煽られて初めて投票に行くような人数など、大マスコミが世論誘導するとおりの素直な投票行動をとる人数に比べればタカが知れている。大マスコミは必ずしも時々の政権党と思惑を共有しているわけではなく、部数や視聴率を稼げると思えば政権批判のキャンペーンを張ることもある。93年や09年のように、その結果としてたまに「政権交代」も起きるにすぎず、それらはいずれの際にもやはり大量に湧いて騒いでいたシニカル&リベラル文化人どもの手柄ではないし、そんなメカニズムで起きる「政権交代」に何の期待もできないはずである。

議会政治なんてくだらないものは永遠に自民党にでも任せておけ

いっそ自民党が500議席とか(今の衆議院が全部で何議席なのか知らないし興味もないのでテキトーに云っている)になってしまっても全然かまわないではないか。どれほど強力な軍事独裁政権の類であろうが、群衆蜂起が連鎖的に発生するような状況にでもなればひとたまりもないことは、古今東西の無数の例が実証しているのであって、例えば原発の再稼働を阻止したいのであれば、どうせそれが「争点」にもなっていない選挙にムダな期待を寄せて右往左往するのではなく、仮に全議席自民党の字義どおりの独裁政権であっても動揺せざるをえない規模にまで在野の反原発運動を拡大させることに持てる力のすべてを注ぎ込んだ方がいいに決まっているし、逆に云えば、それが実現できないのであれば仮に何かの間違いで非自民政権が誕生したところで原発をやめてくれるわけがない(現に民主党もやめなかったではないか)。

「3・11」で火がついたかに見えた反原発運動も、もはや終息してしまっている。そんなことはないと意地を張る者も多かろうが、その程度にさえ現実を直視しえない連中に担われているからこそ反原発運動はいつまでたっても勝てないのであり、「原発を止めなきゃ!」の延長でどいつもこいつも議会政治なんぞに関心を持ち始めたりするから、結局「みんな選挙に行こうよ!」みたいなとこに落ち着いて、共産党とかがちょっと票を伸ばしてほくそ笑んで終わり、なのである。

たかが議会で何党がヘゲモニーを盤石なものとしようとも、とうてい無視するわけにはいかないぐらいメンドくさく鬱陶しく始末に負えず対処に困るような強力な運動を、議会外に形成していく努力を続ける以外に、さまざまの要求を政府に呑ませるために「良識ある不良市民」がなすべきことは一つもない。そしてそのために必要なのはいつだって(幕末でも「昭和維新」期でも60年代でもそうであったように)公認された政治参加システムの枠外での有象無象どもの「横議・横行・横結」なのである。

議会政治なんてくだらないものは、(タイミングを逸して書きそびれていたが実は私は「民主主義打倒」を掲げる恐ろしいファシズム革命結社の首領なのだが)我々ファシストが議会政治そのものにとどめを刺して終わらせるまで、自民党にでも永遠にやらしときゃいいじゃないかと私は思っている。

著者プロフィール

外山恒一
とやま・こういち

革命家

1970年生まれ。「九州ファシスト党・我々団」総統。10余年の「異端的極左活動家」時代を経て、03年以降は右翼的タームでアナキズムを換骨奪胎した独自の「ファシズム」路線を掲げる。07年の都知事選出馬に際しての過激な政見放送がネットで爆発的に拡がり、近年は「反原発派の士気を維持するため」の原発推進派候補へのあの手この手の「選挙妨害」パフォーマンスでも話題となった。反体制右翼マガジン『デルクイ』編集長。著書に『最低ですかーっ!』、『青いムーブメント』など。前科3犯。

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