ポリタス

  • 視点
  • illustrated by トヨクラタケル

【総選挙2014】安倍自民圧勝の先に待っているもの

  • 須田慎一郎 (経済ジャーナリスト)
  • 2014年12月13日


© iStock.com

そもそも一体、何を争点とした選挙なのだろうか。

解散が確定的になってからというもの、投開票日直前まで考え、そして取材を続けてはみたものの、一向にその答えが見つからない。そして今に至って、ようやくその"答え"が見つかった。その答えを一言で言ってしまえば、「答えがないのが答え」なのだ。つまり、そもそもこの選挙に、争点などないのだ。

いや、こうした物言いは、いささか正確さにかけるだろう。

安倍晋三首相に"白紙委任状"を与えるか否か

この選挙で、われわれ有権者に問われているのは、ただ一点だけ。その一点とは、安倍晋三首相に"白紙委任状"を与えるか否かだ。

選挙結果次第では(しかしそうなる可能性は極めて高いのだが)、安倍首相は最長で向こう4年間にわたって"白紙委任状"を手にすることになる。

小泉政権がピリオドを打ってから第二次安倍政権が発足するまで、日本の政治情勢は「決められない政治」という批判に強くさらされてきたと言っていいだろう。もちろんこうした状況に陥ってしまった最大の理由は、衆院、参院で多数派を形成する政党が別々、つまり国会が「ねじれ」と称される状態にあったためだ。

そしてその「ねじれ」を克服するためには、与野党が熟慮と議論を重ねて合意点を探る作業、すなわち「熟議」が必要とされた。しかしこの「熟議」なるものが成功したケースは皆無と言って良く、国会はたびたび機能不全状態に陥っていたのが実情だ。

2年前の衆院選で自民、公明の与党が圧勝(合計325議席)したため、これをもって「ねじれ」は解消することとなった。そしてその結果、「熟議」も消え失せてしまったと言えるだろう。しかしそれは一方で、ほとんど指摘されることはないが結果的に「決められる政治」に移行することを意味した。

とは言え、第二次安倍政権で我々が目にしたのは、少数の反対派を無視する形での「決められる政治」にほかならない。特定秘密保護法の成立、あるいは閣議決定に至った集団的自衛権の限定容認など、その意思決定のプロセスは、前述の「熟議」とはほど遠い状態にあったと言っていいだろう。

筆者が危機感を覚えるのは、決して個別の法律や政策の中身についてではない。その意思決定のプロセスが、あまりにも強引、かつ乱暴すぎるという点だ。

"強引さ"や“乱暴さ”は、多くの国民に対して強いカタルシスをもたらす

しかしそうした"強引さ"や“乱暴さ”は、多くの国民に対して強いカタルシスをもたらすこととなった。「失われた20」、「中国の経済的な台頭」、「侵食される領土・領海」などなど、日本がさまざまな面で弱体化していく状況に、多くの国民は強いストレスを感じていたことは間違いない。そしてそうしたストレスは、人々の内面に精神的な“しこり”を形作ることになった。

つまり「決められる政治」は、そうした"しこり"を消散させる上で、大いに役立っていると見ていいだろう。ある種のカタルシスを求める有権者や国民が、安倍自民党を強く支持しているのだ。

こうした状況の中では、政策論争など何の意味もなさない。マニフェストも公約も一切、気にもとめられていないはずだ。

もはや選挙は、「現代のコロッセオ」と化した。自民党は、野党の首相経験者や党首が立候補している選挙区を重点選挙区と位置付け、徹底的なテコ入れを図っている。結果、野党の有力候補者は厳しい選挙戦を強いられているが、多くの国民は喜々としてその結果に注目している。野党の候補者が惨めに敗ければいいと念じながら。

14日の投開票日は、おそらく多くの国民が最高のカタルシスを感じることになるだろう。

安倍自民が圧勝することになるのは、まず間違いない。しかしその先に何が待っているのか。

いずれにしても、国民の求める「コロッセオ政治」は続いていくことになるのだろう。

著者プロフィール

須田慎一郎
すだ・しんいちろう

経済ジャーナリスト

経済ジャーナリスト。1961年、東京生まれ。日本大学経済学部卒。経済紙の記者を経て、フリー・ジャーナリストに。「夕刊フジ」「週刊ポスト」「週刊新潮」などで執筆活動を続けるかたわら、テレビ朝日「ワイドスクランブル」、「ビートたけしのTVタックル」、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪「たかじん NO マネー」、ニッポン放送「あさラジ」他、テレビ、ラジオの報道番組等で活躍中。 また、平成19年から24年まで、内閣府、多重債務者対策本部有識者会議委員を務める。政界、官界、財界での豊富な人脈を基に、数々のスクープを連発している。

広告