民主主義の危機と民主主義の隆盛
民主主義は危機に陥っています。正確には議会制民主主義は危機に陥っています。しかし路上での民主主義はとても元気です。直接行動主義です。民主主義の危機と民主主義の隆盛。この二重性の中で、今回の衆院選は行われます。冷戦終結から数年しか経っておらず、インターネットも携帯電話も、ましてやスマートフォンも普及が進んでいなかった、1994年の東京にタイムスリップし、20年後の日本では、デモが盛んだよ、政治的対立も激しいよと言ってみても多分信じてもらえないでしょう。
一番過激なことを言ったやつが偉い
ポピュリズムのルールは単純です。それは一番過激なことを言ったやつが偉い、というものです。安倍政権は歴史の露払いでしょう。もっともっと過激な勢力が出てくる。そして実際出てきている。政権与党の「右」に立つ、というやつです。冷戦構造の残滓で、親韓、親米の文脈は捨てきれない安倍政権を、惰弱なエセ右翼、エセ保守だと主張する勢力はすでにいくらでもいます。
さらに歴史が悪い方に進展し軍事衝突が起こったとする。実際に自衛隊員が、あるいはすでに憲法改正済みで、日本国軍兵士が、他国で実際に血を流す。当然戦死者も出ざるを得ない。そうなれば過激なことを言った者勝ち、というポピュリズムのルールに、現場を見てきたものが偉い、というルールが最悪の形で追加されます。これを言われたらもう誰も勝てない。黙るしかない。
安倍さん、橋下さんなどは当然軍隊での経験などない。相当お年を召していらっしゃる石原さんだってそうです。近未来、戦争を経験した20XX年の「国軍」兵士からすれば、田母神さんですら、実戦経験のない元「自衛隊」員、現場知らずの高級将校、どんなに過激なことを言っても、所詮は戦場を経験していない甘ちゃんじゃないか、となる。
ここまで行けば、状況はクーデター前夜です。
ただ、そのクーデターの主役は、田母神さんでも、その懐刀、石井義哲さんでもないでしょう。2014年現在は現場で黙々と頑張っている無名自衛官Xだということなのでしょう。それが誰になるのかは、誰にもわかりません。
3.11後の数日間で日本人が垣間見てしまったのは、実はこの20XX年の風景です。政治もダメ、経済もダメ、行政もダメ、科学技術もダメとなったときに、ただ一つ自衛隊だけが輝いていた。日本の美徳を体現していた。もう頼れるのは自衛隊しかないのではないか。そういう風景です。
幸か不幸か、3.11というカタストロフィは、収束し、もとい収束した「かのように」」糊塗されてしまいました。そのためこの一旦開きかけた、日本社会の現実と未来へ通じるフタは、閉じました。しかしその一瞬だけでも開いたフタの隙間から、垣間見えた日本社会の未来図は、戦慄すべきものであったわけです。
人権への忌避感
しかし一体、安倍政権のこの二年間とは何だったのでしょうか。50年後の歴史家はこの2年間をどのようなものとして書き、そこで生きていた私たちをどのような人々として書くのでしょうか。
日本人が「権利」あるいは「人権」というものを、本当の意味で理解したことがあったのだろうか
一つ言えるのは、日本人が「権利」あるいは「人権」というものを、本当の意味で理解したことがあったのだろうか、と自分も含め問わざるをえない、そうした2年間だったのではないか、ということです。
与党がマスコミに公平中立、公正の確保などという「要望書」を出して、露骨な報道統制を行う。戦後コツコツと積み上げてきたはずの、国民の知る権利はどこに行ってしまったのでしょうか。
あるいは、外国人受刑者といえども、自由権としての信教の自由は尊重されなければならないはずです。そしてイスラム教徒用に、刑務所が豚肉抜きの食事、ハラールを用意するのは当然です。しかしそうした措置を「逆差別でずるい」と過去に言ってのけた人物が、刑務所をトップで統括する法務大臣に収まる。この人、つまり松島さんは「うちわ」云々で辞任されましたが、本来ならばこちらの一件のほうがはるかに問題だったはずです。
さらに女性を活用すると言っておきながら、自民党の女性認識がいかにも前時代的なものであること、これも改めて浮き彫りになりました。しかし当たり前といえば当たり前の話です。2005年頃、ジェンダー論に対する激しいバックラッシュが吹き上がりました。そのバックラッシュの旗手こそ、他でもない安倍さんや、閣僚の山谷えり子さんだったわけです。そのような人たちが女性の権利を拡張しようと頑張るなどというのは、ほとんどジョークです。
さらに生活保護にしても、生存権との関係で、その導入と確立にあたっては、20世紀に険しくも貴重な道のりがあったはずなのに、不正受給の話を使ってのバッシング一辺倒です。日本のお寒い捕捉率の問題などはまるでないかのように、です。
こうした基本的人権というものに無理解な政権与党が、近代的な基本的人権のリストを収めた、現在の日本国憲法を憎み、破壊すべきだと考えるのは、ある意味では一貫した考え方です。さらに日本国憲法が「押しつけ」ならば、さかのぼって、日本が近代国家として認めてもらうために、粛々と導入してきたさまざまな権利概念も、外国から一丁前に見てもらうために、イヤイヤながら受け入れた不本意な考え方なのだ、ということになります。権利というものには拡張傾向があるので、グローバルに見たらどんどん増える。日本は一応先進国を任じているので、そうした新しい権利を出てくると、分かったふりをする。とりあえず国内法化する。でも本当はそうした権利の物語自体が嫌で嫌でたまらないのです。その抑圧されたものが間欠泉のように噴出している、回帰しているのが今日の政治状況の一面なのでしょう。
人権の内発性と普遍性
このように日本の保守層の一部を支配している、権利や人権なんて西洋起源だ、近代が生み出した虚妄だ、それを押し付けるな、という忌避感情は、別に世界的にみて珍しいものではありません。ボコ・ハラムの活動家もそう考えるでしょうし、マララさんを銃撃した人たちもそう言うでしょう。
もちろん粗雑な形で展開される「人権外交」の押しつけ的側面、西洋中心主義的側面、帝国主義的側面に対する真摯な批判は重要です。ポスト・コロニアリズムの理論家、活動家たちは、こうした問題にそれこそ命を懸けて取り組んできたわけです。
しかし他方で人権や権利といった概念は、空間で言えば西洋、時間で言えば近代に濃厚な起源の一つを持っていますが、それにもかかわらず、必ずしもすべてをそこに還元することはできないし、する必要もありません。すなわち、必ずしも「人権」という言葉で呼ばれなくても、あるいは理論として何か体系のようなものにならなくても、人権の「ようなもの」は、世界のあちこちに内発的に現れてくるものであり、そして歴史上、実際に現れてきたものなのです。日本の近世の百姓一揆であれ、古代中国の農民反乱であれ、そこには人権の萌芽と、独自の表現形式があるのだ、というわけです。
人権には内発性と普遍性があります
こうした意味で、人権には内発性と普遍性があります。内発性、つまり押し付けられた云々ではなく、人間が自己理解を深め、自分の置かれた状態を真剣に考えれば自ずと、そのような概念が立ち現れるという性格が一つ。そして普遍性、つまり、西洋人であろうが東洋人であろうが、キリスト教徒であろうがイスラム教徒であろうが、およそ人間であれば、無条件的に備えているという性格がもう一つです。
ではそうした人権の内発性と普遍性を支えているものはなんでしょうか。それは、理性や自由といったものでしょう。人間が人間であればそれだけで認めうるものとしての理性や自由です。時代を飛び越える話です。地理も飛び越える話です。
しかし私たちが考えなくてはならないのは、人権が、時代も地理も超えた、理性や自由といった次元に、究極的な根拠を持つことを認めるとしても、その人権が、さまざまな人権、諸人権へと具体的な状況の中で分岐し、実現していくにあたっては、もう一つ別の次元を考えなくてはならないのではないか、ということです。すなわち「運動」という言葉で呼ばれる次元です。
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レトリック
「運動」において人権を考えるとはいかなることなのでしょうか。ここで私はこの「運動」という概念を広い意味で使っています。
フォルカー・ゲアハルトというドイツの哲学者がいるのですが、彼が以前に書いた「人権とレトリック」(論文集『人権への権利』)という論文があります。日本語で「そのような弁明はレトリックにすぎない」だとか、「彼はレトリカルな書き方をする」などと言えば、否定的な響きを持ちますが、ここでいうレトリックとは、弁論術、雄弁術という、そもそもの意味に即したものです。
ゲアハルトは人権をレトリックとの関係で考えようとしました。実際の社会運動という次元で、どのように人間の権利というものが語られ、機能し、分節化されるのか、それを見極めようとしたのです。これは非常にオリジナリティが高い仕事です。
彼が分析の対象として取り上げるのは、公民権運動で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説です。ゲアハルトは、キング牧師が人権を機能させるために用いるレトリックを分析し取り出していきます。たとえば、すべての聞き手に共通する経験への関係づけであるとか、不正の単純性であるとか、寛大さであるとか、そういった契機が、キングのレトリックの中核を形成しています。
こうしたゲアハルトの仕事、つまり人権をレトリックの中で、さらに踏み込んで言えば運動という行為の中で見ていくような方法論は、今日の日本の政治状況を考える上でも示唆深いものだと言えます。理由は二つです。
第一に、法の踏み越えと真の民主主義、という問題です。キング牧師は、「市民的不服従(Civil Disobedience)」という方法を、アメリカの作家ソローや、インド独立の父ガンディーから学びました。すなわち非暴力ではあるが、非合法であることをいとわない、そうした議会外での直接的抵抗戦術です。今日の日本と同じように、キングの時代もまた、民主主義が議会を超えて、街路で、公会堂で、広場で実践に移された時代だったわけです。キングは黒人の権利という「新しい」人権を確立するために、それこそ切り立った稜線を歩くように、議会と広場の間を、間接民主制と直接行動主義の間を行かなければならなかったのです。時々法を踏み越えてでも。それは「真の」民主主義を実現するために、どうしても彼が避けて通れなかった険しい道です。彼はその道の半ばにて凶弾にたおれました。キングの死が我々に突きつけるのは、「真の」民主主義は果たして、議会の中で、あるいは既存の「合法的な」法の中で実現できるものなのだろうか、という問いです。
第二に、説得という問題です。哲学者アリストテレスはレトリックを次のように定義しています。「どんな問題でもそのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけ出す能力である」(アリストテレス『弁論術』)。ここで言われる「説得」とはいかなるものなのでしょうか。
一つのトピックについて異なる二つの立場が生じ、しかしその双方が、単体ではにわかに勝負に決着をつけられないような不確実な時代においては、客観的・科学的・一義的な「真理」の提示よりも、「説得」という活動のほうが力を持ちます。安全・安心論に代表されるような、社会心理学者の展開するリスク・コミュニケーション論もまさに「説得」の知であるといえるでしょう。もちろんその是非はさておき、ですが。
レトリックは説得についての技法です。レトリックは、政治、経済、環境、軍事等の危機が高まり、社会不安が蔓延する時期に力を持ちます。民主主義の危機はレトリックにとっては好機なのです。ローマの雄弁家キケローが、演説一つでローマの現実の政治を動かしたのは、いわゆる「内乱の一世紀」のことでした。
こうした観点を持つと、いろいろなことが違って見えます。たとえばLGBTの運動で大きな先駆的役割を果たしたハーヴェイ・ミルクの議会演説を、キケローの『カティリーナ弾劾』と並べてみる、といったアクロバティックなことができるようになります。新しい権利、新しい人権が立ち上がる時、それは広義の「運動」を必要とし、そしてその運動の中ではレトリックが機能するものなのだ、ということです。
間接民主制と脱中心的組織形成の問題
いずれにせよこうした今日の政治情勢下で、我々が一番大事にしたいもの、命を懸けても守らなければならないものとはいったい何なのか。それは自由なのか、民主主義なのか、代議制なのか。
平時において、これらは渾然一体となっています。緩やかに、悪く言えばナアナアに結びつきながら、我々が抱く社会の基本的な理念となっています。一人の人間が、自由を尊重し、民主主義を奉じ、代議制を愛する。何も矛盾はありません。平時ならば。
ところが一旦時代が荒れて、問い詰めて考える必要が出てくると、事情は一変します。こうしたゆるい纏まりは、あっけなくほどけてしまいます。たとえば民主主義を実現するのに、いちいち代表というシステム、すなわち代議制は必要なのか、と問う勢力が登場するでしょう。そして彼らは力を持つでしょう。民主主義は議会でしか実現できないと主張する勢力、民主主義を擁護するならば選挙に行こうと呼びかける勢力は、真の意味での民主主義の敵なのではないか、ということにすらなるかもしれません。
何を馬鹿なことを、とおっしゃるかもしれません。しかし議会の外でしか民主主義は実現できないと考え、実際にそれを経験した国は、よく考えればいくらでもあります。イギリスの市民革命もそうでしょう。フランス革命もそうでしょう。アメリカの独立戦争もそうでしょう。ロシアも巨大な革命をソ連という形で経験しました。
これらの革命がその都度多大な血を流しながら、新しい権利を確立してきたことを考えれば、人権や権利は、理性、自由から生まれ、しかし路上、広場、運動、動乱を揺りかごとして育ってきたとも言えるのです。
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それでは、間接民主制は、議会制は、そして選挙は、根本的な歴史の転換点においては、無意味なのでしょうか。そうではありません。間接民主主義には利点もあります。さまざまな答えが可能でしょう。この点、間接民主制の持つ、一方では民意を可能な限り反映しつつ、他方では衆愚制やポピュリズムへと民主主義が堕落していく速度を弱める、という一種の穏健化機能が答えの一つとなるのは間違いありません。間接民主主義は、民主主義が放っておけば加熱し、加速してしまう傾向にブレーキをかけるのだ、というわけです。
ただ指摘しておかねばならないのは、間接民主制を実現するために大きな役割を果たしてきたはずの「党」というものが、時代の大きな曲がり角に来ているように見えてならない、ということです。「党」という「中心」を持つ組織が主役となって、選挙という手続きを挟み、政治が動いていくということも、ごく歴史的なことです。別に永遠のシステムではありません。そしてそれは大きな転換期に来ているわけです。
グローバル化したインターネット時代における脱中心的組織形成の問題はここに関わります。たとえばアルカイーダのような原理主義ネットワークには確固たる中心がありません。共感に基づく緩いネットワークだと言えます。中東圏ではイスラム国が新たに台頭していますが、勧誘、宣伝方法などを見れば、依然として従来型の党組織とはかなりの違いがあります。ウィキリークスなどにしてもそうです。ウィキリークスは匿名性という点で強固な内部告発システムを提供するわけですが、組織として一つの統一目的を達成するために活動しているわけではありません。ここに「エコ・テロリスト」と呼ばれる「地球解放戦線(ELF)」や「動物解放戦線(ALF)」のようなグループを付け加えてもいいでしょう。物々しい名前ですが、彼らも党中央・党綱領のような「中心」を欠いています。存在するのはインターネット上のホームページだけです。
Photo by Wikileaks Mobile Information Collection Unit(CC BY 2.0)
いずれにせよこうした脱中心的な組織が可能になるのは、新しい情報テクノロジーが台頭したおかげです。新しい技術はカオスや犯罪ももたらしますが、他方では、これまでとは違う形での「民主主義」も可能にします。これはかなりアナーキーな民主主義です。たとえば通常の内部告発の持つ、組織の透明度を改善するという側面、消費者や株主の利益に資するという側面は理解が容易です。しかしながらこれに対し、ウィキリークスやスノーデンの事例のような、場合によっては情報提供者を生命の危険にさらすような告発システムが奉仕している、漠然とした公益を明確に言語化することは困難です。これを私は「純粋公益」という名前で呼んだことがありますが(『日本人が知らないウィキリークス』)、別に「民主主義」でも構いません。ただこの場合の民主主義は、いわば純粋な民主主義、すなわち善き生を実現したり、幸福をもたらしたりするために必要な、「手段」としての民主主義ではなく、「目的」そのものとしての民主主義ですが。
過渡期的存在としての「党」
こうしたテクノロジー上の変化を考えるなら、もう「党」というシステムは終わりなのか、という疑念すら生まれます。この点私は、過渡期的存在かもしれないが、「党」は生き残るだろうと考えます。
この点、ヒントになるのは、3.11以後にも、人々の分断状況は残った、という点です。盛んに「絆」が喧伝されたにもかかわらず、です。しかし逆説的ですが、この分断状況が、「党」という、一般利害ではなく特殊利害を追及する従来型の組織に、存在理由を与えてくれると思うのです。
社会学者ウルリヒ・ベックは『リスク社会』という本を3.11以前に書きました。大変影響力の強い本です。彼はかつての階級社会や産業社会と、リスク社会と彼が呼ぶ今日の社会とは、大きく異なると考えました。彼はリスク社会とは、例外なき巻き込みという点に特徴をもつというのです。たとえば産業社会において、知覚できるような類の悪臭、大気汚染、劣悪な生活環境は、カネを使うことで回避することができます。ここに階級の格差が生まれます。社会問題は特定の人種、階級、地域等に限定されて生じる、というわけです。ブルジョワは煙もうもうたる工業地帯の阿鼻叫喚を、山の手の邸宅から傍観、見物していればよいわけです。
しかしながらリスク社会に特有の事故、例えば大規模原子力災害のようなリスクは、国家、都市と地方、地球の南北、階級の上下等を超えてしまう。こうした新しいタイプのリスクは、これまでとは別種の「不安」をもたらすが、同時にその「不安」は階級を超えた「連帯」を可能にするような、ユートピア的側面を持っている。このようにベックは考えました。
さてこうした考えの妥当性はどうでしょうか。3.11以後、非常に売れた本の一つですが、レベッカ・ソルニットさんが『災害ユートピア』で取り上げた実例、すなわちハリケーンや大地震のような大規模カタストロフィの後に生じるのは、略奪や殺人ではなく、むしろ我々が日常では経験することのできないような、階級も人種も超えた助け合い、相互扶助、ユートピアなのだ、という話は、ベックの主張を裏付けるようにも思えます。また、自分たちの三・一一経験を振り返ってみても、あの日、今まで話したこともないような近所の人と言葉を交わした、いう人は少なくないと思います。また既存の党派性とは無縁の、いわゆる「普通の人」が反原発デモにいる、そういう風景にも頻繁に出くわしました。
このように、原子力発電所事故のような巨大な災害が、逆説的に人びとを一つにする、という主張は妥当性があります。しかしそれにもかかわらず、このような現象と同時に、人びとの間の分断状況、対立状況も明らかになったわけです。例えば原発行政をめぐる地方と都市の対立であり、移住できる人とできない人の対立であり、別の生業を選べる人と選べない人の対立であり、という具合にです。
これは厳しい状況です。しかし見方を変えれば、一つの利害ではなく、複数の利害が社会に存在し、それがお互いに対立しながら睨み合っている、という状況は、特殊な利害を代表するのが使命の「党」という存在にとって、非常に得意とするシチュエーションとも言えます。放っておけば、無視されるか踏みつぶされてしまう、こまかなな差異、小さな声、ささやかな運動を拾い集め、ゆるやかに繋げていく、そうしたプラットフォームとして「党」という存在は、十分過渡期の役割を果たしていくのでしょう。中央の指導、という時代ではないと思います。
「党」という存在が生き残れるかどうかは、間接民主制の持つ穏健化機能、啓蒙機能をぎりぎり保持しながら、直接行動主義をどのようにうまく自分たちの中に取り込めるか、という問題にかかっていると思います。路上から出てきた新しい発想と、新しい方法論の社会運動家を国会に送ることが大切だと思います。
もちろん何でもかんでも無節操に取り込めばいいというのではありません。安倍政権は、議会制の外側にある勢力と、反知性主義的に素朴に一体化し、それを取り込んできました。そこに啓蒙の意志も教化の意志もありません。憎悪を言論における闘争に高めることなく、憎悪を憎悪のまま利用しようとする意志しかありません。そしてうまく取り込んだつもりが、取り込まれてしまったというのが今の自民党の現状だと思います。
麦
安倍政権の下で、わたしたちは何となく享受してきた人権の意味を、根底から考えるよう強いられている
ともかく、安倍さんは、人権、権利というものにとって、良き「教師」であるとも言えます。案外皮肉ではありません。安倍政権の下で、わたしたちは何となく享受してきた人権の意味を、根底から考えるよう強いられているからです。これまでのように、かくかくしかじかの権利について、これは海外では常識だから、学校でそう教わったから、今度法律で決まったから、ではなく、なぜこのような権利を、私たちは譲り渡すことができないのか、あるいは確立しなければならないのかと、かつてない切迫感をもって問うことができるようになったのです。
キング牧師も、彼についていった者たちも、一気に黒人の権利を実現したわけではありません。運動の過程で侮辱され、嘲笑され、踏みにじられる中で、人権の雄弁を、レトリックを機能させ、磨き上げていきました。否定の動きが強ければ強いほど、それに反発する動きも力強さを増します。そもそも権利とは、人権とは、闘争の中で呼吸する存在なのです。弾圧の中で強くなる存在なのです。
問題はその反発力すら発揮しようがない、絶望的な状況に追い込まれることです。その前に頑張ることです。
麦は踏まれて強くなります。しかし踏まれる麦すら無くなってからでは遅いのです。たとえ見通しは暗くとも、まずは踏まれる麦の、その種を撒きに行くべきです。投票に行きましょう。
Photo by Jon Bunting(CC BY 2.0)