ポリタスを見ている人は選挙に行こうと考えている人でしょう。政見放送の全文書き起こし、便利ですよね。実に読み応えがあります。いろんな人が政治を志すものだなと、あらためて非常に興味深いです。
日本の議会が男女同数になっても、女性議員が"女子アナ"的役割をやらされ続けるなら意味がない
ところで、男女がペアで登場する政見放送が多いですが、ほとんどがなぜか女性議員がアナウンサーのような聞き役になっています。"女子アナ"に話を振ってもらわないと気持ちよく喋れないおじさんキャスターみたいな図。おそらくどの政党も悪気なくその構図にしたのだと思うのですが、失礼ながら「演説ひとつも一人じゃできないのか?」と思ってしまいます。性差別って、多くの場合は故意ではないんです。ほぼ無意識の習慣なんですよね。だからこそ根深い。たとえいつか日本の議会が男女同数になっても、女性議員が“女子アナ”的役割をやらされ続けるなら意味がないでしょう。
昨年5月に政治分野における男女共同参画推進法(候補者男女均等法)が成立して、候補者は男女同数にしなくてはならなくなりました。でも実際は今回の参院選の女性候補者は、過去最高とはいえまだ3割以下(WAN調べ)。はなから女性を立てる気がない政党もありますが、やる気がある政党でもそもそも候補者を探すのに一苦労だと聞きます。この人はと思うような優秀な女性がいても、たいていの場合、政治家は……と敬遠される。権威主義でバッジ欲しさに手をあげる人ではなく、本当に人のために働く志と能力のある人を見つけるのは至難の業だというのです。それは男性候補者も同じでしょう。
パリテといって、議席の半分が女性になることを目指すのは素晴らしいことです。でもただ女性が座ればいいってものではありません。女性の中にも多様性があることをちゃんと議会に反映して欲しいのです。もし、女性議員がみんなマッチョな価値観の持ち主の、判で押したような「名誉男性」ばかりだったら、見た目は半分が女性でも価値観の多様性はゼロです。女性には看板娘的役割を与えるばかりで男性の補佐としか考えない価値観が根強い日本社会で、それに適応した女性しか"出世"できないことを議会が体現するようでは、見かけ上のジェンダー平等は達成されても文化的、習慣的な性差別はむしろ強化されてしまいます。
似たような経歴でエリート人生を順調に歩んできた人ばかりではなく、それとは全く異なる経験や視点を持っている人を増やすことが重要
同じことは男性にも言えます。似たような経歴でエリート人生を順調に歩んできた人ばかりではなく、それとは全く異なる経験や視点を持っている人を増やすことが重要です。育児や介護の経験者、病気や障害と共に生きる人、非正規雇用で長く働いた経験を持つ人など、マッチョな成功者の世界とは違う世界を知っている人が必要です。
Photo by illuminator999 (CC BY 2.0)
また、内助の功なくしては成り立たないような旧来型の政治活動は現実的ではありません。今は共働きが多数派ですから、政治家の配偶者は仕事を辞めて全力で支えるべきという発想を有権者側も変えないと、女性も男性もなり手がいなくなります。
政見放送の全文書き起こしを読んで思ったのは、どんな人でも政治に参加できるのは素晴らしいけど、中には「いやちょっと待て、この人まずくないか」という人もいるということです。この「いやちょっとまずいだろ」感は大事です。投票率の低さが毎度話題になりますが、投票に行かない人の大半は「よく知らないけど、政治家になる人はそれなりに賢いのだろうから、政治は誰がやっても大差ないだろう」と思っているのかもしれません。だから若いタレントが政治に関する意見を言ったりするとなぜか「勉強不足」などと叩かれてしまう。素人が口を挟むべきではない、と素人が素人に言う妙な構図です。
でも当然ながら、政治家やそれを目指す人がみんな高い見識の持ち主とは限りません。選挙期間中は有権者受けのいいことばかり言うものですが、勢い余ってゲスい本音が覗くことも。特にジェンダーに関する偏見や押し付けは露呈しやすいものです。それを見て「うわ、こんな人が国会にいるのはさすがにまずいよな」と思ったら、自分の持つ一票を「じゃない方の人」に投じる。せっかくの権利をみすみす無駄にするよりはずっと建設的な行動でしょう。