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【沖縄県知事選】日本は変わる、沖縄は変わらない

  • 大見謝将伍 (ライター)
  • 2014年11月15日

「今回の県知事選で沖縄は変わるのか?」という問いに対して、僕は「NO」だと答える。むしろ沖縄県内よりも県外に影響が出るのではないだろうか。

◆「僕」という名の沖縄人について

まず簡単に「僕」についての説明をさせてもらえればと思う。

僕は沖縄最北端の離島、伊平屋島出身だ。有人離島ではよくあるように、高校から本島へ渡った。那覇にある、元々は基地であった跡地で高校時代を過ごした。その後大学を機に上京し、本土での社会人生活を数年経て、2014年8月に沖縄にUターンした。現在はフリーランスでウェブ領域を中心に執筆および企画を行なっており、沖縄では那覇商店街振興や県内企業とパートナー関係を結んでいる。ここで特に触れておきたいことは、僕がこれまでの生活の中で「基地」という存在に脅威を感じるような瞬間は、まずなかったということだ。

◆東京で知らされた沖縄、忘れられる沖縄

東京に住んでいたときに触れた、印象的な“沖縄”があった。僕は外国語系大学の日本語学科に所属しており、そのカリキュラムの一貫で“外書講読”という講義があった。それは、外国人学者が研究した沖縄史について読み解くような内容だったのだが、衝撃的だったのが「沖縄は日本の植民地だ」という言葉がさらりと使われていたことだった。特段それを知って、自分の心の中で何かが煮えくり返るようなことは起こらなかった。僕は沖縄という植民地から一度飛びだしたからこそ、沖縄が植民地であるという視点を知ることができた。その事実に対する納得だけがそこにあった。沖縄が日本の植民地であること——そう考えてみると、自分なりに、沖縄で起こるすべての出来事の説明がつきそうだった。

現代の日本では、沖縄は南の島、リゾートとして語られる。「沖縄いいよねぇ〜」と口にする人は絶えない。しかし彼らは沖縄の基地問題の根深さについては決して言及しない。いや、そもそもその問題を知らないのだろうと思う。そして、その「知らない」をつくっている人がいるのだ。僕は邪推してしまう。観光地としての楽しげなイメージ、沖縄の光の部分にばかりスポットをあて、植民地としての暗い部分をひた隠しするかのような、誰かの策略がはたらいているのではないか——。国が沖縄に押しつけている「74%」という極めて高く、傲慢な数字の真意を探らせないように。

現在沖縄は「観光立県」を掲げている。「沖縄は、旅行する私にとっては関係あるが、それ以外においては無関係だ」という心理がつくられるのも無理はない。言ってみればそれが狙いなのだから。「観光立県」は日本人として重要な問題を隠蔽するためのスローガンにほかならない。田原総一朗さんもポリタスに書かれていたが、「あれは沖縄の問題で自分たちに関係ない」という「日本人の大多数」に沖縄人が怒るというのはやはりある。ただ、僕としてはその事実に少し付け加えたい見方がある。それは、関係ないと言い張れる本土の人は被害者でもあるということだ。どういうことか? 沖縄に押しつけられた日本の都合は、誰でもない日本人一人ひとりの将来に重くのしかかってくる問題だからだ。僕は、そのような「知らない」「知らなくてもいい」という構造をつくりあげた真犯人を見つけ、「知らせたくなかった」思惑を吐かせなければならないといつも思っている。沖縄人が怒りをぶつけるべき対象は、本土の限りなく狭いところにいるはずだ。

……などと、大学の講義を通じて、思い詰めて考える時期は確かにあったのだが、それはあくまで一過性のものでしかなかった。振り返ってみると、それ以外の学生生活でも社会人生活でも、僕が沖縄の問題について考える機会はほとんどなかった(過去に一度、6月23日の「慰霊の日」を忘れてしまったことさえあったのだが、それは今でも僕自身の中に残る、痛く、恥ずべき出来事だ)。僕の、この経験から言えることは、なんの変哲もなく“普通に”仕事に打ち込み、休日を楽しみながら日々を過ごしていると、沖縄の問題なんてどうでもよくなってしまうということだ。それは磁場なのか、なにか物事を深く考えさせないような引力のようなものが東京にはたらいているのか——。得体の知れない違和感が自分の中に残った。

◆基地に、“民意”なんかない

今回の県知事選で争点となっているのは、いつものように「基地」問題だ。普天間基地の辺野古移設の行方がどうなるのか、関心が高まっていることは確かだ。しかし実際のところ、沖縄県民でも本当に強い関心を持っている人はごく一部ではないだろうか。

現在に至るまで沖縄を植民地たらしめてる基地は、選挙の争点となるに相応しい。しかし、真に論じられるべき場所は県知事選ではないと、僕は思っている。しばしば政治家が基地を語るときに、「民意」という言葉ををセットで用いるのだが、この言葉ほど怪しいものはない。だいたい基地問題という大きすぎる問題に民意が介入できるわけがない。語弊が出てくるので丁寧に言わせてもらうと、基地問題に対する民意というのは、民意の中でも「ごく一部の民意」でしかあり得ない。沖縄人のそれにしたって、中身を切り開いてみれば、戦争被験者や、基地に土地を貸している地主、または基地周辺で実際に恐怖を感じたことのある住民の想いといったものがほとんどだろう。基地に対する問題意識に、県内と県外で大きな差があることは先ほども述べたが、実は県内でも入れ子のように人々の意識には差があるのだ。

基地に関係ある人とない人がいる——僕自身でいえば、僕はかつて基地の存在に脅威を感じたことは一度もなかった。憎悪を感じたこともない。むしろ、“一番近くにある外国”から海外の文化や言語に興味を持つきっかけをもらえたとすら思っている。基地ではフリーマーケットやフェスティバルも定期的に開催されており、イベントが行われる度に子どもたちがキャッキャと喜ぶ様子を見ては、好意的に感じていた。もちろん、過去の歴史を学べば自然と湧きあがる「そもそもなぜ沖縄に基地があるのか」という疑問は拭えないものの、現在の基地そのものは憎しみの対象にならない。

だからなのか、僕は「基地」に「基地問題のリアリティ」を感じられないのだ。真剣な面持ちで「辺野古埋め立て反対」と訴えかける中学生の映像がメディアから流れてきたとしても、まるで共感ができない自分がいる。それが全国的には「沖縄県民の民意」として報道されることに違和感を覚えるほどだ。

基地問題に対する沖縄の意識には偏りがある——。そう感じているのは、決して僕だけではないだろう。県外のメディアでは、その「県内における温度差」について触れられることは少ない。今も「戦争」が続いているのは沖縄のごく一部の人でしかないのに。沖縄県民の民意を代弁する県知事を決める選挙なのに、なぜ民意が介入できるはずのない基地問題に焦点が当たるのだろうか。はなはだ疑問だ。

シングルマザーや教育格差から生まれる下層社会のほうが、実際の社会では身近で大きな問題のようにも思える。子育てに仕事にと、あくせく奮闘している母親は、基地問題のことなんて考える暇がないだろう。安易に彼女らの選挙への消極性を責めることはできない。もちろん沖縄における幾多の社会問題の元を辿れば、基地から派生した問題は多い。だが、日々の暮らしにおいては、基地問題は緊急度的にも重要度的にも多くの人の生活にそれほどかかわりがない問題だ。たとえ自分ひとり何か否定的な意見を持ったとしてもそんな大きな単位の問題はびくともしないと感じている県民が大半ではないだろうか。「民意」に訴える政治の話であれば、基地のようなハードの話ではなく、もっと身近に感じられるソフトで解決しうる問題に焦点が置かれるべきだと僕は思う。だからこそ、降って湧いたように出てきたユニバーサルスタジオやカジノ誘致の話は、「またぞろハードの話か」と「そんなことで県民の気を惹こうとしても無駄だ」と呆れてしまう。

◆どの候補者にも一票を投じられない

このように、一部の沖縄人のために行なわれている県知事選に対して僕はまるで関心がもてなかった。「どの候補者を支持しますか?」と質問されても、「最初から誰にも期待などできない」というのが偽らざる本音だ。

沖縄は変わらなくてはいけないし、変わるべきだ。しかし、今回の県知事の結果で変わることはまずないだろう誰が当選しようと、お金の流れが変わるだけで——それはつまり、あくまで一部の人たちが抱える「お金の流れが変わる話」でしかない。補助金が強化されれば強化されるほど、経済的な甘えの構造はより強固になり、物事を考えないダメな沖縄人が増えていくだけだ。金で解決するのは「魚の釣り方を教える」ことではなく、「魚を与える」だけの行為でしかない。まず人が育たなければ、県も育たない。この根本的な問題を孕んだまま時は過ぎていく。まだまだ沖縄の明るい未来は見えない。

◆インターネットを通じて、個人や民間が沖縄を変えてゆく

結局は、沖縄にいるエネルギーを持った県民一人ひとりが、個人や民間レベルで新しい流れをつくっていくしかないのだと僕は思う。お金の配分だけに長けたリーダーに頼ることなく、沖縄をボトムアップで変えていくしかない。公約を平気で破るリーダーに基地移設で振り回されるよりも、こちらのほうが現実的だし、ポジティブな気分になれる。今後生まれる県知事に望むのは、そうした新しい動きをつくるための仕組みをサポートすることだ。

そして、沖縄で起きる新しいボトムアップの動きはより“インターネット的”であるのが望ましい。ネットを絡めることで、沖縄が抱える問題を広くオープンに可視化できるからだ。まずは本土の人たちの沖縄に対する「知らない」を「知っている」「関係ある」というフェーズにまで持ち上げなければならない。そのためにはネットをフル活用するべきだ。過去アーカイブも含め、沖縄のありとあらゆる情報のオープンデータ化も必要になるだろう。それらがトリガーになって、今までひた隠しにされていたものが暴かれる。インターネットを通じて、問題が共有されればされるほど、解決に向かってのヒントも掴みやすくなる。まずは、より広く「知る」ための動きをつくっていくことが肝心だ。

だからこそ、今回このポリタスで沖縄知事選がテーマとして扱われることには大きな意味がある。こうした取り組みをきっかけにして沖縄の抱えるあらゆる問題を多くの人に知ってもらい、何かがはじまるきっかけになればいい。今回の選挙結果は日本という国を揺るがす大きなインパクトを与えるかもしれない。日本が変わりはじめるその瞬間が、後数日でやってくる可能性は高いが、沖縄が変わるにはまだまだ時間が必要だろう。

おそらくこのポリタスへ寄稿者の中では、僕が一番若く、何かを言えるほどの立場もない。聡明さにも欠ける。だからこそ、僕は、僕自身がこの島で育ち、現在もこの島で暮らしながら、日々動き回り、素直に感じることを書かせてもらった。僕が、沖縄の若者たちが抱える感情を代弁したとも思っていない。だけれども、一県民の声が、少しでも遠くに届いてくれたらいい、それだけを願っている。

著者プロフィール

大見謝将伍
おおみじゃ・しょうご

ライター

1988年生まれ。沖縄最北端の離島、伊平屋島出身。大学を機に上京。バーテンダー、ITベンチャー営業職を経てフリーランスに転身。と同時に東京を離れて、京都や小豆島などに短期滞在し、地域に根ざしたくらしとメディア(=コミュニティ)づくりを追う。2014年8月に沖縄にUターン。ライティングを主にする傍らで、Webメディア媒介での「つくる」「そだてる」「つたえる」を軸にした、地域密着型のプランニングや場づくりに携わる。東京-沖縄の二地域居住にむけた拠点づくりと、沖縄の「今」のオープンデータ化に取り組んでいる。

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