投票したがる7歳娘との会話から
2019年7月21日に投開票が予定される第25回参議院議員選挙の期日前投票に行ってきました。20日から出張で西アフリカのトーゴへ行く予定で、選挙当日は日本にいないからです。そもそも、投票所では当日家にいないことの証明は求められませんから「時間がある時/天気の良い日に投票しておこう」という軽い気持ちで期日前投票を利用してもいいと思います。
私は東京都在住で、今回は6議席に20人が立候補しており激戦です。支持政党がないこともあり、掲示板に候補者のポスターが貼られた時は、どうやって決めようか、と迷いました。
迷った時は信頼している人の意見を聞いてみよう、というわけで、小学2年生の娘に尋ねました。娘は「選挙」に興味があり、春の統一地方選挙の時は同じ小学校のお友達と一緒に「誰を応援するか」熱心に話し合っていたそうです。私の住んでいる地域は候補者の男女バランスや年齢構成が多様で、子どもの目から見ても色んな人がいて選びやすい状態でした。
投票権はなくても候補者を「選ぶ」子ども達
子ども達はオープンに「私は△△さん」「私も」「私は〇〇さん」といった具合に支持する人について話し合ったそうです。自分とは違う人を支持するお友達に「一緒に〇〇さん応援しようよ」と誘われても「私は自分の意見は変えない」とキッパリしていました。投票権はなくても「選ぶ」ところまでは真剣にやっていることが分かります。良い機会なので「投票は秘密にしていいし、誰かに聞かれても自分が支持する人を教えなくていいんだよ」ということを伝えます。
地方選挙は候補者と有権者の距離が近く、選挙カーを見かける機会も多いです。ある日の放課後、娘とお友達が外で遊んでいたところ、ひとりの候補者が選挙カーに乗って通りかかったので「すごく応援した」そうです。理由は「お母さんだから」。ポスターには候補者の方に最近、赤ちゃんが産まれたことが記されていました。ちなみに「男の人の候補でも子どものことを言っていたら応援するからね」ということでした。
こんな具合なので、参議院議員選挙についても何か意見があるはず、と思い候補者のポスターが貼ってある掲示板の前で「誰がいいと思う?」と聞いてみました。しばらく眺めた後に娘が「××さん」と言うと「でも、これは写真だけだから。後で文字も読んで決める」というので、一緒に選挙公報を開いてみました。
小学2年生は習っていない漢字もあるし、と思って各候補が最も大きなフォントで記している政策を2つずつ、読んであげると「大丈夫。読めるから」ということで「やっぱり××さん」とポスターを見て選んだのと同じ人を指さしていました。「ママは、自分で選んで私とは違う人に投票していいからね」と言われました。
Photo by 岩本室佳
代表なしでも課税されている子ども達
こんな風に子どもと話をするたび、子どもには投票権がない現実をあらためて感じて不公平だな、という気分になります。経済政策について言えば、年金や医療など社会保障において、子ども達は今の大人が決めた負担を担わされるのに、文句を言う機会もありません。まさに「代表なくして課税」されている状態です。
子どもに投票権がないのは不当だ――。などと言えば、多くの大人が笑うでしょう。子どもは簡単にだまされるし、目先のことに左右されやすいし、そもそも政策の良し悪しを判断できない、と。
けれど一体、どれだけの大人が耳に心地よい公約につられたり、候補者同士の対立をスキャンダラスなお話として消費したりしているでしょうか。年金制度について賦課方式と積み立て方式の違いを理解している人がどれだけいるでしょうか。よく考えてみると、子どもに投票権がないことを正当化する理由付けの多くは、大人に投票権を与えることを正当化しないのです。
そんなことを考えながら、投票所から戻り新聞を読んでいると、若者の投票率が低い理由を考えた記事が目にとまりました。
身近でない政策、多忙を理由に投票しない
記事は投票する予定がない大学生に取材しています。候補者が語る政策が自分とは関係ないものばかりであるとか、講義やアルバイトで忙しくて期日前投票に行く時間がないといった意見を紹介していました。確かに、選挙公約の多くは雇用、年金、介護、医療、保育など有権者に何かを「与える」ことを約束するものです。子どもや高齢者と同居している人でないとメリットが分かりにくいかもしれません。
そういえば私自身は一人暮らしをしていた頃、治安政策が議論に上らないのが不満でした。夜中まで働いてタクシー帰りも多かった当時、いちばん気になるのは自宅周辺の安全だったからです。身近と思えない政策や公約ばかりであったにも関わらず、20代の私が投票に行ったのは、ほとんど趣味とか選好の問題と言えるでしょう。
Photo by MIKI Yoshihito (CC BY 2.0)
40代となった今では仕事柄、政治的な決定過程に何かの形で参加している人ばかりと話をしています。支持政党はいろいろでも、彼・彼女たちのほとんどが投票に行っていますし、Twitterで投票しよう、と呼び掛けている人も少なくありません。加えて、子どもが前述のような感じですから、政治家について誰がいいとかよくないとか言うのは、私にとって日常会話の一部になっています。
けれども、世代別の投票率などをデータで見ると、自分がふだん接している人たちというのは、日本全体で見れば少数派なのだなあ、と気づかされます。
精神論では若者の投票率は上がらない
娘が選挙に関心を持つようになったのは、ふだん家庭でそういう話をしているからでしょう。例えば、先生が頻繁に怒る、イライラしている、という話を聞いたら、もっと予算を増やして小学校の先生の忙しさを減らしたらいいのでは、とか。ある政治家は保育園の予算を◯億円増やしたんだって……という話題を「今日の夜ご飯はパスタでいい?」と、ほぼ同列にしています。台湾に出張した時は、蔡英文総統の写真を見せて「女性が国のトップだよ」という話を本場の小籠包がどうだったか、という話と一緒にしていました。
これは親の仕事や趣味を通じて子どもが影響を受けるパターンです。自分を含め、半ば趣味のように必ず投票に行く人たちは「忙しいから行かない人」の気持ちを理解しがたく感じるでしょう。政治的に無関心であることを、無責任に思ったりするかもしれません。
ただ、意識改革のような精神論だけでは現実を変えるのは難しいでしょう。ビジネスの場合では、想定顧客が自社の製品やサービスに関心を示さない時は、マーケティングや販売方法を考え直すのが当然です。
スマホやコンビニで投票できる仕組みを
本気で若い人の投票率を上げたいなら、チャネルの多様化を図るのが正攻法でしょう。理想を言えばスマホで投票できるようにすべきですし、投票用紙を使い続けるにしても、コンビニで投票できるようにするとか、投票箱を設置したバスを高校や専門学校や短大、大学に送るといった「アウトリーチ」をした方がいいと思います。
政治を身近にすることは、若い人の責任ではなく大人の責任だ
昨年、ある都立高校の生徒さんと共に参政権について考えるパネルディスカッションに出ました。登壇してくれた生徒さんは男女1名ずつで、いずれも18歳になったばかり、少し前の選挙で投票をしたそうです。ふだんから主権者教育を熱心に行っており、社会の課題について議論する機会の多い学校であるため「投票を通じて社会の問題解決に関われることは嬉しかった」「投票できるようになってよかった」と言っていました。この学校で18歳を迎えた生徒さんにアンケートを採ったところ、9割が投票に行ったそうです。
政治を身近にすることは、若い人の責任ではなく大人の責任だと私は思います。考える機会は家庭や学校、そしてメディアが提供する。その上で、投票所までのアクセスの確保を市役所や区役所、小学校が「身近ではない」人達の視点で見直してみる必要があるでしょう。