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少子高齢化と同性婚の切っても切り離せない関係

  • 合田文 (メディア「Palette」編集長)
  • 2019年7月20日

6月の半ばくらいからだろうか。SNS上では、せまる参院選にむけて「選挙へ行こう」という呼びかけを、さまざまな形で見かけるようになった。テレビを見なくなったスマホ世代がタイムラインで受動的に情報を得るこの時代、ストレートに「行こう」と伝えるよりも、誰かにシェアしたくなるような「バズる投稿」を通じて、若者が政治に疎い同世代の投票率を何とか引き上げようとする。そんなパワーを感じる。

私が編集長をつとめる"多様性×漫画メディア”「Palette」も、バズを狙っている。政治メディアではないのだが、今月はテーマを「#わたしの選ぶ未来」として、参院選に関する発信をしてきた。中心となるのは、同性婚や選択的夫婦別姓についてである。というのも「Palette」は、ジェンダーやセクシュアリティについての「こうあるべき」を、いかに超えていくか、追求するメディアだからだ。

さまざまな生き方を肯定することが、結局はマジョリティにとってもマイノリティにとっても生きやすい社会だと考えている

たとえば「男性として生まれたから、強くたくましく生き、収入を沢山得て、女性と結婚するべき」、「女性として生まれたから、奥ゆかしく振る舞って男性に愛され、結婚したら名字を変えるべき」などという無意識のすりこみを減らして、性のあり方にかかわらずさまざまな生き方を肯定することが、結局はマジョリティにとってもマイノリティにとっても生きやすい社会だと考えている。

「そうはいっても、同性婚を認めることで、更に少子化が進んでしまうのではないか」と考えている人は少なくないかもしれない。実際に「Palette」を運営していてそういったコメントをいただいたこともあるのだが、今回は逆に「同性婚を認めないことによる、少子化への影響」にスポットを当ててみたい。

「3人は産んでほしい」と言う前に

著しい少子高齢社会の日本にも、ありがたいことに毎日、新しい命が産まれてくる。本人の意思にかかわらず「子宮を持っている人(これはもちろん性自認が女性とは限らない)」に対して「3人は産んでほしい」などという言葉を投げかける前に、まずはこの、産まれてきてくれた命を守れる社会をつくらないといけないと私は考えている。

穴の空いたコップの中にいくら水を注ぎ足しても流れ出てしまうように、誰かを取りこぼしてしまう社会に子どもが増えていっても生きにくい人は減らない

この大切な命のなかには一定数LGBTがいて、障がいを持つ子がいて、日本以外にルーツを持つ子がいる。そんな子どもたちが「みんなと違う」というだけで差別されたり、いじめにあったりすることを許さない社会にしていかないことには、新しい命について考える前に、今ある大切な命がすり減って、最悪の場合失われてしまう。実際にLGBTで自殺を考えたことのある人の比率は、非LGBTに比べてもちろん多い。穴の空いたコップの中にいくら水を注ぎ足しても流れ出てしまうように、誰かを取りこぼしてしまう社会に子どもが増えていっても生きにくい人は減らないのだ。

同性婚の実現は、同性カップルだけを救うのではない

例えば街を歩いていても、同性同士で手を繋いでいるカップルは少ない。少ないどころか基本的には、いない。いや、いないわけではない。多くの人にとって同性愛者は「見えないもの」であり「想定されないもの」なのだ。「想定されないもの」として生きる先に何があるのかという疑問は、ロールモデルの少ない今の日本では不安の種になりやすい。

同性婚の実現は、ロールモデルを生み出す。ロールモデルが増えれば、現在結婚できなくて困っている同性カップルだけでなく、性のあり方に悩む子どもたちをも救済し、ひいてはこれを事例として「『自分はみんなと違うかもしれない』と考える人々が軽視されない社会」になっていくのではないだろうか。少数であるか多数であるかに関係なく、平等な権利がない人や不当な扱いを受けている人を置いてけぼりにしない社会に生きているという実感は、心理的安全性に繋がる。

同性婚で「普通」の幅を広げていく

今の日本において、子どもを育てやすい家庭の条件は、極めて限定的だ

今の日本において、子どもを育てやすい家庭の条件は、極めて限定的だ。まず婚姻関係にある日本人同士の異性愛者の男女であること。そしてその両者の血縁である子どもを自然妊娠で授かること。産まれた後は保育園があって、貯蓄があって、両親そろって育てられること。それだけが「普通」とされ、子どもを育てるには「普通」であることが求められる。「普通」からはみ出した場合、世間体というものがつきまとう。「子どもがかわいそうだ」と言われることもある。だから子どもを持たない、持てない、という人も多いだろう。

私たちは、安心してすこやかに育つ子どもを、社会全体で増やしていかないといけない。今、この「普通」の幅を広げ、子どもを育てやすい家庭が多様化していくことで増える命もあるのではないだろうか。

例えば同性婚をしたふたりが子どもを育てることができ、それが「普通」になってくれば、子どもが育つことができる家庭が増える。血縁のない子どもを持つことが「普通」になってくれば、産みの親と暮らせない事情のある子どもたちが新しい家族と暮らせる可能性が増える。シングルで生きる人が子どもを育てることが「普通」になってくれば……というように、子どもを育てやすい家庭の条件を広げることは、長期的には産む人、育てる人を増やすことができる。

同性婚を認めることによって増えるのは同性愛者ではなく、子どもを育てられる家庭である。そして、「マイノリティでも軽視されない社会に生きている」という安心感である。個を大切にするこの時代、必要なのは「今ある普通」に人を当てはめるよりも、「普通」の幅を広げていくことなのではないか。

今回の参院選において、少子高齢化を重要な問題と捉える人ほど、同性婚は無視できないトピックスのはずだ。

著者プロフィール

合田文
ごうだ・あや

メディア「Palette」編集長

平成4年生まれ。サービス立ち上げやイベント主催者、マーケター、アプリプロデューサーとしての経歴を持つ。現在は、株式会社アラン・プロダクツにて自身が編集長を務めるメディア「Palette(パレット)」を立ち上げ、『「こうあるべき」を、超えていく』をテーマに性の多様性やフェミニズムに関しての発信や登壇を行う。

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