ポリタス

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賭けられているのは、「政治」そのもの

  • 岡野八代 (同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授)
  • 2019年7月20日

争われているのは、「政治」

第二次安倍政権になってからの選挙をふりかえると、そして、今回の参院選を見渡しても、とりわけ争われているのは「政治」そのものだと思う。第二次安倍政権が誕生した2012年12月の衆院選では民主党が大敗した一方で、返り咲いた自民党は得票数を伸ばすどころか、実際は減らしている。有権者の多くが期待していた政権交代に対する失望が大きく、投票率が激減したおかげで、自民圧勝、そして維新の会が躍進した。70%近い投票率で民主党をいったん選んだ人々の多くの、政治そのものへの失望が安倍政権を支え、その下での政権運営のなかで、「政治」が輪郭を失い始めた。後にもう少し詳しく説明するが、わたしは、安倍政権が進めてきた、改憲(憲法破壊)政治によって、「政治」が溶解し始めた、それにどう応えるか。今回の参院選で争われているのは、まさに「政治」そのものだと考えている。

新たな〈政治〉の台頭

根本的なルール変更は、そのルール変更によって益を受ける当事者自身で行なわれるべきではない

政治に対する失望が安倍政権を生み、そして維持してきたわけが、他方で、細川内閣(1993-94)以来の野党転落の屈辱──安倍晋三は、細川内閣を誕生させた第40回衆議院選で国会議員となり、野党議員としてスタートを切っている──を味わい、第一次安倍内閣時の政権投げ出しに対する批判に学ぶ安倍晋三が、2012年の自民党総裁選で掲げたのが、96条先行改憲という、「裏口入学」だった(by 小林節)。そもそも憲法改正の手続き規定から手を加えようとしたことに象徴されるように、安倍政権の特徴は、本来であれば原理原則に従って競われるべき「政治」を、支配者の命に従うことこそが〈政治〉であるかのような、恣意的なひとの支配にとって代えようとしている点である。結党以来総裁の任期は、再選まで6年としていたのを、3期9年へと変更させたのも、安倍晋三である。本来こうした根本的なルール変更は、そのルール変更によって益を受ける当事者自身で行われるべきではない。

国会でなにが起こってきたのか?

なにが秘密であるのかが秘密という、不条理小説のような特定秘密保護法強行採決。憲法改正のハードルが高い、リスクが高すぎると感じると、これまでの内閣法制局や歴代政府の解釈をまったく無視し、2014年7月に集団的自衛権は行使できるという閣議決定を行う。もう少し思い起こせば、国会審議に先立ち、日米ガイドライン改定の法案を可決すると米国議会で約束する。そして、2015年9月に、安保関連法を暴力的に強行採決した。

政治に無関心な有権者を、そのままいかに静かに寝かせておくか

その後、前回2016年参院選挙も野党共闘をなんとかしのぐと、公有地をお友達価格で私物のように売りさばこうが、国会でをつこうが、官僚を恫喝して嘘の答弁をさせようが、資料を隠蔽しようが、データを改ざんしようが、報告書をにぎり潰そうが、官僚がセクハラをして大臣がそれをさらに下品な言葉で擁護しようが、極めつけは、国会審議を拒否しようが──結局、与党は野党の求めに応じず、予算委員会は予算成立後一度も開催されず──、もはや、自民党の固定客、有権者の2割は不動であることに強い自信をつけたのであろう。自民党にとっての選挙、それは、いかに投票率を抑えるか、争点を隠すか──なので、実際に自民党支持者のあいだでは、さほど関心のない憲法問題さえ唱えておけばよいと考えているようにもみえる──、政治に無関心な有権者を、そのままいかに静かに寝かせておくか。

「政治」が謙虚でなければならない理由

しかし「政治」とは、そもそも、その政治的共同体に住む者すべて──その法・制度に反対するものであれ、例外的な場合を除いては外国人であれ──に、その影響が及ぶものである。だからこそ、まず踏み外してはならない原則――個人の尊厳と自由の尊重、法の下の平等──を土台として、その土俵のうえで、いずれの法案・政策が、より公共の福祉に資するのかを論じるもののはずだ。もちろん、異論のない議題はない。だからこそ、反対する者たちの生を脅かすかもしれないほどの決定力をもつ「政治」は、その権力に対して謙虚に、少数者の声を尊重しつつ、修正に開かれた運営をつねに強いる。

しかし、安倍〈政治〉は、そのような手続き的な公正さ以前に、土台そのものを無視して行われる決定を、〈政治〉としたいようなのだ。世論調査で明らかなように、今夏の参院選、とりわけ与党支持者のなかで憲法改正が争点だと考えている有権者は少ない。憲法改正に反対している者にとっては大問題だが、そうでない者にとっては、経済や社会保障のほうに関心が高いのは当然といえばそうだろう。しかし、今回与党が勝利すれば、民意を得たとばかりに、憲法改正にさらに拍車をかけるはずだ。日本の〈政治〉は、投票率が劇的に上がるようなことさえしなければ──いや、そうした事態なのだと有権者に認識させない限り──政権が維持できる、そこを最低基準に動いているようにみえるのは、わたしだけだろうか。

ハシゴが外されるとき

少数者による少数者のための少数者の利益を追求する〈政治〉へと突き進むか否か

繰り返す。本来国会での「政治」とは、選挙権をもたない者、なんらかの理由で行使できなかった者をも視野にいれ、有権者に選ばれた代表が、最高機関である国会にて、民意を読み取りつつその主張を闘わせ、熟議を尽くすという営みだ。今回の選挙は、この輪郭──箍といってよいかもしれない──が完全に外され、少数者が、都合の良い情報だけを市民に知らせ、少数者による少数者のための少数者の利益を追求する〈政治〉へと突き進むか否かの分かれ目となるであろう。

場外乱闘をいつまで続けさせるのだろう

最後に、野党がバラバラ、野党がだらしないという見解について触れておきたい。わたしは、現在の政治をみながら、リング上(国会)でルールを守り、その主張を闘わせようとする野党と、場外乱闘で観客を喜ばせる与党、そんな光景を想像してしまう。立憲野党は、「政治」を求めているのに対して──だから、憲法をめぐって互いに異論があっても、憲法の精神と手続きにしたがって議論すればよい──、与党は、天皇の代替わり、トランプ大統領とのゴルフ、芸能人との懇談、G20の華やかさを利用したり、他国への敵意を煽ったりして、観客の目をリング外へと誘導する。野党は、にぎわう場外の向こう側にあるリングに取り残され、メディアとメディアに煽られた市民には、いったい何を議論しているのかさえ、聞こえてこない。それがいまの、日本の政党政治の現状ではないだろうか。

政治がいま、問われている。わたしたちは、観客席から降り出て、レフリーとして、本来の「政治」の姿を、厳しく求めていかなければならない。

著者プロフィール

岡野八代
おかの・やよ

同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授

専門は、西洋政治思想史、フェミニズム理論。認定NPO法人ウィメンズ・アクション・ネットワーク理事、安全保障関連法に反対する学者の会 呼びかけ人。主著『フェミニズムの政治学』(みすず書房、2012年)、『戦争に抗する』(岩波書店、2015年)、「「平和の少女像」とは誰か--バトラーにおける倫理との対話のなかで」『現代思想』Vol.47, no.3 (2019年3月)など。

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