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【沖縄県知事選】沖縄県知事選に見る現代日本の縮図──価値についての選択肢の不在と交錯するマクロとミクロの利害関係

  • 西田亮介 (立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
  • 2014年11月11日

◆沖縄が象徴する「現代日本が抱える問題の縮図」

2014年の沖縄県知事選挙への関心が高まっているが、何かを論じるのは大変難しく、同時に気が重い主題である。というのも、沖縄県知事選の課題は、沖縄に限らず、現代の日本が抱える問題の縮図でもあるからだ。そして、それがもっとも激烈に体現されてしまっている土地でもあるからだ。沖縄の現状は、現代日本の「豊かさ」と表裏一体である。したがって、その是正を志向した選択がどのようなものであれ、安易に非沖縄県民が口を挟むことが憚られるように感じられるからでもあるだろう。ただし、今回の沖縄知事選は、十分な価値の選択肢が提示されないままに、早期の、そして不可逆な選択が強制されているように見える。本稿では、その点を掘り下げてみたい。

ここでいう現代日本が抱える問題の縮図とは、多様な価値についての選択肢が乏しく、マクロとミクロの利害対立があり——しかも、沖縄についていえば、すでにマクロにも日米関係、日本(本土)/沖縄県という2重の対立が重ねられている——そしてミクロな、つまりローカルな単位内にも、さらに利害対立が存在することを指している。この対立関係と膠着のなかで、新しい(価値の)選択肢を創造することがゆるされないままに、既存の選択肢内からの選択が強制され続けた結果、既に「実績」が挙がっている既定路線のみが、まるで自発的に選択され続けているように見えるという事態が起きているのだ。

◆今回の選挙の構図と位置づけ

まず沖縄県知事選の構図を簡単に確認することから始めたい。3選を目指す自民党推薦の現職知事と、革新系候補者などが競いあっている。その構図については、例えば『沖縄タイムス』のWeb版などが詳しい。

次に共通認識として、国政の中での沖縄知事選の位置づけを概観する。喫緊の政治日程としては、沖縄県知事選の翌月にあたる12月に、2015年の消費税増税を実行するか否かの判断があると目されている。景気回復と、財政再建のための税率引き上げは、政治的には鬼門である。消費税を導入した竹下内閣は短命で終わり、5%への引き上げも、橋本内閣が躓く一つのきっかけとなった。これらの過去の事例を見ても、消費税問題は判断を誤ると、政権にとって致命的な結果をもたらしかねない主題といえる。しかし、最近不祥事が立て続けに明らかになり、「税率引き上げ」という「客観的な成果」を欲している政権にとっては、是が非でも円滑に実行したい政策でもある。

というのも、2015年は統一地方選挙の年であり、2016年には国政選挙が控えているからだ。政府・与党としては、絶対にここで負けるわけにはいかない。沖縄県知事選の勝利を足がかりに、消費税増税を実施し、統一地方選挙に持ち込みたいというのが本音のはずである。むろん、そこでも勝利し、2016年の国政選挙を迎え、盤石の長期政権を目指すというのがベストシナリオだろう。

これは、現在の国政に対する異議申立てという観点からすれば、この沖縄県知事選で勝利することができれば、時期的にも国政に大きな影響を与える可能性を意味している。

この意味において、沖縄県知事選は先月26日に投開票が行われた福島県知事選と並んで、全国的に注目が集まっている重要な選挙であるが、福島県知事選は、自民と民主の相乗り候補が当選したため、「勝敗つかず」のままで終わってしまった。そのため今回の沖縄県知事選に対する国政の関心と影響は、福島県知事選以上のものと考えられる。ただし、これらはあくまで、国政から見たときの、沖縄県知事選の見取り図といえる。

※11月8日に、菅官房長官が那覇市内での講演で、沖縄へのUSJの誘致に言及した。いうまでもなく、USJの誘致は大型開発を意味する。

◆基地問題をめぐる歪な視点

沖縄県知事選の難しさは、ここまで述べてきたような国政上の争点であると同時に、沖縄という独特の歴史を持つ土地における重要な問題の節目となる意思決定——普天間基地の名護市辺野古への移転を既定路線として推進するか否か——が歪な形で、複雑に重なっている点にある。基地問題は、マクロの問題であると同時にミクロの問題だが、2つのレベルで利害関係が合致しないという問題を抱えている。沖縄の問題が本土で十分に共有されないのは、両者の利害関係が合致せず出口が見えづらく、後者が前者に対して、積極的な関心を持つことを避けているからのようにも感じられる。

沖縄の米軍基地は、日本の安全保障の観点からすると(ローカルなレベルに目を向けても)一定程度必要のようにも思える。同時に、米軍にとっても、東アジア戦略の要といわれている。

このとき、都市部からの距離が近い普天間飛行場は、重大事故の危険性を有する。そのリスクを軽減し、騒音などの生活環境を毀損する要因を根本的に改善するためには、早急な移転が必要とされることもまた確かである。

◆「豊かさ」の価値に脅かされる「自然」

他方で、既定路線で基地移転先とされている、名護市辺野古の海は、そこに足を運べば、おそらく誰しもが、直感的に「この海は、このまま置いておくべき」ことに同意するような存在である。筆者も、どこか沖縄に惹かれ、10代後半から20代半ばまで、毎年沖縄に足を運んだ。それほど詳しいといえるほどのものではまったくないが、与那国島なども含めて、幾つかの離島にも行ったことがある。昨年、久々に、休暇で足を運んだのだが、名護の海の美しさと、独特な生態系には、胸を打たれた。この土地を大規模開発でもって介入し、基地にするというのは、まさに「ありえない選択」であろう。

だが、だからといって、前述の状況を勘案すると、やはりすぐさま基地移転を拒否すべきであると断言してみせることは簡単だが、それもまたどこか心許ない。沖縄のみならず、日本の高度経済成長と現代のそれなりの「豊かさ」は、大規模開発や工場誘致に伴い、伝統的な国土を開発する「ありえない選択」を繰り返してきた結果のものだからだ。既に、多くの「ありえない選択」をしてきたがゆえに、論理的には「なぜ、ここだけ」という問いが惹起することもまた事実である。

ただし、その「ありえない選択」は、現在の「沖縄」と「日本」の分断の原点でもある。後者は前者に負担を押し付けてきたという倫理的問題を抱えている。確かに「日本」の戦後復興は、憲法と日米安保がセットになったことで、安全保障のコストをアメリカに委ねたものであった。朝鮮戦争という隣国の戦争でさえ、日本の経済成長にはポジティブに影響したはずだ。それらは、明らかに現代の日本の豊かさに直結した。

「自然」も重要だが、同時に現代の、とくに経済的な「豊かさ」も簡単に捨てさることはできまい。少なくとも、現代の経済的豊かさに代わる「価値の共通合意」が現時点では、日本社会に形成されているとはいえない。「革命」と価値の創造、そしてその選択肢のなかから「価値の選択」を行うことを先送りにし続けてきたがゆえに、経済的価値以外の共通合意を持たない——この点が、現代日本の課題であると同時に、まさに沖縄でもその問題が濃縮された形で顕在化しているのだ。

◆「経済的豊かさ」の政策だけでは見失うもの

だが、「沖縄」に目を向けてみると、異なった様相を呈する。沖縄の日本への返還は1972年のことであり、それまで米軍施政下に置かれていたこともあり、そもそも成長の果実を十分に享受できたとはいえない。様々な指標で見ても、経済的に沖縄が劣位にあることは明白である。つまり、沖縄は経済的豊かささえ、十分に享受できずにきたのである。推測の域を出ないが、製造業のインフラに乏しかった当時の沖縄にとって、朝鮮戦争も成長の起爆剤とはいえず、むしろ戦争の記憶を刺激するものだったのではないか。さらに近年では、沖縄返還に関連して、核の問題しかり、金融に関する施政権の補償等、日米間のさまざまな「密約」の存在も各種資料から蓋然性を増している。

このような基地問題について、概ね、現職候補者は基地移転に肯定的、それ以外が否定的という立場である。その他の政策でいえば、革新陣営の候補が格差の解消や大学の活用等比較的ソフト面の施策を挙げる。だが、他の候補は、いずれも交通インフラの普及やリゾート開発、港湾、空港の整備等、開発経済型の諸施策を提示している。つまり、一見、現職以外は、名護の基地移転に対しては否定的ではあるものの、別の見方をすれば、辺野古以外については、現職同様に開発型の政策を提示しているという点では、多くの候補が共通している。したがって、少なくとも、今回の選挙において、沖縄の有権者にとって、開発型以外の、沖縄の将来について、価値の選択肢が十分に提示されているとは言いがたい現状がある。

選挙という政治参加の仕組みにおいて、有権者は提示された選択肢の中から、候補者を選ぶわけだが、沖縄に限らず、日本の有権者の政策への関心と、政治が提示する選択肢の乖離は深刻だ。実際、2013年の参院選では、世論調査を見ると、有権者は景気や雇用に強い関心を抱いていたが、主たる争点にはならなかった。与党はアベノミクスを主張したが、野党は反原発を主題にしていた。若年世代に目を向けてみると日々、大学で大学生や院生と接していると、総じて、彼らの社会的な意識は高い。だが、そんな、彼ら若年世代の投票率が著しく低いことはよく知られている。

◆若者を責めるのは道理が違う

筆者が、これまで繰り返し論じてきたように、日本の初等中等教育、そして高等教育の過程には、政局を判断するフレームワークを養成する機会が乏しいことも事実である。しかし、最近は、望ましい政策パッケージが提示されないことに起因するのではないかと考えている。このように書くと、「ならば、政策を訴えて、立候補すべきだ」という意見や、政治家からは「若年世代がしっかり投票しないから、若年世代向けの政策を提案することができない」という声が聞こえてきそうだ。

だが、これは立候補に、多額のコストが必要なことや、仮に議席を一つ獲得したところで、問題解決に直接関わることができないこと、また地方にせよ、国政にせよ、政策立案に関われるだけの影響力をもつまでの道程の長さを考慮すると、あまり実りある批判とはいえない。とくに政治家からは、若年世代の投票率の低さを若年世代向け政策が優先されない言い訳として、よく聞こえてくるが、そもそも若年世代は、出生数で見ると高齢世代の半分程度に過ぎないという日本の人口動態特有の事情を看過している。そもそも、原理主義的にみれば、「声がないから、行動できない」という政治家は、あまりに主体性に欠く。マックス・ウェーバーにいわせれば、「精神なき専門人」の際たるものといわざるをえない。

◆険しく長い、沖縄の進む道

沖縄問題の出口は、どこにあるのだろうか。残念ながら、筆者には、具体的な答えは見えてこないし、それだけの現地の事情に関しての知識も持ち合わせていない。しかし抽象的には、2つの選択肢がありうるように思える。一つは、「ありえない選択」を繰り返してきたがゆえに、いっそ開き直り、既定路線を突き進む「修羅の道」である。もう一つは、過去の「失敗」を認め、清算し(しかし合意調達のためにはそれさえ不要かもしれない)、そうではない別様の「価値」——それが具体的にどのようなものかは残念ながら筆者には分からない——を創造・提示し、時間をかけてそれを選び取っていくような新しい価値の選択である。

社会学者のアンソニー・ギデンズは、1990年代のイギリスの閉塞感を、福祉国家の保守に拘泥する革新と、あらゆる分野を市場に委ねようという革新的態度を見せる保守の対立に見出し、その打破には政治的ラディカリズムとしての「新しい社会民主主義」と、政策群としての「第3の道」の必要性を述べた。一瞬、日本、そして沖縄の問題と重なって見えるが、日本にはこのような価値観の対立図式さえ見出だせないことがわかる。

今は見えない「新しい価値」を創造し、普及し、選択するには、時間がかかる。ということは、現時点で、大規模開発のような不可逆な選択を早急に決定しない、ということは大前提になるだろう。いったん開発の手を入れてしまえば、失われたものを取り戻すことは人為的には困難である。そのような選択を誰かが行うことができるのか、それとも、既定路線を歩み続けるのか——。それは負担過剰であり、また過酷な選択を押し付けていることを承知のうえで、投票権を持つ沖縄の人たちが決めることである。その決定がどのようになったとしても、本稿で述べてきたような事情を勘案すると、とても批判できるものとは思えない。せめて関心をもって、その動向を注視し続けることが、非沖縄人の倫理的責任だ。そして、もし必要とされるのであれば、共に「新しい価値」の創造に頭を悩ませてみたい。その経験は、沖縄のみならず、日本社会の将来像を構想するうえでも、不可欠な経験になるはずだ。

著者プロフィール

西田亮介
にしだ・りょうすけ

立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授

専門は情報社会論と公共政策。社会起業家の企業家精神醸成過程や政策としての「新しい公共」、情報と政治、地域産業振興、日本のサーフカルチャーの変遷等を研究。 1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。博士(政策・メディア)。同助教(有期・研究奨励II)、(独)中小機構リサーチャー等を経て現職。著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)ほか。

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