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【総選挙2014】“今のうち解散”のもたらす意味とジャーナリズムの責任

  • 斎藤貴男 (ジャーナリスト)
  • 2014年12月10日


朝日新聞社提供

"今のうち解散"が目指す先は

今回の総選挙のあるべき争点は明確だ。安倍晋三政治の何もかも。そのことは当然、安倍首相が突然の解散を決めた理由とも表裏一体の関係にある。

年明けの国会には、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定に関わる法案が次々に上程される。改正自衛隊法案改正武力攻撃事態法案国家安全保障基本法案、等々。

すでに日米両政府間では「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を17年ぶりに見直す作業も急がれている。10月にまとめられた中間報告によれば、従来は

(1)平時
(2)周辺事態
(3)日本が武力攻撃された有事

――の3通りの可能性に応じた協力事項を定めていたものを、

平時から緊急事態までのいかなる段階においても、切れ目のない形で、日本の安全が損なわれることを防ぐための措置をとるように変更する

としている。さりげない表現ではあるものの、要は日常的な戦時体制の構築が謳われているのだ。解釈改憲はこうして実体化されていく。


© iStock.com

状況によっては、「イスラム国」(ISIS)への空爆に関与する展開もあり得るかもしれない。解釈だけではない、文字通りの憲法改正をアメリカに承認してもらうためなら安倍首相は、ひたすら彼らへの忠誠心を示してみせたがるに違いないから。

来年からは外国人労働者の受け入れが拡大される予定だ。解散で廃案になった改正労働者派遣法案の強行突破も図られる。超エリートでない人間は失業するか、派遣以外の働き方を選択できる余地をほぼ奪われることになる。

確定申告の季節には、消費税率8%の影響も露わになるだろう。増税分を価格に転嫁できずに自腹を切らされた中小・零細事業の廃業や倒産が相次ぎ、これに伴う失業や自殺の激増、社会の不安定化はもはや回避のしようがない。

2015年には、権力やグローバル資本に近くない普通の人間にとって、よいことなどひとつもない

すなわち2015年には、権力やグローバル資本に近くない普通の人間にとって、よいことなどひとつもないとわかりきっている。だからこそ安倍首相は、ボロがまだ見えにくい年内の解散・総選挙に踏み切った。"今のうち解散"と呼ばれる世評は、したがって実に正しい。それも一般的な理解よりもずっと深い部分で、だ。

実体化する「勝者の戦争観」

さて、とは言っても個々の政策のいちいちを俎上に乗せていく余裕はない。ここでは1点だけ、されど安倍政治の全体を貫く根幹を語りたい。それは「勝者の戦争観」に尽きるのではないか

筆者の造語ではない。三谷太一郎・東京大学名誉教授(1936~、日本外交史)が、件の閣議決定の道筋をつけた有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書が公表されて間もない時期に、朝日新聞のインタビューで述べていた。

――政府与党が集団的自衛権の行使に向けた議論を進めていますが、歴史の文脈の中で、この問題をどうとらえたらよいのでしょうか。

「最初にお話ししたいのは、戦後も68年が経過して、日本人の戦争観が、敗戦直後とは大きく変化したということです。憲法9条の前提となっていた日本人の戦争観が変わってしまいました」

――敗戦直後の戦争観は、どのようなものだったのですか。

「敗戦の翌年1946年に、当時の指導的国際法学者で、後に最高裁長官となる横田喜三郎東大教授が、学術雑誌に『戦争の革命』という論文を発表しました。その中で横田教授は、『こんどの戦争によって、戦争の性質は根本的な変更され、戦争そのものの革命をもたらした。それはいままで戦争が一般に適法なものとされてきたのに、いまや一般に違法なものとされ、しかも犯罪とされるに至ったからである』と論じています」

「これは当時の国民にも共有された見方ではないでしょうか。(中略)日本は戦争の敗者であったわけで、『敗者の戦争観』はこういうものだったのです。それがいま『普通の国』という感覚なのでしょうか、米国や中国のような『勝者の戦争観』に近づいてきました」

朝日新聞 2014年6月10日付 朝刊オピニオン面

いわゆる東京裁判史観をめぐる甲論乙駁とは異なる次元の議論であることは言うまでもない。勝者の戦争観には悔恨も罪悪感もない。独善と酷薄だけがある。何かと言えば弱肉強食、適者生存を唱えたがる訳知り顔ばかりが幅を利かせる新自由主義イデオロギー全盛の状況とも、見事なまでに一致してしまっているではないか。

安倍政権が掲げる成長戦略の国策メニュー「インフラシステム輸出」を想起されたい。官民一体のオールジャパン体制で、海外のインフラストラクチュア(社会資本)をコンサルティングの段階から設計、施工、資材の供給、完成後の運営、メンテナンスに至るまで引き受ける国家戦略であるという。基本的には民主党政権が掲げていた「パッケージ型インフラ海外展開」の延長線上にあるのだが、新たに「資源権益の確保」と「在外邦人の安全」という2つの要素を絡ませたのが安倍政権らしい特徴だ。

その中核に位置付けられている原発輸出以外は、なぜかクローズアップされる機会が極端に少ない「インフラシステム輸出」の国策。より凄まじい少子高齢化が不可避の近未来に、それでもさらなる経済成長を図るには、桁外れの外需獲得に向けた総動員体制しかないとのシナリオは、しかし、相手国の政府はともかく、地域住民には経済侵略として受け止められる危険が付きまとう。とすれば必然的に武力によるバックアップが求められる道理だ。

なるほど第二次世界大戦の戦勝国諸国が戦後も深化させ続けてきた帝国主義的な国家のあり方を、現代の日本政財官界は志向しているというのが筆者の見立てである。詳しくは拙著『戦争のできる国へ 安倍政権の正体』(朝日新書)や、拙稿「原子力立国と新しい帝国主義」(『G2』2014年9月発売号、講談社)などを参照してみてほしい。

三谷氏の発言を、筆者は安保法制懇という存在を取材する過程で見つけた。実質的なトップとして報告書を取りまとめた北岡伸一氏(国際大学学長)の東大時代の指導教官で、けれども現在の彼とはまるで異なるスタンスを崩さない三谷氏による良心の叫びではないかというのが、アカデミズムの世界の定説だ。

ちなみに北岡氏は、東大教授だった2004年4月からの約2年半、外務省に出向して国際連合の日本政府代表部次席代表・特命全権大使を務めていた時期がある。彼が赴任の直前に行われた評論家・山崎正和氏との対談で発した言葉に、いかにも"勝者の戦争観"らしい発想が凝縮されていたので紹介したい。

アメリカの強さを考える視点をもう一つあげると、戦争の人件費です。もちろんウエルフェアシステムでもサポートされている。しかし、こういう言い方は不謹慎かもしれませんが、たとえばイラクで自衛隊員が亡くなったとすると、その弔慰金はほぼ1億円です。アメリカなら、ちょっと不正確かもしれませんが、100万円以下だと思う……。

日本やヨーロッパは皆豊かになったから、軍隊に相当な補償をしないと戦争に行かない。でもアメリカ人なら国家の危機を感じたときには戦争に行く。それはもちろん"正義"という裏付けが必要ですけれども。

そうしたことを合わせてみると、やはりアメリカは将来にわたっても、強大な国として残るのではないか。

「新国連大使と語る「日本の自立」/アメリカ一極支配と国連システムの接合をめざせ」『中央公論』2004年5月号

冷静な分析、というのとは違う。わが国もかくあるべきだとでも言いたげな文脈で、彼は語っていた。

この種のセリフを公然と吐くことのできる人物に安倍政権は集団的自衛権の行使の是非を諮問し、思惑通りの提言を手に入れて、そのための体制を固めようとしている。筆者は月刊『世界』2015年1月号に寄せた「"普通の国"を求める時代精神――安保法制懇座長代理・北岡伸一氏をめぐって」でも言及したのだが、総選挙を目前に控えた現在に至っても、大手のマスメディアは触れようともしないのが不思議だ。

「軽減税率」の罠

今のうちに書いておくべきことが、もうひとつ、ある。先に述べた〈権力やグローバル資本に近くない普通の人間にとって、よいことなどひとつもないとわかりきっている〉2015年の実態が、おそらくは真っ当には伝えられていかないのではないか、という不安、否、確信に近い疑念である。


Photo by Tatsuo YamashitaCC BY 2.0

自民・公明の連立与党は総選挙に臨んで、2017年度中の消費税再増税と、その際における軽減税率の導入を公約している。生活必需品や食料品についてはこれ以上の税率引き上げの対象としないというわけで、庶民感情には朗報と受け取られやすいと思われるが、事はそれほど簡単でない。軽減税率を適用するかしないかの客観的な線引きなど不可能であるからだ。

たとえば自動車は、大都市ではぜいたく品だが、地方では持っていないと暮らせない。だからと言って一国二制度はご法度である。

公衆電話がほとんど撤去されてしまった時代には、携帯電話が必需品中の必需品だ。肉や魚も衛生的に販売できるのはラップやトレーがあってこそ、とキリがない。そもそも消費税とは原則すべての商品、サービスのあらゆる流通段階に課せられる税金だ。ということは、必需品にしろ食料品にしろ、消費者の手に渡る以前の部品や素材、物流や保管における税率は? ――ヨーロッパの先例は参考にならない。日本の消費税がモデルとした彼らの付加価値税には、1世紀をはるかに超える歴史がある。幾多の戦禍や復興や発展や、今となっては合理的な説明などつきようのない、長い長い営みの積み重ねの上に現在があるのだ。ゼロから始めなければならない日本が大混乱を、有り体に言えば恣意的な、選別という名の利権漁りを免れられるはずがないではないか。

ありとあらゆる業界団体が、永田町や霞が関に実弾入りの風呂敷包みを抱えて日参する光景が目に浮かぶ。財務官僚は天下りのし放題。空前にして絶後の汚職天国の誕生と相成るのもまた、わかりきっている成れの果てだが、本稿で強調したいのは、この先にある問題だ。

ニンジンを鼻先にぶら下げられたマスコミが、本気で安倍政権を怒らせる報道姿勢を取ることはない

安倍首相が一般国民にとっての最悪の年を総選挙と消費税再増税の間に挟んだ、まず間違いなく最大の理由。かねて自民党税制調査会に軽減税率の適用を求めてきている新聞・雑誌業界各社が、2015年の安倍政治をどう報じることになるのかの成り行きだ。つまりはニンジンを鼻先にぶら下げられたマスコミが、本気で安倍政権を怒らせる報道姿勢を取ることはないのではないか、ということなのである。

陰謀史観でも何でもない。オネダリの相手には下手に出るしかないという、ごくごく当たり前の常識を、筆者は語っている。

消費税率を再び引き上げられ、これ以上の値上げを余儀なくされれば、ただでさえ売れなくなった新聞も雑誌も、ほぼ壊滅状態に陥る。日本国民の知的水準が地に堕ちるのも必定だ。筆者も活字の世界の末席を汚す者として、だから軽減税率を適用してもらいたい気持ちは、痛いほどわかる。

だが、そのような要請は、読者の側、社会全体から湧き上ってくる声でなければならない。他の業界ならいざ知らず、まがりなりにもジャーナリズムを標榜する集団が、権力に頭を下げてお願いしてよい性格の話であるはずがないではないか。

筆者がここ数年――ただし限られた媒体でだけだが――幾度も重ねてきた警告の繰り返しだ。ほぼ完全に黙殺されてきたものの、ここにきて、さすがに関係者の一部が重い口を開き始めた感がなくはない。

筆者も多少の証言は集めたが、現時点では審らかにできない。公にされた文章を2つだけ引いておく。一連の朝日新聞騒動に関する元毎日新聞社常務(販売担当)の論考が興味深い。

朝日はさる8月に、過去の従軍慰安婦報道のうち、故・吉田清治氏による韓国・済州島での慰安婦狩り証言などを取り消した。誤報の訂正自体は結構なことであるにせよ、その後に繰り出すべき2の矢、3の矢の用意もないままの、中途半端かつ無防備きわまりない謝罪で、読売や産経、文春、新潮といった"保守系"メディアの袋叩きに遭ったのは周知の通り。「非国民」だの「反日」だのの罵詈雑言を浴びせられまくるとわかりきっていて、では朝日はどうしてあのようなタイミングで――として河内氏は、日本新聞協会による軽減税率適用の要望と、秋山耿太郎前会長(朝日新聞社会長)が後任会長に読売新聞の白石興二郎社長を指名した6月の業界人事との絡みを書いている。

朝日―毎日―読売の順の持ち回りの慣例が破られたのは、「業界トップである読売新聞を先頭に一丸となって軽減税率導入を実現するため」とされる表向きの理由だけではない。「この人事には、もう一つの狙いが込められていた」とみる人が多いというのだ。

最大手である読売新聞が仮に消費増税時に増税分を価格に転嫁せず、事実上の値下げに踏み切ったら何が起きただろう。販売戦線に激震が走り、朝日新聞のみならず各紙も値下げに追随せざるを得なくなり"大消耗戦"が勃発しただろう。体力のない社は経営破綻に追い込まれたかも知れない。これを防ぐには、慣例を破ってでも読売新聞社長を業界のまとめ役である協会長に祭り上げる他はない、という深謀遠慮からだというのだ。結果的に業界は足並みを揃え、増税分の価格転嫁に踏み切り(地方紙に例外はある)大混乱は避けられた。

こうしたいきさつから、業界内には、こんな声が内在していた。

「従軍慰安婦問題、原発問題、集団的自衛権で朝日新聞のスタンスは安倍政権とは、全く相いれない。(中略)なんらかの"けじめ"をつけてもらわないことには政府・自民党に陳情にも行けない」

自民党税調メンバーの一人も言う。

「国益を大きく損ねた朝日新聞がどのツラ下げて軽減税率ですか、と問わざるを得ない」

河内孝これは朝日にとっての『西山事件』である」『新潮45』2014年10月号>

2つ目はやはり毎日新聞の、こちらは元社会部記者の手になる架空のストーリーだ。2014年12月10日の特定秘密保護法施行を目前に、この法律の下で日本社会はどう変わるのかをシミュレートしたという。防衛相が反政府的と見なした人間の「ブラック国民リスト」を作成しているという関係者の証言を得て、取材を進めていた社会部記者を、直属の上司のそのまた上の、本山という編集局長が呼びつけたシーン。

「実は、警視庁が任意で君から話を聞きたいと言ってきている。容疑は、特定秘密保護法違反だというんだ。秘密を持っている人に対して、情報の提供を働きかけるだけでも立件できるというんだよ。しかし、記者に事情聴取なんてことをしたら言論弾圧だと批判されて、困るのはむしろ警察じゃないか。そう言って今は撥ね付けているところだ。でもね」

本山は、ひと呼吸置いて続けた。

「金融緩和で、株式市場が活況を呈していると言っても新聞業界は不況だ。我々もいまは、消費増税でいろいろお願いしないといけないこともある。僕の立場からは取材するな、とは言わない。君も中堅だ。分かるね」

臺宏士私、捕まるんですか?」㊥ 『週刊金曜日』2014年11月28日号>

なお、マスコミが多用する「消費増税」という表記は、消費税という税制の本質を誤解させる効果を帯びている。これだと消費税とは最終消費者だけが商品やサービスを購入する際、すなわち小売りの現場で負担する税金が増税されるという意味にしか受け取れないが、現実には先にも触れた通り、この税制は原則すべての商品、サービスのあらゆる流通段階に課せられる税金で、かつ消費税法に納税義務者の定めはあっても(年商1千万円以上の事業者)、実際に税金分を負担する担税者の定めが存在しない。要するに個々の取引における売り手と買い手のどちらが負担しても、あるいはどちらに負担させてもよい仕組みなのであって、常に弱い立場の側がより多くの負担を強いられるしかない税制なのである。

その税率の引き上げを形容するならば、だから「消費税増税」と言う他はない。すべてを承知した上で批判を躊躇っていない河内氏までが「消費増税」を使っているということは、マスコミの用法が必ずしも読者の印象操作を図ったものだとは限らない証左ではあるけれど――。

もっと言えば、「消費税」というネーミングからしてイカサマなのだ。最も適切な名称は「取引税」だと思われる。それが無理なら、やはり相当にいかがわしくはあるものの、せめてヨーロッパに倣って「付加価値税」か。これも詳細は『消費税のカラクリ』(講談社現代新書)、『ちゃんとわかる消費税』(河出書房新社)などの拙著をお薦めしたい。類書が皆無に近い現状では、恥ずかしい自己宣伝もやむなしと信じる。

1990年代の後半あたり、業界紙の記者が振り出しだったジャーナリスト生活の15年目前後から肌で感じるようになっていたファシズムの兆しが、いよいよ実像となって正体を現しつつあるような気がしている。書けば書くほど居場所が失われていく恐怖の中で、今、この時点での思いの丈を綴ることができ、これはこれで嬉しい。

読者には長文に付き合っていただいて感謝する。

著者プロフィール

斎藤貴男
さいとう・たかお

ジャーナリスト

1958年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒、英国バーミンガム大学大学院修了(国際学MA)。新聞、週刊誌記者などを経て独立。主な著書に『カルト資本主義』『梶原一騎伝』『機会不平等』『ルポ改憲潮流』『消費税のカラクリ』『民意のつくられかた』『「東京電力」研究 排除の系譜』『戦争のできる国へ 安倍政権の正体』『民主主義はいかにして劣化するか』などがある。

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