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【沖縄県知事選】知事選から見えてくる「沖縄問題」の本質

  • 篠原章 (評論家)
  • 2014年11月16日

◆この選挙は沖縄の画期となるか?

沖縄県知事選挙では4人の候補が競い合っている。怪情報も耳にはするが、辺野古移設問題に対して異なる4つの立場が主張されるのは「とてもよいことだ」と思う。

沖縄の首長選では、辺野古移設への賛否を問う結果となった名護市長選挙(本年1月実施)のように、基地問題について相反する2つの主張が真っ向からぶつかる選挙はむしろ稀で、候補者がおしなべて「基地反対」を唱える選挙さえ珍しくない。前回の知事選挙の際も、有力2候補(仲井真弘多、伊波洋一)は共に「普天間基地の県外移設」という主張で一致していた。辺野古移設について4つの主張が争われる今回の知事選は、その結果の如何にかかわらず、沖縄における首長選挙にひとつの画期をもたらす可能性を秘めた選挙だと評価できる。

候補者の一人がいうように、「県民の心をひとつにして辺野古移設にノー」を突きつけることが画期なのではない。候補者同士が本音を押し隠して臨む選挙ばかり行われてきた沖縄で、今回のように4つ異なる主張がぶつかりあう選挙が行われることが、沖縄の民主主義にとってプラスだ、という意味で画期なのである。そこには今まで被われてきた「本当の沖縄問題」も見え隠れしている。

以下では、候補者の主張を検討しながら、この選挙の意義を探っていきたい。

◆「容認」明確化で政治責任を取る仲井真候補

仲井真弘多候補と翁長雄志候補のふたりが有力だというのは誰でも知っている。保守本流で「辺野古移設容認」の現職・仲井真候補と、前回の知事選では仲井真候補の選挙を支えた、同じく保守本流の那覇市長・翁長候補が「辺野古移設反対」を掲げて相争うという構図は、もちろんおもしろい。

本土の多くのメディアは「保守本流さえ分裂させた辺野古移設問題」と書きたて、「政府の横暴」を暗に印象づけようとするが、「日本政府=加害者」「沖縄=被害者」という図式の下、「悪徳政府の代理人」が仲井真候補、「抑圧された沖縄県民の代表」が翁長候補といった見方をとるのはあまりにもナイーブだ。

2006年に、辺野古移設現行案が決まったとき、当時の稲嶺惠一知事の下で県内政財界の調整役を積極的に務めたのは、ほかならぬ仲井真候補と翁長候補のふたりだった。仲井真、翁長の両候補は、辺野古移設容認どころか、移設の旗振り役を果たしたといってもいい。ご両人とも、移設関連の公共事業という利権、基地と引き換えにもたらされる振興策という名の利権の中心にいた。つまり、ふたりとも、辺野古移設をめぐる現在の混乱に対して、大きな責任を負っているということだ。

民主党政権時代の仲井真知事(2期目)は「私は県外移設が望ましいといっている」としながら、移設容認という本音を露わにしなかったが、自民党が政権を奪取した途端に、埋立承認=移設容認に向かって走り始めた。仲井真知事がのらりくらりした態度を示していた時期から、筆者は「この人は民主党政権が嫌いなだけで、本音は容認だ」と確信していた。ところが、沖縄のジャーナリズムや識者の多くが「仲井真知事の立場は県外移設だ」と思いこんだ(あるいは「思いこみたかった」)。仲井真知事が辺野古埋立を承認したとき、移設反対派は「裏切り者!」と罵ったが、仲井真知事は一貫して「容認」である。政治情勢に配慮して明言を避けただけだ。したがって、今回、仲井真候補が、「移設容認」を「流れをとめるな」と言い換えて選挙戦に臨む姿勢は、移設をめぐる混乱に対する責任を引き受けるという意味ではきわめて潔い選択である。

◆真意の見えにくい翁長候補

共産党まで見事に取り込んで選挙を盤石にしたその政治的手腕には脱帽だが、「変節」したといえるのはむしろ翁長候補だ。翁長候補は、今でこそ「辺野古移設は沖縄のアイデンティティを踏みにじる暴挙」と主張するが、先にも触れたように辺野古移設をめぐる混乱を作りだしたひとりである。辺野古移設問題では政府もゴリ押ししたが、翁長候補も政府のゴリ押しを利用しながら政治家として成長してきたといえる。移設反対を唱えるなら、まずは混乱に加担した当事者として反省の弁からスタートすべきだが、翁長候補は反省の弁を口にしない。一昨年暮れの朝日新聞のインタビューで「振興策はもういらない。沖縄は独立する」と語った翁長候補だが、その舌の根も乾かぬうちに那覇空港拡張のための補助金獲得に奔走している。「沖縄VS日本」を強調して威勢よく立候補したのはいいが、その公約にも政府の振興策の受け皿づくり、というものがちゃっかり入っている

いちばん気になるのは翁長候補が「埋立承認撤回」を公約に掲げないことだ。移設に反対するだけなら誰にでもできる。「沖縄=移設反対/日本政府=移設推進」という構図ならいやというほど見せつけられてきた。大切なのは、この膠着した状態から一刻も早く脱することだ。移設反対なら、知事権限で埋立承認を取消せば済む。が、なんでそう明言しないのだろうか。埋立承認はそのままに、ただ反対を唱えつづけるだけでは、事態は改善しないだろう。

翁長候補のこのわかりにくさは、「革新派は基地に反対して政府に圧力をかけ、保守派はその圧力を利用して振興資金を獲得する」という沖縄政治における伝統的な「阿吽の分業関係」が崩れつつあることの証しなのかもしれない。基地反対以外の政治的主張を示せない沖縄の革新派にはもはや行政一般を担当する能力はないということなのか。「行政は我々が引き受けるから、そちらのスローガンはこちらにいただく」といわんばかりに革新派を糾合し、結果的に保守系翁長派が沖縄政治を牛耳る体制を確立する試みにも見える。移設反対を強硬に唱えるだけで、埋立承認を撤回しなければ選挙前と何も変わらない。政治的な混乱を収束できないまま埋立工事は粛々と進む。一方で、補償措置としての振興策はそのまま継続される。「沖縄VS日本」という構図を使った錬金術を保守系翁長派が体よく独占するだけの話だ。体制は変わっても本質は何も変わらない。翁長候補はいったい何を考えているのだろうか。

◆筋を通す喜納候補

喜納昌吉候補(元民主党参院議員)は、翁長候補の「辺野古移設には反対だが、埋立承認は撤回しない」という翁長候補の主張の矛盾を突くかたちで立候補している。喜納候補は「埋立承認撤回→普天間閉鎖・嘉手納への一時的な機能移転→他地域への移設」という手順を考えている。「嘉手納への一時的移転」の実現可能性には疑問符が付くが、代案を出さぬよりはるかに誠実だ。移設反対派には「代案は日本政府が出せば良い」という姿勢が強いが、ひととおりの代案を検討したと主張する政府があらたな代案を示す見込みはきわめて薄い。移設に反対するのであれば、沖縄から代案を示して検討を要求するほかない。喜納候補が出身母体の民主党をクビになってまで立候補を決めた背景に謎はあるが、「埋立承認撤回」を公約にする候補は喜納候補だけ。その意味でいちばん筋の通った移設反対論を展開しているとはいえる。ちなみに喜納候補は那覇空港拡張にも反対している。多くの人たちは「環境保全」を最大の理由として辺野古移設に反対しているのだから、那覇空港沿岸域の環境を破壊する空港拡張工事にも反対すべきだが、不思議なことに反対の声を上げる人は稀だ。喜納候補はこの点でも筋が通っている。

◆本土では受け入れられやすい下地候補の主張

詳しくは後述するが、下地幹郎候補(元国民新党衆院議員)のいちばんの特色は「貧困問題の重視」にある。辺野古移設問題については、「当選後半年以内に県民投票を実施して移設の是非を決める」という公約を掲げている。これは沖縄以外の地域に住む人間にとってはいちばんわかりやすい。

県民投票の法的拘束力は乏しいが、他県民には沖縄の明確な意思表示として伝えられる。政府も県民投票の結果を沖縄政策にフィードバックせざるをえない。喜納候補は「それでは遅い。埋立工事はその時点で始まっている」と批判するが、県民投票で移設反対という結論が出たら工事を中止させればよい。ただ、下地候補のプランでは、移設先の代案案はこれから検討することになっているから、その点ではまだ紆余曲折は予想されるが、「移設には反対、埋立は継続」という対応よりはるかに前向きな公約である。

◆見えてきた本当の「沖縄問題」

実は、筆者の関心をいちばん引きつけたのは下地候補が「貧困こそ沖縄最大の問題」という認識を示しながら立候補したことである。「辺野古移設問題よりも貧困問題のほうが深刻」というニュアンスさえ感じとることができる。これまで数年間、筆者は沖縄の経済問題を調べてきたが、下地候補とほぼ同じ問題意識を持っている。

沖縄最大の問題はたしかに基地問題だが、基地被害と基地問題がイコールで結ばれると考えるのは誤りだ。たとえば、辺野古移設によって直接影響を受ける住民は、名護市辺野古区とその周辺の3000人余りと宜野湾市の普天間基地周辺の約3万人のあわせて3万3000人である。沖縄県人口140万人の大半は辺野古移設問題の影響を直接受けることはない。が、辺野古移設をめぐってこれまで動いてきた数千億の振興資金と、これから動くだろう3000億から5000億の移設経費は、沖縄経済全体の問題となりうる。被害は一部だが振興資金は全県的な問題だ。その意味で基地問題の本質とは財政経済の問題である。この点を見誤ると基地問題を曲解することになる。

移設反対派は「米軍基地が沖縄に集中していることが問題なのだ」「平和そのものが問題なのだ」というが、米軍の再編計画では、沖縄の基地は確実に削減されることになっている。「辺野古移設で基地が増える」といわれているが、面積で見れば普天間基地との相殺で180ヘクタールの米軍基地が消滅する。基地が減ることが平和に通ずるというなら、米軍を代替するかたちで沖縄に移駐する可能性のある自衛隊を問題にしてもいいはずだが、沖縄の政治勢力はこれについてほぼ沈黙している。安保上の考え方から基地や軍隊そのものに異議を唱えるなら、辺野古沖を回遊する数頭のジュゴンを守れ、などと主張するのではなく、日米同盟反対を打ちだせばいい。だが、辺野古移設反対運動はジュゴンに触れることはあっても日米同盟は持ち出さない。

いちばんの問題は、振興資金なくして成り立たない沖縄経済にあり、もっといえば振興資金も含めた経済的果実が県民のあいだに満足に分配されない、言い換えると所得格差が深刻な沖縄経済の特質にある、というのが筆者の立場である。振興資金がなくとも成り立つ、より所得格差の少ない経済像を提示できなければ、本当の意味での基地問題は終わらないのである。

下地候補はかつて、沖縄でもっとも高給といわれる沖縄電力に対して、「給与水準を引き下げよ」と要求したことがある。沖縄最大の有力企業である沖縄電力(仲井真知事の出身母体)にたてつくなど政治家としてちょっとした蛮行だが、下地候補はそれをやってのけた。下地候補が問題にしたいのは、基地反対運動と振興資金の分配に精力をつぎ込むあまり、県民全体の経済水準・所得水準の改善をおろそかにしてきた沖縄の政治なのだ。

選挙結果がどうなるにせよ、これだけの候補がこれだけの主張を展開している選挙はやはり意義深い。ベールで被われていた「沖縄問題」の全体像がようやく見えてきた思いである。問題は、この選挙で垣間見えた沖縄問題の本質を、今後、沖縄県民・国民全体がどれだけ直視できるか、というところにかかっている。

いずれにせよ辺野古移設問題にはできるだけ早く終止符を打つことが肝要だ。こんな状態をいつまでつづけてもいいことは何ひとつない。

著者プロフィール

篠原章
しのはら・あきら

評論家

批評.COM主宰・経済学博士。1956年生まれ。2011年に勤務先大学から放逐され、以後、音楽文化、沖縄、社会経済一般などをフィールドとした評論を精力的に執筆。沖縄関係の主著に『ハイサイ沖縄読本』(宝島社)、『沖縄ナンクル読本』(講談社)、『新書沖縄読本』(講談社)など。来年1月には新潮新書から『沖縄の不都合な真実』(仮題)を出版する予定。

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