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イチエフで働く人に温かい食事を!――「福島復興給食センター」の挑戦

  • 鈴木悠平 (ライター)
  • 2015年3月20日

“食”で廃炉・復興を後押しする新会社

2011年3月11日、東日本大震災。あの日以来、福島第一原子力発電所――通称「イチエフ」は国民の注目の的となった。津波に襲われた直後の緊急事態から、その後も放射性物質の飛散、人々の被曝、汚染水の流出などなど……テレビでもネットでも、相次ぐ報道に多くの人が不安を抱いた。

その後、原発に関連する議論の的は、次第にイチエフそのものの状況から、原発の是非を問うような、政治・経済全体の話へと拡大していく。報道で目にする映像の舞台もいつしか福島という土地とイチエフという現場を離れ、東京のプレスルームや国会議事堂前へと移っていった。それだけ日本全体に対する原発事故のインパクトが大きかったということなのだろう。

だが、たとえ報道の焦点が移ろうとも、たとえ人々が原発推進派と反対派に分断されようとも、変わらない事実がある。それは、今もなおたくさんの人々が、イチエフの廃炉に向けて現場で働き続けているということだ。

そんなイチエフの最前線で戦う廃炉作業員・東京電力社員の方々に温かい食事を提供したい――そんな思いで現場への給食事業を開始したのが「福島復興給食センター」だ。

福島復興給食センター株式会社(以下、復興給食センター)は、福島第一原子力発電所(以下、イチエフ)で働く人々に衛生的かつ安定的に食事を提供することを通じて、イチエフ内の食生活の改善・充実を図ることを目的として設立された新会社だ。

東京電力株式会社(以下、東電)が東双不動産管理株式会社(以下、東双不動産)に給食施設の管理・運営を委託し、食事の調理・配膳・食材調達など、人々に食事を提供する部分を復興給食センターが担う運営スキームとなっている。復興給食センターは、日本ゼネラルフード株式会社(以下、ゼネラルフード)、東京リビングサービス株式会社(以下、リビングサービス)、株式会社鳥藤本店(以下、鳥藤本店)の3社の出資によって設立された。

ゼネラルフードから出向して復興給食センターを設立された代表取締役社長の渋谷昌俊さん、元東京電力社員で、復興給食センターの管理部長を務める川村卓広さん、富岡町で旧警戒区域の視察ツアーも行っている鳥藤本店専務の藤田大さんにお話を伺った。

温かい食事で廃炉と復興に貢献する

――イチエフの現場で働く人々の”食”を支えるというのは、非常に重要な事業だと思いますが、今回の新会社設立のきっかけはそもそも何だったのでしょうか。

渋谷:ゼネラルフードは名古屋を拠点に給食事業を行う会社で、僕は名古屋で2万食規模の給食センターを運営するゼネラルフードの子会社を経営していたのですが、東電から給食センターの運営をゼネラルフードにやってもらえないかという打診を受けたのがきっかけです。福島県で――しかもイチエフの廃炉を支える事業です。我々にはノウハウもあるし、社会的意義のあるお話なので、「やりましょう」ということになり、僕が責任者として出向することになりました。しかし、やるにあたっても土地勘もなく、やはり地元のことがわかっている人と一緒にやった方が良いのではという話になり、震災前から浜通り地区で社員食堂や寮の食堂の運営を行っていたリビングサービスと鳥藤本店の藤田さんをお誘いしました。それから川村さんはもともと東電の社員です。東双不動産経由で東電とやり取りする際の助けになってもらえるだろうと思い、お声がけしました。

川村:私は新卒入社から約35年間ずっと東電で働いてきたのですが、首都圏での営業や総務・労務関連の仕事が中心で、イチエフを含め原発関連の仕事を担当したことはなかったんです。震災が起こってから、何度か現場支援の活動で福島に行ったことはありましたが、今回のように現地で長期的に復興に携わる機会はなかなかないと思い、お受けすることにしたんです。

――なるほど、そうした経緯があったのですね。藤田さんは、地元富岡町の視察ツアーなど、さまざまな活動をしておられますが、本業の鳥藤本店は給食・仕出しの会社ですし、今回の話はまさに藤田さんにうってつけだったわけですね。

藤田:食はやっぱり人間の全ての基本ですからね。うちは震災前からイチエフにも仕出しをしていたので、電気を送って東京の生活を支える発電所の人々の、さらに大元のエネルギーを作って支えていたという自負があります。今度は、メシをつくって廃炉と復興に貢献する――日本全体の安全を支えるんだという意識でやっています。

――本当にそうですね。温かくて美味しい食事を食べられるようになれば、現場の人々もぐんとエネルギーが湧いてくると思います。いまは、給食センターの稼動に向けてどのような準備をされているのですか。

渋谷:主には東双不動産との予算管理の見積もり・交渉、従業員のための寮や交通、地元産の物を中心とした食材調達など、センターを運営するための条件整備ですね。それから一番重要なのは求人と採用。センターでの調理と食堂での配膳を回すために、地元の方を中心に合計約100名の従業員を採用しました。調理施設であるセンターでは3月下旬から従業員の研修などを行って、稼働開始に備えていきます。

イチエフ3000人の胃袋を満たす給食センター

給食センターの建設地は双葉郡大熊町の大川原地区だ。常磐道の常磐富岡ICから降りてすぐ、イチエフから9kmの距離にある。藤田さんの案内で、建設中の給食センターとイチエフの正門付近まで行ってみた。

鳥藤本店のあるいわき市四倉町から北上して車で約1時間。Jヴィレッジのある広野町から始まる双葉郡に入り、楢葉町、藤田さんのふるさとである富岡町、そして大熊町へと入っていく。富岡町と大熊町は、未だその大半が居住制限区域・帰還困難区域に指定されており、震災から4年経ったいまも人々が居住することはできない。

1年半ほど前にも、藤田さんに案内してもらい、いわきから富岡町まで車で走行した。当時と比べるとずいぶんと車の交通量が増えたように感じる。


撮影:鈴木悠平


撮影:鈴木悠平

なかでも目立つのはダンプカーの数だ。放射性廃棄物の中間貯蔵施設の運用が本格化すると、毎日3000台以上の大型車が浜通りを往来することになるという。いきおい交通事故のリスクも増加する。今後は交通整理などの対策も重要になってくるだろう。

大熊町に入って10分ほどで、給食センターの建設現場にたどり着いた。2014年10月末に見学した際は完成度30-40%というところだったが、現在は完成し、4月からの運用開始を待つばかりだ。


撮影:鈴木悠平


撮影:鈴木悠平

定期モニタリングデータによると、現在の大川原地区の平均空間線量は0.3マイクロシーベルト毎時(原子力規制庁HP、大川原第二集会場モニタリングポスト)。藤田さん曰く、大熊町は一番最初に国直轄で除染を行った地域であるため、外の人が思う以上に線量の減りは早いということだ。

そんな大熊町に建設される給食センターだが、本格稼働する来年度以降、どのように運用されるのだろうか。

シフトに合わせて「温かい食事」が食べられる

――4月以降の具体的な運用イメージを教えてください。

渋谷: 我々が食事を提供するのは、東電職員さんの新事務棟と、各協力会社雇用の作業員さんたちのための大型休憩所の2カ所です。一日あたり新事務棟で1000食、大型休憩所で2000食程度を提供する予定で、その食事を大熊町の給食センターで調理して運搬・提供することになります。新事務棟はイチエフ構外、入退管理棟のすぐ横側にあります。大型休憩所は事務棟の200mから離れていないのですが、構内の施設です。

――給食センターが動き出すことで、イチエフで働く人たちの食生活はどのように変化するのでしょうか。

渋谷: 何よりも大きいのが、”温かい食事”を食べられるようになるということですね。これまでは食堂がなかったので、現場で働く東電職員さんや作業員さんたちはコンビニでおにぎりやパン、弁当を買って食べる以外にほとんど選択肢がありませんでした。

――できたての温かい食事を食べられれば、心も身体もホッと休まり、現場で働くモチベーションもずいぶん変わってくるでしょうね。となると、気になるのはメニューや提供体制なのですが、どのような食事を、どんなオペレーションで提供する予定でしょうか。

渋谷: メニューは新事務棟も大型休憩所も同じ内容で、定食2種類、麺、丼ぶりもの、カレーの計5種類程度を想定しています。食材はなるべく地元の物を使えるように、食材調達先の選定や交渉を進めています。その際重要になってくるのが、大型休憩所での配膳オペレーションですね。新事務棟を利用する東電職員さんたちは休憩時間が揃っているのですが、各現場で働く協力企業の作業員さんたちは、作業時間も休憩時間もバラバラなんです。大型休憩所の席数も300程度なので、提供時間を3時間程度と長く取る必要がある。作業員さんが交代でやってきて食べられるようにするイメージですね。学校給食などと同様の食品衛生管理ガイドラインとして、「大量調理施設衛生管理マニュアル」というものがあるのですが、我々はそれに準じたオペレーションを行います。そうすると、調理してから2時間以内に食事してもらわないといけないのですが、給食センターと大型休憩所の間には車で往復40分程度の距離があるため、食事を3、4回に分けて運搬することになります。安全かつ衛生的な運用を守りつつ、スムーズなサービス提供を実現するための工夫が難しいところです。

――なるほど。それはたくさんの作業員さんたちがめいめいの時間で食事するというイチエフの現場ならではの課題ですね。調理現場である給食センターと配膳現場である新事務棟・大型休憩所間の緊密な連携が重要となりそうです。

「いつかはふるさとに」――給食センターで働く人々

――運用開始に向けて、約100名を採用したということですが、どのような方が集まったんでしょうか。

渋谷: 福島県内各地で説明会を開いて、いわき、福島、相馬、南相馬、郡山などさまざまな地域から人を集めています。

藤田: 普通はこういう仕事だと地元の近場から人を集めるでしょ。でもその地元・大熊町に人が住めない状況だから、いろいろな地区にこちらから出かけていかなきゃいけない大変さはありましたね。

渋谷: 現場が現場ですし、女性が少なくなるんじゃないかと予想していたのですが、蓋を開けてみれば半分以上が女性で、しかも30〜40代の若い女性がかなり多いことには驚きました。20歳前後の短大・専門学校卒業生からも応募がありました。

川村: 勤務地についても、イチエフの食堂の方は敬遠されるかと思っていたらそんなこともなくて、説明会で線量を含めた現地の状況を話すと、ほとんど安全・健康面で懸念や質問は出ませんでした。それよりも、周りに住んでいないから通勤はどうするのかという質問の方が多かったです。広野に社員寮を置くものの、朝も早く、車での移動に1時間弱かかってしまいますから。

――地元の人の多くは、県外の人以上に冷静かつ現実的に状況を捉えているのでしょうね。彼らはどのような動機でこの仕事に応募してきているんでしょうか?

渋谷: やはり「同じ働くなら、復興の一助になることがしたい」という声が多かったです。また、生活状況でいうと、もともと大熊町に住んでいて、いずれ帰りたいと思っているので地元で仕事があるなら働きたいという方や、被災・避難して今は働いていないからこれを機に、という方もおられます。

――地元出身で他地域に避難されている方の再就職や転職のきっかけにもなっていると。そうした方々と一緒に、今後復興給食センターをどんな会社に育てていきたいというビジョンをお持ちですか。

渋谷: まず何より、我々は食の会社なので、「イチエフでこんなに美味しいものが食べられるのか」って言われる食堂を作りたいですね。それからもっと広く地域に対する貢献として、5年後10年後に大熊町を含めた双葉郡の人たちが中心となれるような会社にしていくこと。いつか地元の方が戻ってこられるようになったときに「復興給食センターがあるから働けるね」と、安心してもらえるような企業にしていくつもりです。

二項対立を越えて――葛藤の中で復興を進めること

――最後に双葉郡や福島県の外の人たちに伝えたいことがあれば、お聞かせ願えますか。

藤田:まずは「自分の目で現地を見に来てよ」ってことかな。いろいろな噂やイメージが先行するけど、行って初めてわかることがたくさんありますから。

渋谷:僕らもこちらに来る前は、大熊町の名前はニュースでたまに聞く程度でほとんど詳しい状況を知りませんでした。県外の人だといまだに「防護服を着なきゃ入れない場所」ぐらいのイメージを持たれていることも少なくないので、震災から3、4年と経った現在の様子を多くの人に知ってもらいたいですね。

川村:それは福島県内の人でも同じですね。説明会でイチエフや大熊町の現状をお話して初めて、「あぁ、そうだったんだ」という反応をする人が少なくありません。やはり自分の目で現場を見て確かめるというのが大切だと思います。

藤田:復興を止めてはならないし、これから絶対復興させていくんですよ。だけど、そのプロセスはそんなに単純じゃないっていうことを、現地で過ごして地元の人間と話して感じてもらえたらうれしいです。いまの話にしたってそう。危険を煽るのではなくて、現場の実態を正しく伝えてほしいという人がいる一方で、それによって外から「もう大丈夫だ」と思われたら、自分たちのことは忘れられるんじゃないかと心配する人もいる。地元の人間が立ち上がって自立していかなければという人がいる一方、いま、国や東電からの支援や補償が切れたら困るという人もいる。早く自分のふるさとに帰りたいという人と、もうあそこに帰る気にはなれないという人もいる。とかく世間で原発の話題になると、推進派だ反対派だ、放射能危険派だ安全派だって敵味方に分かれた議論になりがちだけど、地元の人間レベルでは、もっとこういう現実的で微妙な葛藤の中で、今後どうしていくかを考えているんです。敵味方2つに分ける思考ではなくて、複雑な全体像のなかで僕らは生きてるんだということを、少しでも知って欲しいと思います。


撮影:鈴木悠平

――藤田さんが双葉郡の案内活動を始められたのも、いわきに避難してきてから、避難している方々といわき市民の軋轢に直面したことがきっかけでしたね。どちらが正しい、どちらが悪いという単純な二分法ではなく、同じ風景を見て、共通の土台を作ることが僕も大切だと思います。イチエフの廃炉に関しては、原発に対する賛否や放射能に対するリスク評価の差異に関わらず、誰にとっても重要な課題かつ目標であるはずです。今回の復興給食センターの活動が、廃炉に向けて現場でがんばる人たちの存在にスポットを当てて、立場の違いを越えたつながりを生むきっかけになればうれしいですね。本日はお忙しいところお話ありがとうございました。食堂がオープンしたら、是非ご飯を食べに行かせてください。

藤田:「イチエフ作業員と同じメシを食おう」なんてツアーをしたら、面白いよなぁ。ぜひやりましょう。


撮影:鈴木悠平

著者プロフィール

鈴木悠平
すずき・ゆうへい

ライター

1987年生まれ。神戸で育つ。東京大学法学部卒。2011年6月より石巻に移住、緊急支援活動の後、「一般社団法人つむぎや」の立ち上げメンバーの一人として、牡鹿半島の浜のお母さんたちと共に、鹿角と漁網の手仕事アクセサリー「OCICA(http://www.ocica.jp/)」や、地域食材のお弁当屋「ぼっぽら食堂(http://mermamaid.com/)」の運営に携わる。2012年9月よりニューヨーク市コロンビア大学公衆衛生大学院に留学。2014年4月より「障害のない社会をつくる」をビジョンに就労・教育事業を展開する「株式会社LITALICO」(http://litalico.co.jp/)に勤務。

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