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美容院で選挙について教えられたこと

  • 梶井彩子 (ライター)
  • 2019年7月16日

美容師は期日前投票に行く

以前、私のヘアカットを担当してくれていた美容師は、「中身は必ずしもギャルじゃないんだけれど、自分にはギャルファッションが最も似合うのでギャルに寄せている」という20代前半の女性だった。

「いかにもギャルだろ、って感じで来られるとムカつくんですよー」という彼女の愛読していた漫画は『はいからさんが通る』で、なんとも不思議な世界観の持ち主だった。腕は確かで、私のような客とのなんてことない会話にも、鏡越しに表情豊かなリアクションをしてくれて、美容院というものがそもそも苦手な私も、「ようやく美容院難民を脱出できた。永住できる店と担当美容師が見つかってよかった」と思ったほどだった。

数年前、いつもの世間話の延長から選挙の話になった。

「私たちって、日曜が休みってことがないので、毎回期日前投票なんですよね。今回ももう行ってきました」

そう言われて、そうか、期日前投票って職業柄そうせざるを得ない人もいるんだなと初めて気づかされた。

「毎回、期日前で投票してるの? えらいね」

「やー、やっぱ、そこはきちんとしたいんで」

「でもさ、選挙って言われても、誰に入れていいか考えるだけで大変だよね。考えが全部一致する人なんていないし、政治的な実力はもちろん、人柄なんて握手したくらいじゃ分からないしさ」

事実、これは私の本心だった。私は明確に「右寄り」の政治思想を持っていて、投票先選びに憲法改正派かどうかは外せないけれど、仮に自民党の候補だからといって改憲に積極的とは限らない。その他主要な論点を3つくらいに絞っても、すべて合致する候補者などいない。珍しくいくつか揃う候補がいても、所属政党がアレで実現性がないとか、「何となくこいつは信用ならない」とか。「投票しない理由」ばかりが浮上してくる。

結局消去法で、投票日当日、投票用紙と鉛筆を前にした時に投票先を決めることになる。

私の言葉に、彼女はこう言った。

「私、政治とかよくわからないし、考えてもしょうがないっていうか。でも立候補した人も、投票している人たちも、私よりは絶対考えているじゃないですか、政治のこと。だから私は安心して、何となく今回はこの人、って感じで決めてます」

息をのんだ。候補者を含む、世の中の人々に対する絶対的な信頼感。「へえ、いいね、それ」と私はその時言えたのだったか。覚えていない。「あ、もちろん、それなりには考えて投票してますよ」と彼女がはにかんで言ったのは確かなのだが。

なぜ彼女はこんなにも他者を信じられるのか

なぜこんなにも、彼女は他者を信じられるのだろうと考えて、一つの仮説にたどり着いた。彼女は、自分自身を信じているから、他人をも信じられるのではないかと。

私には美容師になった高校時代からの友人がいるが、私を含む多くの生徒が「まあ大学に行くか」くらいしか将来を考えていなかった時点で、すでに明確に美容師になると決めていた。そして夢を実現させ、今も美容師として働いている。

おそらく、私の担当美容師の彼女も同じように、高校生の頃に自分の適性を見極め、美容師専門学校に通い、学び、技術と知識を磨いた。そして美容師として働いて数年目、私を含む複数のお客さんとコミュニケーションを交わしながら、客の髪質、頭の形、性格、年齢、職業柄、生活スタイルまでを把握し、その情報を背景に、客本人の意向を聞き、自分の技術と昨今の髪型の流行傾向をも踏まえながら、「その客に今、最もふさわしいヘアスタイル」を提供する。

この美容院はいわゆる「カリスマ美容師」がいるような店ではない。おしゃれすぎず、張り切りすぎていない店。そこでただただ髪を切ってくれるだけといえばそうなのだが。


Photo by (vincent desjardins) (CC BY 2.0)

私は後頭部が絶壁なので、彼女はいつも「後頭部、気持ちふんわりさせときました」と言っていた。「梶井さん、スタイリング苦手なので、乾かせばOKなスタイルにしときますね」とも。

彼女はプロなのだ。

話の向かう先々で、髪について、シャンプーについて、美容業界について、答えようがないんじゃないかと思うような私の疑問や、逆にもう何百回も聞かれているだろうと思うような質問にも、いつも小気味よく即答してくれた。

「さすがですね」というと、彼女はいつも晴れ晴れとした顔でこう答えた。

「美容師ですから!」

きっとそうなのだ。彼女自身がプロだから、プロであろうとしているからこそ、ほかの業界でも、確かな技術と経験と「お客様のために」という気持ちを持つ者だけが、客の前に立てるのであり、そうでない者は客の前に立つ資格がなく、そもそもそうでない者がどうして客の前に立とうと思えるのか、そんなことはあり得ないだろう、と思っていたのではないか。


Photo by Mainstream (CC BY 2.0)

政治に置き換えれば候補者は当然のこと、政治を語る大人たちだって、当然のことながらそれなりに勉強して物申しているに違いない。よもや勉強も何もしていないことを、人様の前で開陳できるわけがない。もちろん考えが多様なのは当然だが、候補者は真剣に考えて有権者と向き合っているはずだ、と。「これから勉強します」という新人候補の発言も、「生涯、精進あるのみです」という謙遜でしょ、私もそうだもん、と。

そして「政治がよくわからない自分でも、不十分だけれど考えて、欠かさず投票に行っているのだから、政治を考えている候補者と、結構考えている有権者の投票が全体として大きく間違えるはずがない」と。

こうして書いていても打ちのめされるような気がする。

真剣に生きなければならない

もちろん、みんながみんな「何となく」で投票すれば、大きく間違えることも起こりうる。だが、そんな疑いは彼女にはないのだ。彼女自身が自分の仕事に矜持を持っているから。自分の持ち場で、それぞれが誠実に、精いっぱい実力を発揮していると信じているから。

真剣に生きなければならない。候補者も、有権者も。

こうして「人様の前にご意見を開陳する」機会をいただいた私はなおのことだ。彼女に恥じないよう、知識も経験も積まねばなるまい。

幸か不幸か政治に興味を持ち、何らかの意見を発するに至った以上は、読者を裏切ってはならない。彼女は冗談半分で「髪は切っても伸びますから」と言っていたが、言葉を発したら取り返しはつかない。影響を受ける人は必ずいるのだ。


Photo by Cynthia Vandeweyer (CC BY 2.0)

右と左、改憲派と護憲派といったような──論争の在り方そのものに問題があるのかもしれない

何より、有権者であれ候補者であれ、よほどのおかしなものでもない限り、たとえ意見が違っても、つまるところ日本という国と社会のためを思って、考えて考えて考え抜いたもののはずだ。なのになぜかうまくいかないのは、これまでの──例えば右と左、改憲派と護憲派といったような──論争の在り方そのものに問題があるのかもしれない、と私は思い始めており、自分なりにだが試行錯誤し始めている。

対立する意見をディスって喜んでいる場合ではない。

よい議論をするにはまず、自分自身を信じられなければどうにもならない。

最後は自分で決めるしかない

今回だって、私にはこれと思える選択肢はない。私のツイッターのタイムラインでは、「安倍を信じて裏切られた保守」の一部が「れいわ新選組」支持に流れている。彼らの失望たるや、他人ごとではない。

改憲や安全保障関係で選べば自民党なのだろうが、「9条加憲」には賛成しかねる。外国人労働者政策にも納得していない。増税にも賛成できない。確かにひどい総理だったが、国民に選ばれた総理を「ルーピー」と呼んではばからない候補者に投票したくはない。苦し紛れにYahoo!の「政党との相性診断」をした結果、驚くなかれ最も相性のいい政党が「立憲民主党」になってしまった(「嘘だろ」と声が出た)。政策一致率はたしか30%で、並んで「日本維新の会」。どちらもこれまで一度も投票したことがないどころか、共産党と一緒に真っ先に選択肢から外していた党だ。


Photo by David Goehring (CC BY 2.0)

最後は自分で決めるしかない。

彼女の勤めていた(つまり私が通っていた)美容院は、しばらく前に店を畳んだ。彼女に会うことももうおそらくないだろう。彼女は今回も期日前投票を済ませているはずだ。投票先を決めあぐねている私よりも先に。「何となくこの人で」といいながら、きっと彼女なりに真剣に考えた候補者に一票を投じていることだろう。

著者プロフィール

梶井彩子
かじい・あやこ

ライター

1980年生まれ。大学卒業後、いくつかの職種を経てライター。保守系雑誌や言論サイト「アゴラ」などに寄稿。右派の立場から、日本の「右と左」について考えている。noteにて、親安倍・反安倍双方の筆者による安倍政権関連書籍を読んで解説するシリーズ「『あべ本』レビュー」を連載中。

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