ポリタス

  • 論点
  • Photo by Anathea Utley (CC BY 2.0)

女性議員に壊して欲しい壁

  • 堀あきこ (大学非常勤講師)
  • 2019年7月20日

候補者男女均等法

今回の参院選は、「政治分野における男女共同参画推進法」(通称「候補者男女均等法」)が成立して初めての国政選挙となる。候補者数をできる限り男女均等にするよう求める法律として全会一致で成立(2018年5月)したのは、努力義務とはいえ、画期的なことだ。

日本はジェンダーギャップ指数110位(2018年)、G7最下位という現状にあり、低さの原因は経済と政治だ。政治分野(144カ国中125位)の評価には、過去50年間の首相の男女比(スコア0)、閣僚の男女比(89位)、そして国会議員の男女比(130位)がある。「130位」が示すよう、女性議員を増やすことは、喫緊の課題なのだ。

しかし、調査によると、各党の女性候補者割合は以下のとおりとなっており、与党の低さが目立つ(自民党14.8%、公明党8.3%)。

法律ができたというのに、自民党と公明党の、この女性候補者割合の低さはどうしたことだろう。本当に「女性活躍」を目指し、ジェンダーギャップを解消するつもりがあるのだろうか。

202030

しかし、ここで考えたいのが、女性議員の比率増大は、いま始まった課題ではないという点だ。2003年、小泉政権時の内閣府・男女共同参画推進本部は「社会のあらゆる分野において、2020年までに指導的地位に占める女性の割合を少なくとも30%程度とする目標」(202030)を掲げた。

30%というのは、1990年の国連で採択されたナイロビ将来戦略勧告にある国際的な目標値で、「クリティカル・マス」という考え方に由来している。男性主導の組織において、女性の割合が30%に満たないときは、組織に変化を与えることができず影響力が弱いのだが、30%を超えると実質的な影響を及ぼすと考えられている。

202030は男女共同参画基本計画にも明記されてきたのだが、なかなか達成されず、2010年の第三次男女共同参画基本計画には「積極的改善措置」(ポジティブ・アクション)の推進も課題として入った。

2020年が射程に入った今回の選挙で、女性候補者が30%を満たしていない与党は、自ら推進してきた政策との矛盾をどう捉えているのだろう。第四次男女共同参画基本計画(2015年)でも202030は明記されているのだが、そこにはこのような注意書きが付されている(P13)。

「政府として達成を目指す努力目標であり、政党の自律的行動を制約するものではなく、また、各政党が自ら達成を目指す目標ではない」

長く掲げられてきたものを「政党が自ら達成を目指す目標ではない」と示すことに、無責任さを感じるのは私だけだろうか。90年代から目指されながらも、現在も達成が先延ばしにされており、結局、女性議員の比率増大という課題は「後回し」にされ続けている、といってよいだろう。

女性議員が増えない「日本の事情」?

政治の世界から日本の女性は追いやられている、といえば、「日本には日本の事情がある」という反発を受けそうだ。「日本には日本の事情がある」という言葉は、国際的な動向や、海外から日本を見る目を紹介する時に言われることが多い。

政治の世界から日本の女性は追いやられている

女性議員が少ない原因を、女性議員が体験談としてあげているもので見逃せないのが、子育てや介護との両立が難しい、家族の理解が得られにくいといった「家庭」や「家族」に関する問題と、有権者による女性議員へのセクハラや、同じ議員間でのセクハラ・パワハラの存在だ。

「田舎は男性社会なので、数少ない女性議員はどこも大変です。セクハラやイジリ発言は後を絶たず、特に高齢男性議員は抗議しても改善されない。女性議員は無料のコンパニオンではない」(70代・女性議員)

「選挙で当選しても、地方議会の古参議員のパワハラ的言動、議会事務局の機能不全、見えざるセクハラ、議員の職業の多忙、女性議員はこのままでは政党の保護なくして生まれないし、いなくなります」(40代・女性議員)

家と仕事の両立、職場でのセクハラやパワハラという女性議員の困難は、多くの女性が直面している困難だ。これが「日本の事情」なら、一日でも早く解決すべき「事情」だ。そして、解決には、実際に困難を経験している女性議員が増え、自らの経験を政策や法律に反映することが必要だろう。

女性なら誰でもいいのか?

しかし、女性議員比率という数を論じることで同時に生じるのが、「女性なら誰でもいいのか」という問題だ。女性といっても一枚岩ではなく、経験も、考え方も、理想とする社会のあり方も違っている。

女性議員のなかには、「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想です」といい、LGBTカップルは「子供を作らない、つまり「生産性」がない」という人もいる。男性議員の失言は出産や家族、セクハラをめぐるものが多いが、これらと一緒になって、子供を産むことだけで女性の価値を決めたり、性的マイノリティに関する政策を議員の「人気とり政策」と切り捨ててしまう女性議員もいるのだ。

すべて国民は、個人として尊重される」という憲法を持ち、男女を「社会の対等な構成員」とする男女共同参画社会基本法があるのに、国会議員が男女平等の実現を妄想だと断言することには疑問しかない。私は、このような女性議員より、人を「生産性」という言葉で分別することの差別性を指摘できる男性議員を支持する。

女性なら誰でもいいわけではない。けれど、「日本の事情」を、女性が生きていくのに高い壁が張り巡らされている困難な現状を、理解し、政治に反映してくれる女性議員が増えてほしいというのも正直な思いだ。

壁の存在

「女性の問題を理解できる男性議員ならいいのでは?」と考える人もいるだろう。私も先にあげた女性議員より、差別に敏感な男性議員に期待する。それでも、女性議員に増えてほしいという気持ちは強い。なぜなら、この社会はくっきりと男女という性別で分けられていて、男らしさ女らしさという性役割にいまだ振り回されているからだ。

たとえば、生理ナプキンのCM "Rewrite the Rules" (ルールを書き換える)は、私たちが身につけてしまったジェンダーロールから自由になるのは、男女を問わず難しいことだと振り返らせてくれる。

CMにあるとおり、「女の子らしく」like a girl という言葉は、女の子に対する男の子の視線に影響を与えているだけでなく、実際に女の子の行動をコントロールしている。

難しいのは、性役割から自由になることだけではない。私たちが生きているのは、女性という属性だけで試験で減点されたり、足が痛むパンプスを強制されたり、性暴力被害を訴えてもハニー・トラップだと言われたり、同意のない性行為がレイプだと認められない社会だ。

目に見えない壁に何重にも阻まれ、自分の存在などたいしたものではないというメッセージが四六時中、発せられている社会なのだ

また、多様な女性への攻撃も起こっている。生まれた時に割り振られた性別と別の性別を生きる、生きたいと願うトランスジェンダーの人びとのうち、トランス女性に対する差別がネットを中心に起こっていたり、在日女性へのヘイトスピーチが、レイシズムと女性差別の複合差別だと裁判で認められる判決もあった。目に見えない壁に何重にも阻まれ、自分の存在などたいしたものではないというメッセージが四六時中、発せられている社会なのだ。

女性として生きているだけで、そんなメッセージが重くのしかかる。泣き出してしまいそうで、暴れて大声で怒鳴りたいようになる。そんな気持ちを、同じ壁に阻まれている女性議員も感じているのではないか。社会の不公正に怒りを持って向き合ってくれるのではないか。個人的な経験が実は政治的社会的問題であることを見抜き、社会を変えようとしてくれるのではないか。私が女性議員の増大を望むのは、そうした期待を持っているからだ。

椅子取りゲームから降りる

女性の前にそびえ立つ壁の存在。それこそが女性議員の比率が上がらない理由であり、だからこそ、そんな壁を壊してくれる役割を女性議員に期待している。

壁に阻まれている女性だからこそ、政策や政治活動に取り入れてほしいことがある

それと同時に、壁に阻まれている女性だからこそ、政策や政治活動に取り入れてほしいことがある。2019年の現在、強固な男女二元制や性役割によって苦しんでいる人が、たくさんいる。たとえば、さきほど書いたトランスジェンダーには、選挙への投票にすら壁を感じ、恐怖を感じている人が少なくない。

戸籍は女性だが、男性として生活しているトランスジェンダーの方が、投票所での性別の確認や入場券への性別の表記をやめるよう、地元の選挙管理委員会に要請された。性別確認で、「外見が女性に見えない」と、なりすましを疑われたといい、「投票所で周りの視線を感じると、その場からいなくなりたい気持ちになります」と語っておられる。

今回の選挙では、これまでになく、「同性婚」や「選択的夫婦別姓」などのジェンダーやセクシュアリティに関わる問題が争点となっている。いくら古い考えで押さえつけようとしても、性や家族の多様性は、社会の変化の波となっていくだろう

変化の波は、旧来的な性役割や家族制度、夫が稼ぎ主となって妻が家事育児をになう、といったシステムと齟齬を起こすはずだ。男性中心的な社会制度を変化させる時、どのような社会のあり方を思い描くのか。

女性は数のうえでは男性とかわりないが、マイノリティとして壁に阻まれてきた。その経験を「女性」の問題だけに活かすのではなく、さまざまな困難を抱えてさせられている人の壁を取るためにも使ってほしい。椅子取りゲームをして、誰が立派な椅子を得るかを争うのではなく、ゲームから降り、いろんな人にあう椅子を用意するべきなのだ。椅子取りゲームに参加できない人、参加することを先延ばしにされている人のことを考える人、優先順位を低くされてきた経験を、「女性」というカテゴリー以外にも役立てられる人を、議員に選びたい。

著者プロフィール

堀あきこ
ほり・あきこ

大学非常勤講師

大阪大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了。専門はジェンダー、セクシュアリティ、視覚文化。主な著作に『欲望のコード』(臨川書店, 2009年)、「『彼らが本気で編むときは、』におけるトランス女性の身体表象と<母性>」(『人権問題研究』16号, 2019)、「誰をいかなる理由で排除しようとしているのか?―SNSにおけるトランス女性差別現象から」(『福音と世界』2019年6月号)、「分断された性差別―『フェミニスト』によるトランス排除」(『女たちの21世紀』98号, 2019)「メディア表現とネット炎上―異議申し立てと対立」(『ジェンダーと法』16号, 近日公刊)など。

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