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最初にお尋ねします。あなたは今回の安倍首相の解散総選挙に納得されていますか?
メディア報道を見ていても、インターネット上でも、また日常生活においても、解散総選挙が皆さんの話題に上ることはあっても、どこか他人事のような話ぶり。
「町の声」は生活の苦しさに言及するものの、安倍政権の強引な手法や公約違反への怒りや憤りを口にするひとはホンの一握りです。政権そのものへの支持率は40%を割るところまできましたが、総選挙の比例の投票先はいまだに圧倒的に自民党。真剣に行く末を考えているようには見えません。
安倍晋三氏は2年前、「まず、復興。ふるさとを、取り戻す」と大見得を切り、「脱原発への意気込み」や「選挙制度の抜本的な見直し、衆院の定数を削減する」などを選挙公約に盛り込んで衆院選に臨みました。
選挙に圧勝して安定過半数の議席を確保すると、安倍首相は報道陣を引き連れて被災地入りして復興への取り組みを強調してきましたが、被災地から聞こえてくる声は「なんも変わってねえ」。ふるさと創生に関しても、私は愛知県の中山間地に住んでいますが、目立つのは交通量が少なくほとんど痛んでいない道路の整備やがけ崩れ防止工事位なもので、田畑も森林も、そして空き家になった家屋も荒れ放題。根本的な活性化への動きは全く見えてきません。「脱原発」や「選挙制度の抜本的な見直し」にいたっては、脱原発どころか逆に原発推進に転じてしまいました。国会議員数の大幅削減に着手しないで、逆に議員歳費を20%アップと大盤振る舞いする始末です。
これは明らかに公約違反です。選挙民に対する裏切り行為です。
でも、多くの方はそれに対して怒るどころか寛容です。集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法案に不安を抱きながらも、まるで「安倍さんが悪用するはずがない」と自分に言い聞かせているかのようで、反対の声を上げるのは全体から見ればごくごく一部の人たちです。
何ゆえに皆さんがここまで従順なのか? それは推測するに「(自民党政権は)民主党政権に比べればましだ」との考えが根底にあるからではないでしょうか
何ゆえに皆さんがここまで従順なのか? それは推測するに「(自民党政権は)民主党政権に比べればましだ」との考えが根底にあるからではないでしょうか。
では具体的に民主党政権のダメだった点を挙げてくださいというと、「小沢一郎」を筆頭に歴代の党首や総理経験者の名前を"戦犯"として並べます。
しかしながら、ならば「政治とカネ」の小沢一郎氏にどんな罪があったかと聞くと、明確に答えられる人は多くないと思います。ただ、そう言われているから、特に報道がそうだからそれをうのみして今も信じ込んでいるような気がします。
「民主党がダメだった」の原点である「小沢一郎の政治とカネ」を検証する場合、時計の針を政権交代が起きた2009年8月より約半年前に戻します。
その頃、前年にオバーマ米大統領が起こした"チェンジ旋風"の影響も手伝い、皆さんは旧弊体質の自民党に見切りをつけて「新風」に希望を見出そうと、民主党に国の舵取りを任せようとしていましたね? 連日の民主党政権誕生への期待を抱かせる内容の報道に、皆さんは「何かが変わる」予感に心をときめかせていたのではないでしょうか。
皆さんがそう期待を抱いていた時、その裏で密かに「小沢潰し」のシナリオが作られ、実行に移されていたことをご存知ですか? それが「日米合作」だったと言えば、多くの読者は「陰謀説か」と眉に唾をして読むのを止めてしまうかもしれませんが、しばし我慢をして読み進んでください。何故なら、実は、皆さんもこの作戦の"共犯者"だからです。
あの頃の民主党は前年の参院選で大きく躍進。自民党・麻生政権の不人気もあり、解散総選挙が行われれば大勝すると見られていました。当時の代表は小沢一郎氏で、「小沢一郎首相」の誕生を疑う者はいなかったはずです、シナリオ作りに関わっていた者を除いては。
その頃のメディアは、末期症状に苦しむ麻生内閣を連日叩く一方で、民主党の勢いと清新さを強調する報道姿勢が目立っていました。2月11日の朝刊各紙の紙面も自民党の凋落ぶりと民主党の躍進の記事で埋められていました。
ただそんな中、小さいですが気になる記事がありました。
オバーマ新政権の国務長官(外務大臣に該当)に就任したばかりのヒラリー・クリントン氏が、東アジア歴訪の予定を立てて小沢氏との会談を申し込んでいたものの、小沢氏が「慎重な姿勢」だとする内容の記事です。早い話が、「あなたに会っている時間はない」ということです。"親分"の代行として訪日するから会いたいと言っているのに、“子分”の分際で断るとは何事かとクリントン氏が思ったとしても不思議ではありません。
14日の朝刊には「会談実現に(民主)党内が期待している」とあります。これは、小沢氏の返事に態度を硬化させた米側に恐れをなした外務省と民主党幹部が、メディアを通して小沢氏に言葉を慎むよう注意し、米国政府に「お目こぼしを」とのメッセージを送ったと考えられます。
小沢氏の「米国との関係の見直し」は思い付きではありませんでした。かねてより折りに触れて公言してきたことだからです。それを政権に就いたら実行に移すと宣言したに過ぎないのです。
しかしオバーマ大統領にとっては聞き捨てならなかった態度・発言でした。「グリーン・ニューディール(当時で約80兆円必要と言われていた)」を目玉政策として経済立て直しを図る同氏にとって頼りにしていたのが日本の金庫だからです。"打ち出の小槌"を手放すわけにはいきません。
スケジュール調整(米国からの圧力?)の結果、両者は17日に会談する運びになりましたが、小沢氏にすれば、「この忙しい時にごり押ししおって」と不満だったようです。前々日の記者会見では「話し合うテーマは何もない」とクリントン氏を突き放したともとれる発言をしているのです。
日米関係を「何よりも大事だが、従属関係であってはならない」とする小沢氏に対してヒラリー長官は、平静を装いましたが腹の中は煮えくり返っていたに違いありません。
それを気遣ったか、内外のメディアは「小沢氏は反米主義者」「中国と手を結び、米国をけん制」などと騒ぎ立てたました。
米政府に対する小沢氏の発言はそれに止まらず、24日に奈良市で行った記者会見で語った在日米軍基地問題についての考え方は「虎の尾を踏んだ」も同然でした。
「米国の言う通り唯々諾々と従う必要はない」
「今の時代に、米国も前線に部隊を置く意味はない。第7艦隊で米国の極東におけるプレゼンスは十分」
これはつまり、日本に米軍基地は不要であり、(米国の極東の安全保障への関与は)第7艦隊だけで十分というものです。
これに素早く反応したのは米政府ではなく、またもやマス・メディアでした。朝日新聞までもが28日の社説で小沢発言を取り上げて「民主党の政策は大丈夫か」と疑問を投げかけ、政治面でも大きく取り上げて釘を刺したのです。ここからして分かるように、建前では自主独立路線こそ日本の進むべき道と言いながら、従属関係から抜け出せないのは他ならぬマス・メディアです。
この小沢氏の一連の発言に「小沢の身に何かが起きるのでは?」と案じたひと達がいました。永田町に長年住む住人(古参国会議員)です。彼らはロッキード事件で田中角栄元首相が「塀の中に落ちた(刑務所に入れられた)」のは「アメリカを怒らせたからだ」と見ていました。中曽根康弘元総理もそのひとりで、2010年発行の『新潮45』の特集でこの点に触れています。
朝日新聞の社説掲載の3日後、東京地検特捜部が動きました。西松建設からの献金を隠した容疑で小沢氏の代表秘書を逮捕したのです。
こうして2月11日までの「民主党への政権交代大歓迎」から一転、メディアの「小沢一郎・政治とカネ」キャンペーンが始まったのです。その結果、小沢氏は代表の座から引きずり下ろされてしまいました。後任の鳩山由紀夫氏が小沢氏の対米路線を継承するだけでなく、同氏を擁護してその後も代表代行や幹事長と要職につけると、今度は「霞が関(官僚)」がそれに反応、メディアの鳩山政権へのネガティブ・キャンペーンを下支えして鳩山政権を揺さぶりました。
ネガキャンは世論調査を巧みに使って進めます。今主流のRDD方式の世論調査は「負のスパイラル」に陥れられると為政者は支持率を再浮上させることはほぼ不可能になります。鳩山政権も例外ではなく、支持率は急落、鳩山、小沢両氏の党内の影響力も低下。結果的に、両氏は翌10年6月、それぞれ首相、党幹事長の座から下りることになってしまいました。
その後の民主党の体たらくについては皆さんもよくご存知のことで、あえてここで書く必要もないでしょう。迷走し続けた挙げ句、野田佳彦首相(2012年当時)は党首討論で解散を宣言、自民党に政権を譲ってしまいました。
3年半のドタバタ劇の後に皆さんの記憶に残ったのは、「民主党政権の失敗」と「小沢の『政治とカネ』」でした。
「民主党に裏切られた」との思いがあまりに強いためでしょう。「政治とカネ」に対する司法の判断が結果的に「シロ」と確定した後も皆さんの小沢一郎氏への批判は止まるところを知りません。マス・メディアに至っては、小沢氏に対する姿勢は表現方法こそ和らぎましたが今も冷ややかなままです。
「なんだ結局は小沢一郎の擁護なのか」と思われる方は、拙稿を今一度お読みください。私が言いたいのは、"見えない力"に操られたとはいえ、選挙民の多くが小沢一郎氏を犯罪者扱いしてその政治生命を奪ってしまったということです。
本来ならば、2009年2月の時点に戻して「再起動ボタン」を押すべきですが、それは現実的に不可能です。皆さんができることは、"共犯者"としての自覚を持ち、来る14日の衆院選に「最善の選択」をされることです。その道こそが日本に持続可能な社会をもたらす数少ない道のひとつと考えます。
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